解決済みの質問
高校英語教育改定についてニュースをやっていましたが、この議論を読んで改めて「人間の質の差」はどこから来るのだろうと思いました。つまり、この案は世間知らず役人の考えた理想論だと思うのですが、しかし努力すりゃたいていの人はできると思うのです。しかし、学校によって生徒の差があるとか教員の差があるとか、なぜそんなことになってしまうのでしょうね。人間の能力なんて、生まれたときはたいして違わないのではないでしょうか。それが高校生で英語ぺらぺらになったり、一方ではアルファベットをやっと読めるかとか、どうしてそんなさがつかなくてはいけないのでしょうか?もちろん、勉学だけの問題ではなく、様々な分野についての差がついてしまうのは、なにか人間社会がおかしいんじゃないでしょうか?やる気が出せるとか出せないとか、色々要素があると思いますけども、本来そんな差なんてあるべきじゃないんじゃないでしょうか?それとも、社会には人間の質の差を必要とするのでしょうか?必然的な結果なのでしょうか。
投稿日時 - 2008-12-23 16:09:46
人間の資質と努力の総量から出来上がる結果というか成果は「普通の人間」の間には余り差はないと思います。仰る英語能力0の生徒でも、運動能力がひいでていたり、エレキギターを持たせれば抜群だったりします。要は英語学習まで手が回らないということでしょう。そんないびつな人間が後年ノーベル賞まではいかなくても、そこそこその道でプロとして食って居たりします。資質はともかく、努力については生まれ育った環境なんかが影響するかもしれませんが、要はやる気をどの方面に出すかということで、それぞれの個性の問題なのでしょう。もっとも、私は高卒程度の学力は健常者は全員が持ってもらいたいと思っているひとりですが、困難なことかもしれません。
投稿日時 - 2008-12-23 18:03:55
お礼
総量は確かにそうなのですが、細分化して、いやしくも義務教育という不可避なものに放り込まれる以上、そこではなるべく生産的に言いるべきなのではないかという気がして仕方がありません。もちろん、教育制度自体に矛盾はあるのでしょうが、その矛盾にあえて美しく従ってみるという度量はないものでしょうかね。
まったく、高卒程度の学力は全員無理やりにでも持つべきというご意見に賛同します。
投稿日時 - 2008-12-30 14:40:23
1人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています
ベストアンサー以外の回答(9件中 1~5件目)
No.6です。
>英語に代表される、学力について考えたいと思うのです。
>その「学力差」というものの階層はどうして開いてしまうのか。
それが指向性の差でしょう。英語の勉強に時間を割けば英語が出来るようになりますが、割かなければできるようになりません。
総合的には同程度の潜在能力を持っていた2人がいたとしても、1人が数学科に進んで数学の道へ、もう1人は法学部へ進んで弁護士へ。そうなると、数学に関しての学力では前者が圧倒的に上回るでしょう。たぶん、高校や大学の時点で前者の方が数学ができているかと思います。
子どもの頃から生まれた時代や場所や親や周りの環境などで、どの対象物へ興味を持って向かっていくようになるかが決まっていくのですから、それが差になります。
上の数学家と弁護士の例だと、一方は何かで子供心に「弁護士って凄い」と思うような体験をしたから弁護士の道を目指したのかもしれません。
投稿日時 - 2008-12-28 15:59:51
お礼
英語でも数学でも国語でも、これこれできるくらいはがんばれよと上から言われるのですね。で、そんなこと教育の上のほうは言うけど、知ったこっちゃないよという価値観の多様性、あるいは権限のなさというもの、その個性の尊重か知りませんが、烏合の衆的な価値観の氾濫状態で、努力すりゃできるものを努力しないで学力低下だなんだと言う問題が浮上してくると言う風潮、それを是とするのかという感じです。
優等生と言うのは、学力が偏っていない者を指すと考えています。
投稿日時 - 2008-12-30 14:53:14
どうしても、スピリチュアルリズム(霊魂主義)の問題で考えてしまいます。
例えば、私は、スパゲティーが好きですが。なぜ、好きなのかは、理由は、分からない。ちなみに。刺身とか食べても、全く、味が分かりません。要するに、生の魚は嫌いで、食べれません。
私は、生まれて来る時に、ある程度の、嗜好性(好き、嫌い)を、携えてくるのだと、考えています。
そう考えないと、説明が、つかない。
勉強が好きなのが、良いことなのか、悪いことなのかは、分からないけれども。ある種の性格的な、方向性を、携えて、生まれてくる訳です。まあ、知的障害とか、肉体的な問題もあるのだろうけれども。
で、身体上の問題(体育能力は、8割ほど、遺伝子ではないかと思いすが)と、魂の指向性の問題と、生まれた後の生活上(経験上)の問題がある訳です。
一卵性双生児でも、違う結果になることは、良くあることだから。
ちなみに。一番親の遺伝子が関係するのが、体育で、一番遺伝子が関係ない(生活環境が原因)なのが、数学です。
でも、数学でも、知能検査をすれば、大体、その子の数学に関する能力が分かるらしいので。
で、その知能検査でも、偏差値みたいなのが、出る訳だから。小学校の低学年でさせても。(平均一番多くて、周りが、だんだん減っていく、分布で)
環境だけで、人間が育つ訳ではない、と私は思います。
ちなみに。「努力すれば、誰でも出来るはず」というのは、勉強が好きな人の意見だと思います。「その努力が嫌い」な子もいっぱいいるし。「なぜ、努力しないといけないのか、分からない」子も、いっぱい、いる訳だから。
投稿日時 - 2008-12-26 17:35:18
お礼
なぜ好きなのか、私も自分のことなのに結局わかりません。嗜好性の問題はついに、自律神経的な自己統御不可能な領域なのでしょうね。勉強に価値観を感じるかどうかも然りであると思います。しかし、義務教育から逃れられない以上、もうちょっとそれにあわせてみる、だまされてみるという道も、人類共通の価値観として通用していいのではないか?どうもそうではないらしい。そこまで、多様な価値観と言うものを野放しにするしかないのだろうか?ないようです。
おっしゃるとおり、生まれながらの質、素質の問題も大いに絡んでくると思うのですが、それに甘える問題でもないのではないか?と言う感じです。
投稿日時 - 2008-12-30 14:50:34
能力で他人より先に行くには、ある分野に特化するのが普通の能力者のとる道ですよね とにかく楽な生き方なんです 無理してオールマイテイになると失敗が多いようです 英語は趣味とか仕事で使う人だけが本気になればそれでよろしいかと。
日本のえいご教育は長い時間を費やしている割にお粗末らしいですね
米国財閥の日本企業のっとりを受け入れた手前、英語教育に力をいれる必要があるのかもしれません 米軍も駐留してるし大企業はアメリカ化で植民地としてがんばりましょう
投稿日時 - 2008-12-24 21:54:50
お礼
ある土台と言うのは要るのではないでしょうか?高校数学ができなくても哲学論文はかけるかもしれませんが、それはあやふいものでしょう。英語ぐらいしゃべれちゃえよ、後で考えればいいよ、という気楽さ、「知」への常識的アプローチ感覚と言うものが人類共通にならないものでしょうかね。その必要性強制力等がないと、結局勉強なんてしないものでしょうかね。
投稿日時 - 2008-12-30 14:45:50
指向性の差です。オバマさんはアメリカ大統領になるほどの人です。しかし、彼は日本の中学受験生達ができるような日本の中学入試問題をやらせてもほとんど解けません(日本語が分かりません)
>本来そんな差なんてあるべきじゃないんじゃないでしょうか?
差はあるべきでしょう。
多くのフランス人は日本語を話せませんが、中には話せる人もいます。それは彼らの能力の差ではなく、日本語を勉強することに時間を割いたかという話です。そこで、フランス人に日本語の勉強を強要するのはおかしな話です。
投稿日時 - 2008-12-24 20:33:07
補足
英語に代表される、学力について考えたいと思うのです。その「学力差」というものの階層はどうして開いてしまうのか。
投稿日時 - 2008-12-25 20:00:41
お礼
志向性はもちろんその通りなのですが、卑しくも義務教育という制度から逃れられない以上、その中から充実感を無理やりにでも享受するという頭はないものなのですね。いかに今の教育制度に矛盾があるとしても、「知」ということが、なぜ共通の価値観にならないものでしょうかね。
投稿日時 - 2008-12-30 14:44:08