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アンナ=カレーニナについて 

noname#76229の回答

noname#76229
noname#76229
回答No.11

「年長者の知恵」をgooでも「軽んじぎみな」mashumaroです、あいすみませぬ(笑)。 『吉原御免状』の世界は「刹那」「無常観」「業の深さと宿命」「悲哀」などに満ち溢れていて、ゆえに、 そこで織りなす真っ向勝負な人間模様がより一層小気味良く感じられました。 この点で幻斎に対し、読書前と比較して「タダものではない奥深いキャラ」を自分で勝手に作り上げてしまっただけです(汗)。 >この「アンナの一人問答」が轢死の瞬間に「過去の喜び」に照らされて、「闇が破れる」ように。 >いっぱいいっぱい「考えて」も「判らなかった」事が、ある一瞬の「ひらめき」で「全く違う風景」を見せる。 「この最後の一瞬のひらめき」に浮かんだものは「愛しいセリョージャ」だった、と読んでいてふと思いました。 でも、もっと神々しい漠然としたものだったと思いますか。 あと、「カレーニンの変貌」って一体何でしょうね。 「変貌」というより、彼なりに「どう考えればつらい現実に立ち向かえるか」の試行錯誤の上の末の「賢い結論」だった、と私は思いました。 彼こそ、アンナの轢死を知ってどう思ったかしらね。 彼女への想いは感慨深く、誰よりも複雑だったのではないでしょうか。 それともキリスト者として許されない自殺=神から許されないし救われない存在=「天罰」 と、一人内心ほくそえみ、ほっとした、と思いますか。 私は自慢じゃないですが小説の読書量も読解力も半端なく乏しいので(つまりバカ)、 偏狭で独断的な解釈になることをご容赦下さいませ♪ >サライゼンって、仏の雨靴のメーカーなのでしょうか? ジェリー・サンダルとしては昔からあったようですね♪ 良さげじゃね? 親子でお揃い、なんていうのもイイかもしれませんぞ^^ >「一つの指輪は影横たわるモルドールの国に」←なるほど!!! >「“灰色のおじい”“馳夫”」←これ、わかるかいな(笑)!!! 貴女の半端ない読書量と造詣の深さと知性溢れる文章に心魅かれるの。 だから「ガルシア」で私におっしゃって下さったお言葉を、 私こそ、貴女に倍返しで贈りたいです。 fuji坊さんがいなくなったらさみしいよ。 今後も出来るときで構わないから回答を頂戴ね^^

noname#122427
質問者

補足

こんにちは。日暮れが近いですね。 今日は夕立が来なさそうで、ちょっとつまらないです。 昨日は危うく布団を濡らすところでした。その後は子供達と「雷鑑賞会」と、お風呂で「かみなり様のお祭り」の即興お話会。 子供達に、即興でよくお話しするので、それも書き留めておかなきゃ~~。「うんちの行列」って言うヤツが一番人気なのですが。。。汗 >「この最後の一瞬のひらめき」に浮かんだものは「愛しいセリョージャ」だった、と読んでいてふと思いました。 私もそう思います。アンナが唯一「純粋に愛せた」のがセリョージャだったと思います。ヴロンスキーもカレーニンも、ドリィも、「愛している。でも。。。」と、「注釈」が付くけれど、セリョージャだけは「愛している」だけの存在だったのでは?と思います。 本当の「死の瞬間」って、そうありたいですね。。。。「人生を振り返って」死ぬのがいいなあ。。。私はただ「引きずり込まれた」だけで、もしその時死んでいたとしても、それは「本物の死」では無かったなあ、と思います。「何に換えても守りたい」と思っていた(筈だった)末の兄弟の事すら「思い出さなかった」私です。ただ「空っぽの暗闇」だけしか見えなかったから。。。あの時死ななくて良かった~~~~ >彼こそ、アンナの轢死を知ってどう思ったかしらね。 あ~~それ、すっかり考えてませんでした!!大汗。 でも「ほくそ笑んだ」とは思えません。と言うか、思いたくないです。 >神から許されないし救われない存在 までは、思ったとは思いますが、「それでも切り捨てられない情」のような、複雑な「愛情」が残ったのでは?と思いたいです。例え、「小説の中の人物」であっても、「悪く思いたくない」のが私です。私が誰かを「悪い」と判断するのは、手を尽くして「解釈」し尽くした「最後の手段」なのです。「甘い」ですか? とにかく「再読」ですね! >「年長者の知恵」をgooでも「軽んじぎみな」mashumaroです、 そうなのですか? でもそれは、お姉様がそれだけ「知恵を得ている年長者」だからでは無いのですか? 私は、同年代の人たちより年長の人と話すのが好きです。「無条件で」敬意を示せるので。(逆に言えば無条件に「自分を卑下」出来るって事かも知れませんが。。。) 同年代の人に対しては、ついつい「競争心」を抱いて、相手を「否定」したくなってしまう自分が嫌なのです。どんな人からも「学ぶべきもの」ってあると信じているのですが、同年代を前にすると、「無条件に」と言う訳には行かなくて、自分の「未熟さ」にうんざりします。 うわっ!!  すごい勢いで空が黒くなっちゃいました。雷来るかな~~わくわく!

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