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アンナ=カレーニナについて 

noname#76229の回答

noname#76229
noname#76229
回答No.8

こんばんは♪ 北京で数冊読破しました。 『アンナ=カレーニナ』の「アンナの轢死~ヴロンスキーの出征」の部分は3回読みました。 アンナの「一人問答」も十分理解できたし、何よりfemme fatale(運命の女)に巡り合ってしまったが故のヴロンスキーの破滅がたまりませんでした♪ 愛する人を「生ける屍」としてしまうアンナの完璧なまでの美と知性と狂ったような凄み。 周囲の目とは異なり当事者二人にしてみたら「望むところの結末」を自ら選択できたのだから案外良かったのでは、とさえ私には思えました。 変な解釈でごめんなさいね~。 逆に私はその後のリョービンの「一人問答」を軽~く流してしまいました。 トルストイのポイントがここだったらまるっきりハズしているわね(笑) 『吉原御免状』も読みました! one-H様、ご推薦どうもありがとう、面白かったです♪ でもね「幻斎=bagnaオジサマ」のイメージがほとんど沸かなかったのは何故?(笑) 北京は花も咲き乱れなかなかに良かったですが、空気が澱んでひどかった~。 フェアプレー精神の無さ、列の当然ともいえる割り込み、食事のマナーの悪さ、不衛生な面、平気で中年男がシャツをまくってたるんだお腹をさらけ出す!など 民意度の低さは相変わらず健在でした。 『毛沢東の私生活』に著されたような「入浴嫌い」や「若い女性をとっかえひっかえ」なんてことなど、 「あの民衆を束ねる奇跡」に比べたらぜ~んぜん取るに足らない問題なのでしょう(笑) 故宮内の『珍妃の井戸』は私でも入るかな~?というほどに狭く、 あれって本当に両手を縛られての暗殺だったのか、と思うとちょっと切なく思ったりもしました。 ダルビッシュ(長髪)を生で応援できただけでも満足♪ フォーボールの際に手を叩いて喜ぶ中国人を思いっきり睨んでやったわよ。 会場内で売ってた「葡萄入り食パン一斤」をかじりながらね^^変な食文化!

noname#122427
質問者

お礼

こんばんは。 >「アンナの轢死~ヴロンスキーの出征」の部分 今読み返し中です。。。ですが、なんだかすっごく「面倒くさあ~~」と言う気分で困っています。 アンナは「お腹が満ちて」「体はさっぱり」「差し迫った用事が無い」時に読まないと、「全然判らない!」って本です。(ちなみに今「腹ぺこ」で、「風呂待ち中」の「中途半端」な時間です。) この物語には、「ひらめき」の瞬間が何度か有りますよね。この「アンナの一人問答」が轢死の瞬間に「過去の喜び」に照らされて、「闇が破れる」ように。いっぱいいっぱい「考えて」も「判らなかった」事が、ある一瞬の「ひらめき」で「全く違う風景」を見せる。 「カレーニンの変貌」もこんな感じなのでしょうか。。。これって何でしょう。。。「百聞は一見にしかず」とか、「考える前にやってみろ!!」みたいな事なのでしょうか? (私は「人生をよりよく生きる方法(考え方?)」を得たいのですが。。。)そんな事を考えながら読まない方がいいのでしょうか。 小さい頃から、「本の世界」~「現実」って、「区別」出来ないのです。見事に「頭からどっぷり」浸かり切って「成り切って」読むので、登場人物の感情に降り回されるのです。「言葉遣い」までうつりますし(汗)。 だから、中学の頃には「すっかり疲れて」、自分の感情と「本で体験」した感情がごちゃ混ぜで、「自分の輪郭」を見失いそうで怖かったです。「読書は疑似体験だ、人生が豊かになるぞ~~」って言った先生がいましたが、私は「ややこしくなるだけだよ~~」って思って聞いていました。 >『毛沢東の私生活』に著されたような「入浴嫌い」や「若い女性をとっかえひっかえ」なんてことなど、「あの民衆を束ねる奇跡」に比べたらぜ~んぜん取るに足らない問題なのでしょう(笑) そこまで「欠点をパーに」出来る「才能」って、憧れますけど、身近な人間は大変なのかな。。。「天才」のそういう話はよく聞きますね。「大きな凸」は「大きな凹」を「伴う」ものかも知れませんね。。。私の凸はど~こかな~~? 話変わりますが、サライゼンって、仏の雨靴のメーカーなのでしょうか? お姉様ならご存知かな?と。。。編み上げブーツ型の白いのを一目惚れして、オークションで落としたのですが、メーカーの評判ってどうなのかな?と思ったので、何かご存知でしたらお聞かせください~~

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