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自由と平等
自由と平等は同時に成り立たないということを習いました。今度、現代における具体的な事例を挙げて自由と平等の関係について小論文をかきます。自由を求めると平等がなくなり、平等を求めると自由がなくなることについての事例といったらどういうものがあるでしょうか。あまり実感のないことなのでわかりません。
- very0325
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No2です。 >具体的に何の機会が自由で平等なんですか? 日本の場合でいうと、誰でも収入の如何に関わらず学校にいけますし、上級の学校も受験できます。 また、一定の資格(学歴)さえあれば、どこに就職しようと、進路を自分で選択可能です。 このように入り口段階までは機会均等になっています。 小学校入学のスタート地点では、誰しも条件は同じわけです。 後は個人の努力と、本人のもっている資質でどういう進路を選択できるかが決まっていきます。 ここで、今の小学校教育で勘違いな指導があり子供たちは迷います。 曰く『誰でも努力すれば夢は叶う』という教えです。 これは結果平等を求める誤った考え方です。 例えば、いくら努力してもマリナーズのイチロー選手のようには誰も彼もなれるわけありません。 そこには、個人の持った能力の限界がありますから… 勉強でも同じです。 結果の平等を求めると、悲劇も生みかねません。 自分の能力の限界をどこで知らせていくかも、義務教育の大きな役割ではないでしょうか? また、日本の運転免許制度も年齢さえ足りれば受験は自由で何の制約もありません。 ただし、結果は本人の努力次第で誰しも平等に免許を貰えるわけでは無いですね。
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- googahaku
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最も基本的で、卑近な例として、「格差社会」をあげることが出来そうです。 自由競争に任せておくと、所得格差はどんどん広がるのが人間社会の本質ですが、これを少しでもかさ上げして平等を保とうとすすと、自由が制約されます。 要は、地域や時代の要請によって自由と平等の比率をどこにおくかにかかるのでしょう。現在のアフリカ貧困国では平等の比率を高く、欧米先進国では自由の比率を高く。 わが日本ではどうでしょうか?戦後、一貫して超平等社会を築いてきましたが、規制緩和とかで自由の比率を高めたところ、格差が拡大、今度は平等を求めなければならなくなってきた。有為転変、政治・経済は時々の舵取りが難しい。
本来自然状態では真の自由も真の平等も有り得ませんからそれらを実行するには膨大なエネルギーを使います。しかも常に両方のバランスを監視しながらです。 しかし多くの人々は【自由】にも【平等】にもあこがれるし私は自由や平等なんて大嫌い!と言える勇気の有る人は中々出てきません。共産党でさえ自由と平等、民主主義云々って言ってますもんね。 でも自由には当然制約があります。慣習、思いやり、法律などから逸脱しない範囲でという事です。 無制限の自由は無秩序を生み、それは文明の否定であり結果として人間が人間らしく生きる事が出来なくなります。 >自由を求めると平等がなくなり、平等を求めると自由がなくなることについての事例といったらどういうものがあるでしょうか。 一例 自由に経済活動を行った結果人々の豊かさには当然大きな差が出る。差が出れば豊かさに由来する権力や生活水準にも大きな違いが出る。結果として不平等になる。自由を重んじれば結果として必ず不平等の部分が目立って来ると言う訳です。 逆に結果平等を推し進めるなら個々の能力や行動に大きな制約を課すことを認めざるを得ません。それはつまり自由ではないと言う事になります。結果の平等を推し進めると必然的に低い方の水準に合わせざるを得ず能力ややる気の有る人にとっては苦痛以外の何物でも有りません。 なら機会の平等なら全てうまく行くか? 人間は義務教育の9年間でさえ個々の学力には極めて大きな開きが出来る。この期間は教育の機会にはそれほどの差は無いにもかかわらず結果は大きな差が出る。 機会を平等にしても結果には大きな違いが出ますね。 しかし本当の意味での平等など物理的に絶対に不可能ですから要は何事も程度問題だと思いますね。 結局一度方針を決めておけば未来永劫理想的に社会が機能する、などと言う事は無いのです。絶えず社会を見直して看過できないほど大きな矛盾が生まれそうな場合それを修復する働きが必要だという事です 機会用語でネガティブフィードバック(負帰還)と言う言葉があります。 これは外乱の影響をなるべく受けないように絶えず微調整を繰り返して一定の結果を得ようとする働きですが自動車の運転を考えると負帰還(常に見直す)と言う物の重要性が分かります。目を瞑っての運転など100メートルもまともに走れませんね。 これは全ての生物に元々備わった特性でvery0325さんもおなかが空けばラーメンを食べるが満腹になれば自然とやめますよね。体温調整にしても同じ、この機能が有るからこそ生命は生きながらえて来たのです。 人間社会と言う生命体も全く同じで未来永劫存続させようと思うならフィードバック機能は絶対に必要です。 自由、平等どちらも欲しいなら絶えず負帰還をかける事が必要なのです。本来自由と平等は正反対の概念ですから。
- edoduki
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この手の問題に基本的には日常生活は関係ない話です(結果的には関係しますが)。 平等であるというのは、階級制や身分制の打破のために盛んに叫ばれ、政治運動の一要因ともなって社会を動かして来たものですね。日本では部落差別などの打破のために活躍した要素ですね。 自由というのは特に米ソ冷戦期に最も活躍した言葉で、対共産主義への対応としてアメリカなどが中心になり共産主義の批判と米国民主主義の自由のアピールによって民主主義の象徴的位置づけとして宣伝されたものですね。まっ米国では開国以来何かとこのスローガンを上手く使い分けて来た訳ですが、細かい事を言い出せば自由 平等 博愛 などフリーメーソンなどに行き着きますが。
- dai-ym
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>自由と平等は同時に成り立たないということを習いました。 もっと言えば誰もが自由だと思える社会も、誰もが平等だと思える社会も成り立つことが出来ません。 自分の自由と他人の自由はぶつかり合い、どちらかが犠牲になることが多々あります。 平等も何に対して平等とするかによって変わって来ます。 2つの家族(5人家族と3人の家族とします)が居て、200万というお金を平等に別けるときに、 単純に1家族に100万とするか、家族の人数ごとに別けて125万と75万に別けるのか。 どちらも平等といえるしどちらも不平等といえます。 このように平等って言うのは一つではないので、誰もが平等ではなくなります。 >平等を求めると自由がなくなることについての事例といったらどういうものがあるでしょうか。 平等に仕事をしないといけなくなった場合、仕事をしたくない人が働かない自由もないし、もっと働きたい人が働く自由もなくなります。 経営者が人を雇うのに関して本当に自由に雇って良いとなったら、障害者の方は働くことが難しくなるでしょう。 では、これは平等なのか。 健常者から見たら平等だと思う人も居るでしょう。 障害者の方から見たら平等では無いと思うでしょう。 そして、これは障害者の方に働くチャンスが無いといえるのでしょうか? 自由という言葉も平等という言葉も非常に難しい言葉で、 多くは自分を正当化させるために使う人が多いだけの言葉になっていると思いますよ。
- sasuke4
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人間には良識と言うものがあります。何でもかんでもここまでと言う線はありません。TPOによりここまでは良いがこの状況ではここまでと言うものがモラルであり良識だと思います。例として裏口入学を例に取れば金のある人間だけが良いといわれる教育を受けられる。こつこつ努力して入学試験で合格して入学した場合入学する事事態は平等です。が裏口入学する人間は金のある人間が好きに使うのは自由だと主張したらモラルが壊れるね。電車の中で化粧するのも他人に迷惑かけていないから自由だ誰でも化粧をするのも自由、ちょっと考える必要があると思います。ほんの数年前はバスの中で喫煙をしていた時代もありましたから自由と平等は車の両輪で良識を十分発揮すべきだと思います。
- jamiru
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自由を求めると最小公倍数。 平等を求めると最大公約数。 だっけ?反対かもしれないw
>>自由と平等は同時に成り立たないということを習いました。 法律尊守でいかなる人間も、平等に活動する自由があるわけで、同時になりたっているのではないでしょうか。結果として、格差がでるのは仕方のないことですが、限度を超えた方には社会保障で助けなければなりません
- Bayonets
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結果の"自由と平等"を求めると成り立ちませんが、 共産主義国が試行してましたが失敗してます。 機会の"自由と平等"なら成り立ちます。 日本を始めいわゆる西側諸国ではおおむね上手くいっているみたいです。 しかしながら、日本では、いまだ結果の平等を求める勘違いな人が多くて教育現場など混乱していますね。 いわく高校全入制とか、テストや運動会で序列をつけたらいけないとか…
補足
回答ありがとうございます。 西側諸国の"機会の自由"と平等について詳しく教えていただけませんか?具体的に何の機会が自由で平等なんですか?
- rikukoro2
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極論ですが・・・ 人を殴るのも自由 人を殺すのも自由 人を騙すのも自由 人をレイプするのも自由 しかし、人が人に関与した時点で被害者とゆーものができ 平等ではなくなりません お金がほしいので、がんばって稼いでも賃金は みな平等に・・・ いっぱい勉強しても、就職は全部平等に・・・
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みなさん様々な回答本当にありがとうございました。おかげさまでそこそこの文章を書くことができました。