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日本語の不思議

asamikanの回答

  • asamikan
  • ベストアンサー率51% (78/151)
回答No.3

おっしゃるように、基本的には 生物=いる 無生物=ある なのだと思いますが、例えば同じ「人形」でも、それが生きているように感じたり捉えたりする場合は、「人形がいる」といった言い方になるでしょうし、単なる物として捉えた場合は「人形がある」となるのだと思います。 愛着のある・なしでも変化するように感じます。 また、既に他の方の回答にもありますように、無生物でも動くもの(車やロボット等)に関しては「いる」と表現することがあるとおもいます。 要するに、意思をもって動くもの・動きそうなもの・動かなくても意思がありそうなもの・こちらにはたらきかけてくるもの等に対して、「いる」と表現するように思います。 また全く同じものでも、それを言葉にする本人がどう捉えているか、どう表現したいかで、言葉が変わってくるということではないでしょうか。 日本語って面白いですね。

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