締切り済みの質問
3人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています
回答(10件中 1~5件目)
死刑に存廃論は、長い間、討論されてきました。一般の方は別にして、教会の牧師達の中でも多くの人が死刑反対の立場に立ています。彼らは、神様は愛だから死刑はあってはならないと思っているみたいですが、神様の十戒は人を殺すなとおっしゃり「出20:13」、殺人者は必ず殺すように命令なさりました「民35:31」。それは、血を流せた人の血によらずには、流された血について清くならないからと説明なさります「民35:33」。しかし、故意的な殺人とは別に過失致死については保護しました。神様は愛だから、全てが赦されたと思うのは、非聖書的です。神様は自ら血を流し、全ての人々を救いましたけれども、それを信じない人は相変わらず地獄に送ります。神様は、相変わらず、地獄の鍵を握っていらっしゃいます。マタイ3:11。啓示録20:14。
投稿日時 - 2007-12-03 22:20:20
イエスは死刑制度を肯定していたか否かということですが、
否定とか肯定とかいう以前に、死刑制度に対する疑問を
持っていなかったのではないでしょうか?
なぜなら、当時のユダヤ社会において死刑は当たり前のことだったからです。
ただ、聖書の中に姦淫の女をイエスが赦すというエピソードがあります。
当時のユダヤ教では姦淫の罪を犯すと石打にして殺されたようですが
イエスは「罪を犯したことがない者からこの女に石を投げなさい」
と言って、彼女を取り囲んでいた人々が去ったあと
「私もあなたを罪に定めない」と言って彼女を赦します。
ここで言われているのは、「人は人を裁けない」
ということだと私は思っているのですが、ここから考えると、
イエスは安易に人を裁く事に対して否定的であったと考えられます。
このようなイエスの姿を消極的肯定とみるか、否定とみるかは
イエスについて考える私たち次第なのではないでしょうか。
キリスト教の中に、死刑反対派と肯定派がいるのか知りませんが
そのような差異が生じるとすれば、
その要因はイエス観の差にあるのではないかと思います。
投稿日時 - 2002-09-18 23:48:32
お礼
>否定とか肯定とかいう以前に、死刑制度に対する疑問を
>持っていなかったのではないでしょうか?
>なぜなら、当時のユダヤ社会において死刑は当たり前のことだったからです。
当時の「当たり前の状態」に疑問を持ったので、
なんらかのアクションを起こそうとしたのではないのでしょうか?
現に戒律主義という当時の「当たり前のもの」を否定していたと思います。
>キリスト教の中に、死刑反対派と肯定派がいるのか知りませんが
>そのような差異が生じるとすれば、
>その要因はイエス観の差にあるのではないかと思います。
死刑を容認するかどうかということは、
その宗教の教義を理解する上で非常に重要なポイントと思えますので、
それが個々の信者の教祖観に委ねられてしまうとしたら、
なにかこう、教義の不徹底さを感じてしまいますね。
ありがとうございました。
投稿日時 - 2002-09-20 13:59:05