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開発援助と人類学の関係

Idrissaの回答

  • Idrissa
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回答No.1

貧しい国の人々自身によって語られる言葉の意味での、より良い方向への変化を開発と定義するなら、開発援助を受ける国は、それにより文化面だけでなく、政治・経済・社会などあらゆる側面で、より良い方向へ変化するはずです。 しかしながら実際にはそうなっていない。開発援助によって、伝統的文化様式が退化したり、自然破壊が起こったりします。これは誰が悪いというものではなくて、開発援助をする側も、受ける国もより良い開発を行うための方法を良く分かっていなかったからでしょう。とりわけ今まで多かった過ちは、開発援助をする側が自分たちの開発観を優先させ、開発援助を受ける国やそこに住まう人々のことをあまり考えずに開発を進めてしまうというものでした。 人類学は、まずこの点に注目してきました。とくに開発援助により起こる文化面での変化について、欧米の人類学者たちにより、よく引き合いに出されるエピソードは、1930年代のオーストラリアの話です。北部クイーンズランドのアボリジニーであるイル・ヨロントの人々の間に伝統的な石斧に代わり、宣教師達が持ち込んだ鉄斧がもたらした混乱の話でした。イル・ヨロントの人々にとって石斧は、その材料となる石や木そしてゴムを、周りの社会との交易によって入手し、柄・接合部・刃といった部位毎に異なる工芸人の手がかけられ、出来上がったものは主に農耕に携わる男性によって所有されるといった、社会文化的に重要性の高いものでした。ところが、石斧を作るために大変な時間をかけるアボリジニーの様子をみて「効率が悪い」と思った宣教師達は、自分達の持ってきた鉄斧をイル・ヨロントの人々にばら撒きました。そうすれば、石斧を作る時間を節約でき、農耕の生産性が高まると単純に考えたのです。 しかし効果は逆効果で、石斧を作る必要の無くなったイル・ヨロントの人々は、交易活動と石斧の生産活動を衰退させ、男性に限らず誰もが斧を自由にもつことができるようになった分、男性の社会的地位が後退し、人々は鉄斧を巡ってつまらぬ争い事まで起こしたのです。挙句の果て、それまで石斧を作るために使っていた時間を、仕事がないから昼寝の時間に変えてしまいました。 このエピソードがもたらす教訓は開発援助をする側を宣教師、受ける国をイル・ヨロントになぞらえるなら、相手の社会や文化を深く知ることなくして開発をする側がいたずらに何でも援助すべきではないといったところになるのでしょうか。この流れでありがちな人類学者の反応は、反開発の立場を取ることです。人類学者は長いこと開発援助に反対して伝統文化を擁護する立場を主に取り続けてきました。 しかし、今では開発援助と人類学をめぐる議論はもっと深化し、社会の開発がやむを得ないものであるなら、より良い状態にするために、開発援助をする側も、受ける国もいっしょに考えながら取り組む方法を模索する傾向に進んでいると思います。こんなところでしょうか。もう知っていたらごめんなさい。 参考になる本(たくさんありますが1点だけ) ロバート・チェンバース 著、野田直人&白鳥清志 監訳 『参加型開発と国際協力-変わるのはわたしたち-』 明石ライブラリー24 明石書店(2000)

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