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小説の神様って???

tera2002の回答

  • tera2002
  • ベストアンサー率17% (98/561)
回答No.3

rossettiさまこんにちは。 レスありがとうございます。 人の好みははどうしようもないですね。無理して好きにならなくてもいいのでは。 私は、ここ2年程前から淺田次郎の小説に惹かれています。通俗的とか馬鹿馬鹿しいとかいろんな声もあると思いますよ。でもね、自分が読んで一筋の涙を流し、心に染み入ればそれでいいと思っています。 「霞町物語」とか「月のしずく」という短編集の中の作品などは本当に好きです。 人間ってそう、難しいものではないのですよね。 「48才の抵抗」を読んだのはあまりに昔で内容をここに書けませんから↓を参照してくださいね。 またお話できるといいですね!

参考URL:
http://www.esapp.co.jp/61.htm
noname#2065
質問者

お礼

tera2002さん、早速のお答えありがとうございました。 tera2002の読書観には全く同感です。 自分がそれを読んで、考えさせられたり、慰められたり、 喚起されたり・・・・ 読書は極めて個人的な営みですからね。 正直tera2002さんに顔向けできないなぁと思うのは、 わたしは文学部出身ですが、近頃全くといっていいほど (新聞以外の)活字から遠ざかっているということなんです(赤面) 「本を読まない人間は弱い」といつもおもっているのですが、一旦本との回線が切れてしまうと再び元にもどすのが とても難しいのを痛感します。 わたしは10年ほど前から。つまり30代に入った時から 読書から映像に移りました。 劇場には足を運びませんが年間150本くらいのビデオをみます。 読書の薬効を30倍くらいに薄めたものとは思っていますが、それでも見ないよりはマシですよね(笑) 「48歳の抵抗」・・・・サラリーマンもののようですね。 最近「江部利満氏の優雅な生活」という映画を見ました。 ご存知とは思いますが山口瞳の・・・・ 「48歳の抵抗」も映画化されているようですね。 観てみたいなぁ。 オイオイ、読書じゃないんかい!

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