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小説の神様って???

tera2002の回答

  • tera2002
  • ベストアンサー率17% (98/561)
回答No.2

rossettiさんおはようございます。 #1のかたの素晴らしい文のあとで申し訳ありません。 わたしも中学生時代に「走れメロス」の解釈を通じて太宰に興味をもちほとんどの作品を読みました。 このころは石川達三の「48才の抵抗」なんかを読んでいたのですからなんという中学生なのでしょうね。(^^ゞ 今、再びこの年で読み返したいと思っています。 何年か前から朗読に参加し、題材として志賀作品集を読み進みました。 朗読というものはすごいものですね。一作をとことん解釈して読み進むと見えてくるものがあるのです。 わたしもそれまでは,なんでこんな作品が。。。と思っていたのですが、ちょっと考えを改めた次第です。 月並みですが「鴛鴦のちぎり」など面白かったですよ。独特の観察眼に。いずれにしても作品を通してその人が見えてくるので「書くこと」ということは怖いですね。 私は、図書館で坂口安吾のエッセイを読んでいままでの彼に対する偏見がとんでいきました。 生まれる時代が早すぎたのだなって思いました。 なんにしても本はいいですね。

noname#2065
質問者

お礼

tera2002さん、お返事ありがとうございました。 本題からそれてしまいますが、石川達三の「48歳の反抗」ですか・・・・寡聞にしてはじめて聞くタイトルですが、来年40を迎える身にとっては興味をそそられるタイトルです。 tera2002さん、よかったら、どういう内容の小説(?)なのか簡単で結構ですので教えて頂ければ幸いです。 坂口安吾は我が大学の先輩と言うこともあり、是非読まねばと思いつつ月日は流れていきました(苦笑) 「三つ子の魂百まで」といいますが、わたしの志賀作品への拒絶はきっと直らないでしょうネ(^^;) おっしゃる通り、本はいいですネ(^。^) ありがとうございました。

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