• 締切済み

創価学会が約束した通りに幸福になった学会員はどれぐらいいますか?

私の家族は40年以上創価学会で活動して来ました。 10年20年で幸せになると聴いて来ました。 少なくとも死ぬ前の5年間は、あらゆる幸福を得ると指導されています。 「5年間、毎日毎日楽しく暮らせる。死ぬ前は、ほんとうに丈夫で、お金があって、家が平和で、行きたい所に行けて、思いどおりになる」と折伏教典(p55~p57)にも書いてあります。 しかし、私の家族は、そのような幸福を得ていません。 私の家族は信心もあり活動も立派だと想っています。 それでも、信心が足りなかったのでしょうか? 私の家族が信心がまだ足りなくてそのような幸福が得られなかったとしても 私の家族よりも信心のある家族は、そのような幸福を得られはずですが、 私の知る限りの学会員もそのような幸福を得て死んで行った方はほとんどいません。 家族に聞いてもそのような幸福を得た学会員は聞いたことが無いと言います。 私と違う地域に住んでいる学会の活動家で信頼できる友人に聴いても、そのような幸福を得た方は知らないと言います。 ここを見ている創価学会員の方で、ご家族にそのような幸福を得た方が沢山いますか? 周りの学会員にそのような幸福を得て亡くなった方が沢山いますか? 沢山でなければ、どれぐらいの割合でいるでしょうか?

みんなの回答

  • mtld
  • ベストアンサー率29% (189/643)
回答No.5

私の所にやって来る 何処かの おばさんは幸せになったと言っておりましたが~ 最近は選挙の度に来ます 直接の知り合いではありませんが支部長をされていた方で会社が倒産したら 「支部長ともあろう者が倒産とは面汚しだ」 と言う上の幹部の言葉の噂を聞いて脱会したとか 日本は45年位前に始めた高度経済政策の結果 物価は約3倍になりましたが収入は10倍になり 実質収入は約3倍となって誰でも車を持てる国になりました (現在高卒国家公務員の給与は40年位前の丁度10倍です、軽自動車は3倍になりました) その結果 国際的地位も上がり アメリカについで二番目の経済大国となったのです そんな訳で日本では誰でも 少なくとも物質的な面では生活は楽になったのですが代償に精神的な面が失われました 大事件のニュースがほぼ毎日のようにあり 金額は億単位です 一昔前はたまに起こる位で百万円でも大事件でした 10倍処ではありません 台湾,韓国,中国も同じ経済政策を取り 年々収入が増大し国際的地位も上がって来ている事はご存知と思います 先のおばさんは情報に疎いだけでなく 思考能力の面でも弱いようで 教典も聖教新聞も読んでないようです 読むのが苦手の模様で 質問しても答えられず恐らく教わった事を題目のように唱えるばかりで話が噛み合いません 人との付き合いの狭い事が良く解ります 皆がそのような方ばかりとは思いませんが少なくも無いのでは と思ったりもします つまり高度経済政策の結果と混同している方も多いのではないでしょうか? 又は 先の方の仰る 「生活に困らない程度の金さえあれば、金持ちです」 と言う事ではないでしょうか? そもそも  1、少なくとも死ぬ前の5年間は、あらゆる幸福を得る  2、死ぬ前は、ほんとうに丈夫で、お金があって、家が平和で、行きたい所に行けて、思いどおりになる このような事を希望的に受け取りたい方はいるかも知れませんが まともに受け取る方はいるのでしょうか? 仮に事実としてもです 病気が治る お話も出てますが 聖教新聞を見た事がありますので どの程度治っているかは想像が付きますけれど 桁違いに多く治る他教団 少なくとも4つ程知っております 二桁位 桁が違います 医者が真っ青になりそうな位です 知らない方は そんな事ある訳無い 宗教で治る訳無いと言います 以前過去ログを見ましたら池田会長ご子息の お一人は若死にしておりますね? これを不幸と決め付けられませんが

noname#173349
noname#173349
回答No.4

学会員です。 創価学会の信心を実践すれば、どんな願いも、どんな祈りも、絶対に叶う。絶対に幸せになる。自分の願いの人生を歩めるようになるとよく言いますが、 本当に、そうなりますよ。大いに断言できます。しかし、人生は、甘くはありません。幸せといっても、それを創るのは、自分です。 人生を歩むのは、自分自身です。「幸せの種」を育てるのにどれだけ苦労したか。その苦労が「果実」を決めるのです。 努力のぶんだけ、結果があるのです。100の努力で、200の結果を出すのは不可能です。どんなに金持ちになりたいと願っても、血のにじむような努力をしないのだったら、なんにもならない。願いが簡単になってしまったら、その人の堕落につながってしまいます。 僕の母は、かなりのバリバリの創価学会員です。小学生の頃から友人に信心の話をしてたくらいですから。しかし、僕からみても、母はひとりの平凡な庶民にすぎません。悩み多き凡夫の一人にすぎません。 しかし、心は無敵です。あなたのお母さんも、疲れる日も、涙する日もあるかもしれませんが、一度だって絶望したことがありますか? ないでしょう。あなたの母は、強いんです。信心があるから。 これが、どれだけ幸福なことか。お金が何億あるよりも、「絶対に大丈夫だ」と確信できる信仰があることのほうが、ずっと幸福だと思いますよ。 今の池田名誉会長の姿を見てください。だれが見たって、輝かしい姿でしょう。なんといったって、あれだけ世界から賞賛を浴びて、悲願であった世界広布の基盤も成し遂げて、多くの人を味方にすることができた。 純粋な宗教指導者として、使命を果たしぬいた喜びははかりしれないと思います。もちろん、それらは社会的な表面上の現象にすぎませんが。 しかし、そんな池田名誉会長だって若い頃は、死ぬほど苦労しましたよ。弱い体で、必死に勉強し、血を吐きながら働き、ガリガリになっても、師匠を離れずに、信心のなかで頑張りました。この信心を捨てずに、この信心にすべての生涯をかけて生きてこられた方です。世間も、そんな会長のことを嘲笑しました。非難もしました。何度もデマを書かれたのもご存知でしょう。 挙句の果ては「破門」です。すべてを切られたのです。ここまでされたら、宗教団体も終わりでしょう。ところが、創価学会はどうでしたか? 滅びるどころか、どんどん発展していきましたね。 戸田二代会長の言葉ですが、 「病気のない人生など、つまらない」とか「私は、生活に困らない程度の金さえあれば、金持ちです」とか、おっしゃってます。 仏の大歓喜に比べたら、金などはちっぽけなものだ、仏の大境涯に比べたら、病気があったほうが楽しいくらいだ、こういう意味だと思います。 戸田先生は、仏法に命をかけて戦った人だから、ここまで自分の境涯を広げて、幸せになることができたのですね。戸田先生も池田先生も、ふつうの人じゃ耐えられないような苦しみを耐えて耐えて耐え抜いて、題目をあげて、信心一筋に生きてきたからこそ、「なにも恐れない命」になった。「生きていること自体が楽しい境涯」を開けた。 こう思います。 「どうせ生きるならば、綺麗な奥さん、あるいはしっかりした主人と結婚して、お金をたくさん儲けて、裕福に暮らしたいですな? しかし、どうも、そうはいかないものです。 大聖人の仏法は、しかし、金持ちになりたいと祈れば、『金持ちになれる原因』を即座につくってくれるのです。即座にですよ! なにも心配することは、ありません。素直な信心で、折伏もしていけば、必ず幸福になるのです。ならないわけがありません!」 戸田先生の指導です。しかし、幸福というのは、つまるところ、自分自身の「命」の問題です。お金よりも、心です。命がどれだけ元気に動いているかにつきると思います。

mattandesu
質問者

補足

ご回答有り難うございます。<(_ _)> 補足だらけですみません。 あなたは、戸田会長よりも仏法を悟られているようですのでお伺いします。 創価学会の信心に功徳のないことを、信仰者の努力の無さにいつまで責任転嫁するのでしょうか? 創価学会員も自殺しています。絶望したからではありませんか? 池田名誉会長が名誉教授となっている中国の現役大学生に、池田大作の名が学内で登場したことがあるかを尋ねたところ「4年間に一度も無い」と返事がかえってきました。どうしてでしょうね? 一方で病気が治ると断言し、一方で病気もあった方がいいかのように指導する。 都合が良すぎませんか? 名も無い一千万(?)の庶民の力で連続大勝利させた公明党が与党になっても 多くの学会員が苦しみ、中小企業が苦しみ、老人が苦しみ、病人が苦しみ、障害者が苦しみ、自殺者は増え続け、悲惨な殺人事件は後を絶たず、沖縄の貴重な海を破壊してまで新基地は作られようとしています。(基地否定、依正不二の思想はどこへやら) 池田名誉会長がもっとも対談を重ね平和思想の影響を受けたはずの中国の軍事的脅威の増強。 それでも世界中から名誉をもらって「生きていること自体が楽しい境涯」が仏でしたっけ?? あなたは、他の願いは叶わなくてもそんな脳天気な境涯になればいいというのですか? 功徳の無いのを「心」の問題にすり替えるのが邪宗だったと記憶していますが。。

  • ami1007
  • ベストアンサー率50% (1/2)
回答No.3

信心が、足りなかったかもしれまけんが、父は亡くなってしまいました 55才。母は、一生懸命やっていましたが。それまでの間学会の方が、よく家に訪れていました。母は、父が亡くなった後、学会に関連する物、全部返しました。そして、脱退して新しい仏壇を購入しました。物心つく頃から聞いていた、題目もいっさい聞かなくなりました。辞めたからって不幸??らしき事もなく、平和な毎日です。もちろん学会に関係ない宗派で、毎日お線香をあげて、手を合わせています。時どき、学会の人は、選挙の時訪れますが。かえって、すっきりしました。どの宗教だって、先祖を大事にしていればいいのではないですか。

mattandesu
質問者

お礼

大切な情報を有り難うございます。 私の知合いの学会員にも、若いのに病死、事故死、自殺した方々がいます。 それだけで、学会の信心の力に疑問は持ちませんが、 ほとんどの学会員が、病気や経済苦や対人関係や災害でいつまで経っても苦しんでいるのを見て、大いに疑問を持っています。 あなたのお知り合いで20年以上の信心をした学会員は、何不自由ない境涯になっているでしょうか? 私の周りの学会員同様、いつまで経っても不幸ではありませんか? そのような情報がありましたら、また、お知らせください。

  • souzoku
  • ベストアンサー率47% (22/46)
回答No.2

そうですね。昔、学会活動で知り合いになった熱心な学会員の家庭は、皆さん、幸せですね。ただ、まだ、ご健在ですので、今後成仏できるかどうかは、不明ですが。その人は、てんかんの持病がありましたが、信心のおかげで、その病気を克服して、奥さんと子供に恵まれて、又、会社でも,重用されて、経済的にも、安定した人生を、送られています。

mattandesu
質問者

お礼

再度の御回答有り難うございます。 そのように幸せを掴まれた例は、少ないですよね? 私の非常に遠い知合いにも、警備会社の社長で成功して、恐らく仰るような幸せに恵まれた方がいました。 しかし、私の周りの学会員は、50年近くも信心しているのに、いまだに、 病気、対人関係、経済問題、災難などで苦しんでいます。 幸せになる確率が信心をしてない方や他の宗教をしている方とそれほどの差があるのかと疑問に想って質問いたしました。 ある会合で、最近功徳を受けた方と質問されて、手を挙げたのは約100名中2人でした。 貴重な情報を有り難うございました。

  • souzoku
  • ベストアンサー率47% (22/46)
回答No.1

私も、創価学会員でした。  昔は、学会員は、病人と貧乏人だけだと、世間に言われました。 しかし、病人とか、貧しい人に、手をさし述べたのは、創価学会でした。  そのことは、評価されて良いと思います。 そして、学生時代、一生懸命、学会活動をやりました。  そして、青春を犠牲にして、得られたものはなにもありませんでした。  一度しかない、青春を学会活動で、犠牲にしてきたことは、今もくやまれます。  確かに、勤行をあげていると、精神的なやすらぎは、えられました。 しかし、精神的やすらぎをえることと、幸福を得られたかという問題とは、別問題です。  学会員の方で、仕事を犠牲にして、一生懸命学会活動していた人を、しっています。その方は、経済的には、幸福ではないでしょうが、精神的には幸福なのでしょう。  学会員の方で、家庭を犠牲にして、学会活動した人は、その人の家庭、家族は不幸でしょうが、ご本人は、精神的に幸福なのでしょう。    

mattandesu
質問者

補足

貴重なアドバイス有り難うございます。<(_ _)> 創価学会は、「幸福は心の持ちよう」だとする新興宗教などを否定し、 真実の宗教とは、 「ただたんなる気休めや、精神修養や、道徳律ではない。」 と折伏(入会を勧める)をしてきました。 ですから、仰るように精神的な幸福だけが創価学会の功徳だとすれば、 創価学会は、真実の宗教ではないことになりますね。 しかし、私の経験からすれば、創価学会の信心には、病気を治したりする力はあります。 すべての病気ではありませんし、現在の創価学会の信心にその力があるのかは、分かりません。 これが、他の宗教でも見られることなのかどうかは分かりません。 補足させていただくのは、 『創価学会の信心で現世で成仏できた方がいるのか』を明確にしたいからです。 私の家族には、 「5年間、毎日毎日楽しく暮らせる。死ぬ前は、ほんとうに丈夫で、お金があって、家が平和で、行きたい所に行けて、思いどおりに」 なった者はいません。 私の知る学会員にも一人もいません。 私の家族の知る学会員にも一人もいません。 別の地域の学会員もそんな方は知らないといいます。 souzokuさんの知る学会員の方に 「5年間、毎日毎日楽しく暮らせる。死ぬ前は、ほんとうに丈夫で、お金があって、家が平和で、行きたい所に行けて、思いどおりに」 なって人生を終えられた方がいらっしゃいますか?

関連するQ&A

  • 創価学会について

    自分は祖母の代からの3世です。 うちの親は熱心な活動家で信心を生きがいにしています。 言いかた悪いかもしれませんが、洗脳されています。 それで家族はというと崩壊しています。 自分には兄弟がいますが、明らかに自分たちを犠牲にして信心をしています。 こういった親を学会に持つ特に活動家の場合は溝ができる事がよくあるのだそうです。 特に活動家はなおの事です。 なので自分の家族も例外ではありません。 宗教は幸せになるためのものなのに家族を犠牲にしてもやるべきものなのか疑問でもあります。 それが家族にとってのものだと思ってやっているのでしょうがそれが原因でこのような事になっているのに、それに目もくれずにひたすら折伏をおこなっている親が信じられません。 創価学会の人は強引な勧誘が問題視されていますが、 勧誘するときは絶対創価に入ればに幸せになるからといい。 そして幸せになればやっぱり創価学会に入ったからでしょうと座談会で発表したり、逆に幸せにならなければまだ勤行が足りないとかそういうこといいます。 では逆に創価学会にはいって不幸せになることもあるもあるのではないでしょうか? みなさんはどうおもいますか?

  • 祖母が熱心な創価学会

    祖母(母方)が熱心な創価学会員です。 私の父と母が結婚することの条件が父の創価学会への入信でした。 そして、私が結婚するときも、主人が入信することが結婚の条件でした。 なので、私たちは一家全員創価学会員です。 そして、全員一つ屋根の下で暮らしています。 そのため、週に2~3回ある集まりのスケジュールは祖母に管理され、さぼったり、行けないというと、ねちねちと「信心が足りない」と言われ、あげく私が参加する集まりがあると、わざわざその家に電話し、私が来ているか確認する始末です。 もともと祖母は頑固な性格で、うちの母とも、私とも性格が合いません。 それで喧嘩になるといつも「信心が足りない」「題目挙げないからこんなことになるんだ」と何かにつけて信心を絡ませて来ます。 周りの創価学会員からみれば、私たち一家は信心深い家族だと思われていると思います。私も母も無理やり押し付けられた役職ももってます。 ですが実際は、祖母以外は、祖母の機嫌をとるために会合に参加し、文句を言われないようにと日々過ごしているのです。 私自身は創価学会を全く信用していませんし、馬鹿馬鹿しいとさえ思っています。 でも、創価学会への批判を口にしようものなら、もうこの世の終わりだとばかりに嘆き、会話も出来ません。 事情があり、祖母との同居を解消することは難しいのですが、正直もう創価学会にはうんざりです。 きっとこのことを幹部に話したりしたら、家に押しかけることでしょう。 創価学会や信心が家庭の平和をもたらすどころか、このことが原因の喧嘩が多々あります。 いっそみんな辞めてしまったほうが幸せなんじゃないかと思うのですが、もう50年近く信心している祖母の目を覚まさせるのって難しいですよね。 学会活動だけが生きがいのような人なので・・・ 私たち家族は実家をでることが出来ますが、性格の合わない母と祖母を残して出て行くのは本当に不安なのです。 祖母より先に母がストレスで死んでしまうんじゃないかと思うほどです。 昨日さまざまな要因が重なり、祖母VS私と母で大喧嘩になって、家族崩壊の危機です。 祖母はずっと題目をあげています。また「あんたたちが信心根本にしないからこんな喧嘩になるんだ。3人で題目あげよう」と言ってますが、祖母と唱題なんてしたくないし、50年も信心していて、借金まみれで、その尻拭いを父と母にさせている祖母に功徳がどうだこうだ言われても説得力ありません。 まとまらない文章ですみません。 創価学会員の方、そうでないかた両方の意見を伺えればと思います。 長文読んでいただき、ありがとうございました。

  • 創価学会の方のお墓って?

    私は日蓮宗です。そして彼女は創価学会です。 家族の強烈な反対にあいながらも、私は結婚する意志を持っています。 彼女は、いわゆる信心の薄い2世の学会員です。 難しい結婚ながらも、お互いの将来の話を進めている中で、 彼女は「どこのお墓に入るのか?」という質問に、明確な回答ができずにいました。 彼女のような"25~30歳の創価学会2世で女性(活動は特にしていない)"方に、特にお聞きしたいです。 異宗教の男性と結婚した場合、永眠するのはどこでしょうか。

  • 創価学会の彼女の異常な優遇について

    はじめまして、21歳会社員です。 同じ会社に勤める彼女と付き合って半年くらいになります。 1ヶ月ほど前に彼女が創価学会だと本人から告白されました。その時は自分は創価学会がどうゆうものか全く知らなかったのでよくわからなかったのですが、明らかに待遇がおかしいのです。 昔から家族ぐるみで創価学会らしいのですが、前の彼氏が学会が大嫌いで、相当きつく言われていたらしく、本人だけは5年ほど活動をしていなかったらしいです。 そして最近、彼女の母親が倒れて入院してから、活動を再開したようで、週何回か会合に出たりしています。 ケータイも学会から支給されたようで、お金も全部学会持ちだそうです。 つい2週間ほど前に、『しゃくぶく?』と言う儀式で、自分の仏壇をもらったと聞きました。 単純に考えて、5年以上も活動をしていなかった子が再開して1ヶ月もしないうちに、ケータイを支給されたり、仏壇をもらえたりするものなんでしょうか? それとも周りの知り合い(父親やら地位が上の会員)などの根回しみたいなものもあるのでしょうか? 何か情報をお願いいたします。 胃が痛くて夜も眠れません・・・。

  • 創価学会、恋、折伏する理由

    学会員の方から回答をいただきたいですが、その他、老若男女を問わず、ご意見いただけたら幸いです。 もう、1年近く前の話です。僕にはバイト先で片思いの子がいました。 セクションは、僕が商品補充、彼女はレジを担当しており、ほとんど接点がなかったのですが、彼女のほうから何度か声を掛けてきてくれたときがありました。 僕は消極的で自分から話しかけることができませんでした。 なので、しゃべったこと事体は、ほとんどありませんでした。 それでも、何とかメールのやりとりをできるようになりました。 でも、それからすぐに彼女が学会員であることがわかったんです。 当時、「創価学会」という名前は聞いたことがあっても、その実態は何も知りませんでした。 そこで、ネットや書籍で必死に創価学会について調べました。 「危ないな」僕は当時、そう判断しました。 だから、必死に彼女にメールで僕の知ったことを伝えました。 彼女からは「誤解しているから、直接話を聞いてほしい」とのメールが届き、実際に彼女の家で、創価学会について彼女と彼女の母親と近所の年長の学会員の方と話をしました。 話は平行線に終わりました。入会書(?)にはとうとう名前を書きませんでした。そのとき、彼女が一瞬、残念そうな顔を浮かべました。 それから、何度か僕のほうから一方的に学会を否定するようなメールを送りました。 何度目かで返事がきたとき、そこには「さようなら」の文字がありました。 それからはもう、彼女のアドレスも削除し、何の接点もありません。 上記を踏まえた上で、質問をさせてください。 ・僕に声を掛けてきてくれたのは、初めから折伏することが目的だったのでしょうか? ・メールのやり取りで僕が「創価学会」に感づいたとき、彼女は「私は一言も創価学会なんて言ってないよ」との返事がありました。そのとき、なぜ学会員であることを明かすことをためらったのでしょうか? ・これはちょっと趣旨の違う質問ですが、創価学会は恋愛に対する指導があるといいますが、どの程度のものなのでしょうか? 僕自身、折伏だけが目的で話しかけられてきたのかと思うと、悲しくなります。(あるいは、彼女にとっては折伏は幸福なことなのかもしれませんが) 宜しくお願い致します。

  • 創価学会員であることが辛い

    私はいわゆる学会3世で、熱心な学会員の祖母と同居でずっと育ってきました。 しかし、母と私は学会に対して不信感でいっぱいです。 ですが、疑問を投げかけようものなら、反逆者のような目で見られ、祖母にののしられます。 集まりをさぼろうものなら、地獄のような大喧嘩になり、とても一家和楽の信心とは程遠いです。 活動家の祖母を持つ私たち親子は、信心深いと勘違いされ、いろいろな役職を押し付けられ、集まりが一週間毎日というときもあります。 学会活動を頑張ることが、家族の幸せにつながると言いますが、そんなのばかげてます。 グレてる学会員の子供は山ほどいます。 もう本当に全てにうんざりなんです。 絶対に願いが叶うといいながら、叶わないと、それは結果的にあなたのために良くないことだったから叶わなかった。 病気の人に、絶対に治るよって言いながら、亡くなってしまったら、最後まで戦い抜いたから、来世では健康に生まれてくるとか・・・ 願いが叶った人、病気が治った人だけとりあげて、この信心が奇跡を起こしたなんていいますが、創価学会じゃなくても、病気を乗り越えた人、夢が叶った人はいっぱいいます。 祖母は500万円近い借金がありながら、財務(お布施)に結構な額をつぎこんでいるようです。(いくらかはきいていません) 借金がある人は財務してはいけないんじゃなかったんですか? 先に借金を返すべきなんですよね? なのに、財務の時期になると、「借金で苦しかったが、無いお金をかき集めて財務をしたら、事業が成功やら遺産相続などで借金が返済できた」という体験談ばかりとりあげるのはどうしてですか? これまで財務していたお金を借金の返済にあてていれば、もう返済できてたかもしれません。 これっておかしくないですか? 祖母が生きている限り、創価学会から逃げられないみたいで苦しいです。 脱退するなんて言ったら、それこそどうなるかは目に見えていますし、怖くて言い出せません。 同居しているため、「今日はこの集まりだよ。明日はこれがあるからね!」とスケジュール管理までされ、家にいながら胸がしめつけられ、呼吸するのも苦しくなるくらいです。 こんな風にしか信心できないなら、しないほうがいいです・・・ 地元の学会幹部に相談しても、祖母も幹部のため筒抜けになってしまいます。 いっそ祖母との別居を考えたほうがいいかとも思っています。 精神的にまいっている状態なので、どなたかお返事いただけるとうれしいです。

  • 創価学会3世の疑問

    こんにちは。学会について色々疑問があります。 3世なので、もちろん生まれた時?から学会員です。ですが、親に学会活動を強要されてたわけでもないし、今もされてません。 小学生の頃は学会がどういう団体なのか全く理解しておらず、会合に誘われる度に「うっとうしいなぁ。なんでそんなものに行かなきゃいけないの~。」程度にしか思ってませんでした。(結局返事だけしておいて行ってませんでした) ですが、今年の春から月に1回の同時中継と周1回の部活に参加するようになりました。 断ってもキリがないし、いっそのこと言い負かしてやろうと。 誘いに来る部長さんには「宗教なんぞに興味はないので。」と最初に伝えてあります。一切題目は唱えてません。 初めて同時中継に行った時は正直ドンびきしました。 「池田先生池田先生池田先生」ことある毎に拍手喝采。これじゃあ北朝鮮みたいだの、個人崇拝だの、池田教だの言われても仕方ないなぁと。 学会員は否定してますけどね。どんな世界に先生は居るでしょうって。 ここで本題の疑問です。 1、勧誘 学会に限らず、宗教団体の勧誘ってどうなの?って思います。 入ってない人は必要ないからやってないんです。折伏したら相手も幸せになれるし自分も幸せになれるって教えられてるみたいですけど、絶対幸福っていうのでしょうか。相手が迷惑に感じるまで執拗にやるのはどうなんでしょうか。その人の事を思っているようで自己満足なんじゃあ?と思います。 入りたい!と思われるような団体にならなきゃいけないんじゃないんでしょうか。 2、選挙活動 宗教と選挙になんの関係があるのでしょうか。 公明党は池田大作氏がつくって、支持母体が学会であることくらいしか知りません。公明=学会と思ってます。 ある会員の方は「(選挙)お願い出来たら自信に繋がるから!信心に繋がるから」と、私には都合の言い事言ってるなーとしか感じませんでした。 3、世界平和 学会は世界平和を謳っていますよね。 創価学会のいう世界平和とはなんですか?世界平和の為に何をしてますか?題目を唱える事でしょうか。勧誘活動でしょうか。選挙に勝つ事でしょうか。 学会はネット上でボロクソに叩かれてますが100%ネットが本当だとは思ってません。その逆もです。明らかなデマもあったり尾びれが生えてたり、ネットの情報を全部信じてしまってる人もいると思います。私も学会員かどうか疑わしいですよね。 学会員の方は学会が叩かれたり、世間でのイメージが悪かったりする理由は何だと思いますか?私は学会のやってきたことが表面にでているんじゃないかなぁと思います。 窓から外ばかり見てても家の色や形はわかりません。もっと客観的に学会を見るべきではないでしょうか。 初めて投稿したので読みにくかったりするかもしれませんが、学会員の方、2世3世の方、アンチの方、質問の答えじゃなくても構いません。色々な方の意見をお待ちしています。よろしくお願いします。

  • 創価学会の方に聞いてみたいことが・・・

     インターネットで学会関連の動画ってたくさんありますよね  その中でウェイン・ショーターという有名なサックス奏者の方が信者として紹介されてました    その方はお子さんが小児麻痺かなんかの病気で、その事に悩み学会に入信したということでした    結局、お子さんは14歳で亡くなったんですが、お子さんは信心を通して教えてくえたことがあるそうです。それは、「人には使命があるということ」。お子さんがこの世に生まれてきた使命とは、ショーター夫妻を創価学会へ導くために生まれてきた、ということらしいんです。  しかし、創価学会の信者の目的として、「目標が信心で必ず叶う」という事で活動されていますよね  だったら、当然親としては「子供の小児麻痺が治ってほしい」と信心するのではないでしょうか? 私が親だったら、当然「子供の小児麻痺が治ってほしい」と信心しているでしょう。子供が14歳でなくなってしまったら、「奇跡が起きるって聞いたからやってみたけど、子供死んじゃったじゃないか!」という気持ちで信心に対する疑念がわくと思います。  だからといって、医者に見離されたのに「寿命が延びた」「症状が改善された」などのケースをよく「信心の成功例」として取り上げています  そこになんだか矛盾を感じざるおえません  創価学会の考え方って  たまたまうまくいったことに「信心のおかげで奇跡がおきた」と解釈し、  どうにもできない出来事に対しては「これは宿命で信心が叶わなかったのではなくて、意味があること」と解釈しているように思えます    学会の方は日蓮聖人の教えを深く日々勉強されているでしょうから、こんな浅い解釈ではないと思うんでしょうが、どう思いますか?   

  • 創価学会について

    現役の創価学会員の方に相談します。私は10年前壮年部から信心を始めましたが、その時の地区は折伏してくれたご夫婦がいて雰囲気的に馴染み易く、割と地区に溶け込んでましたが引っ越しで地区が変わり、今の地区に馴染めません。ですから最低限の会合しか出ていないのが現状です。‥まあどこの地域でも男女青年部、特に壮年部の活動家が少ない現実‥一般的に学会の組織、支部は婦人部の皆さんの発言力が強く、又私の様に壮年部は婦人部の好き嫌いもあるのでしょうがあまり歓迎されない。つまり婦人部の皆さんのパワーがあまりにも強いため、なかなか組織に入りづらいのです。さらに言えば婦人部は婦人同士で固まってしまうきらいがありますね。私も副先駆長‥自分の為にも進んで地区や組織に入った方が良いでしょうか?蛇足ながら青年部から信心を始めた方と私みたいに壮年部から信心を始めた者とでは自ずと信心に対する考え方や組織に対する考え方に違いがあるのは致し方ないのでしょうか?学会の組織とは言え人間が作った組織です‥いろんな人間がいて、いろんな考え方がある‥しかし婦人部の皆さんはなかなかそれを認めない様な気がします。嫌いなタイプの壮年部員には挨拶もしないし‥信心は素晴らしいし、池田先生はすごく尊敬しています。ただなかなか組織に対する違和感は拭えません。どうすれば良いでしょうか?学会員同士がいろんな悩み等を語り合う、そんな機会さえなくなってきつつあるのも問題と思いますが‥よろしくお願い致します。

  • 創価学会の幸せとは?

    以前創価学会の人から、「創価学会に入って一生懸命信心をすれば、必ず幸せになれる」と言われたことがあります。 この場合の幸せとは、「裕福な生活」「安定した生活」等の意味なのでしょうか? 今現在幸せを実感している人は、学会に入信する必要はないということでしょうか? また、団体に属さずに、個人で信心することでは、幸せになれないのでしょうか? 創価学会員、非創価学会員問わず、おわかりになる方がいましたら教えて下さい。