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「ている」の「歴史的なことがら・経歴・経験などを記録として述べる言い方」という使い方について

 日本語を勉強中の中国人です。編集者が日本人の本に書いた「ている」のある使い方に疑問を感じております。ネイティブの皆様に確認させてください。  本が曰く、「ている」の使い方には、「歴史的なことがら・経歴・経験などを記録として述べる言い方」というようなものもあるようです。そのような使い方は本当に存在しているのでしょうか。もし本当にありましたら、それはどういう使い方なのか、もう少し詳しく説明していただけないでしょうか。例文ももう少しいただければありがたく思います。  本に載っている例文は次の三文です。 1.アポロ11号【は】1969年に月に着陸している。 2.モーツァルト【は】12歳のときに、オペラを作曲している。 3.ひろし【は】3年前にも同じ病気をしている。  私なら上の三文はたぶん次のように書きます。 1.「~着陸した」 2.「~作曲した」 3.「~病気をしていた」か「~病気をした」  私の書き方はおかしいと思われますか。それから、三つの例文の主語の後ろはなぜ【が】でなく、全部【は】になっているのでしょうか。  また、質問文に不自然な日本語がありましたら、ご指摘いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

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  • ベストアンサー
  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.4

◆ >「歴史的なことがら・経歴・経験などを記録として述べる言い方」 :記録という語句は、『動かし難いものとして認識できる事実』といったような意図で使われているのでしょう。 「アポロ11号【は】1969年に月に着陸した。(A)」 「アポロ11号【は】1969年に月に着陸している。(B)」 この2つの文は、意図する内容が微妙に違うというだけで、どちらも自然な表現です。 Aは、「過去の時点で着陸した」という『行為自体』について述べています。 Bは、 『着陸し(たという歴史を残し)ている』 『着陸し(たという事実を残し)ている』 といったような意味になります。 着陸したという動詞自体の意味よりも、それが行なわれたという歴史、あるいは事実に注目している表現です。 その歴史・事実は今でも残り続けていますから過去形にはならないわけです。 (ex1) 「彼は彼女を知らないと言うが、実際は一週間前にこの家で会っている。彼は明らかに嘘をついていると私は思う。」 【(一週間前に)会った、という行為自体】ではなく、 【(一週間前に)会った、という経験が事実として(現在も)存在している】 ということに重点が置かれてています。 「(会ったという)事実を考慮すれば、嘘をついている」という流れ(構文)が自然に表現できるわけです。 (ex2) 「毛沢東は1893年、中国の湖南省で生まれている。」 【生まれた】という出来事自体よりも、 【生まれた、という歴史的な事実が存在している】ということを意図している表現です。 ◆ 1、《○○が△△》の場合。 主格の[が]は、○○を【強調する意図】を持ちます。 「アポロ11号【が】1969年に月に着陸している。」 『他の宇宙船ではなくアポロ11号』というニュアンスです。 前後の文脈によっては、 『アポロ9号や10号ではなく11号』ということを強調しているかもしれませんし、 『ソ連の宇宙船ではなくアメリカの宇宙船』ということを強調する意図を持っている場合もあるでしょう。 誤解を怖れずに言えば、△△という述部よりも○○という主格が重視された表現と言えるかもしれません。 2、《○○は△△》の場合。 [は]は、○○を【主題として提示】あるいは【主題として宣言】する機能を持ちます。 主題として提示するので、通常は、読者も○○の存在を既知のものとして受け止めているシチュエーションが必要になります。 桃太郎という昔話の出だしですが、 「昔々おじいさんとおばあさん【が】いました。」と読者に紹介しておいてから、 「おじいさん【は】山に柴刈りに、おばあさん【は】川へ洗濯に出かけました。」 と主題提示によって述部をつないでいるわけです。 「アポロ11号【は】1969年に月に着陸している。」(原文) アポロ11号を主題としてこれから何か言いますよ、という宣言が含まれています。 『アポロ11号に関して述べてみれば・・・』というニュアンスです。 1とは逆に、「月に着陸した」という述部に重点を置いていることになります。 3、[は]と[が]を使い分けることによって、上のように異なる意図を表現できるわけです。 どちらが間違いということはありません。 全部【は】になっているのは、 「1.アポロ11号」 「2.モーツァルト」 「3.ひろし」 という主格よりも、 「1.着陸している」 「2.作曲している」 「3.病気をしている」 という述部に重点を置きたい意図があるからです。 4、【が】を使って述部よりも主格を強調しているシチュエーションの例を挙げてみます。 「1.アポロ11号【が】1969年に月に着陸して、アメリカの面目躍如となった。」 「2.このオペラは、モーツァルト【が】、12歳のときに作曲している。」 「3.○○さんのはあまり聞いたことの無い病名だが、ひろし【が】3年前に同じ病気をしている。」 など。 ◆ご質問文の添削 A.{編集者が日本人の本に書いた「ている」のある使い方に疑問を感じております} a.【編集者が日本人の本に書いた】ではなく、 『日本人の編集による本に書いていた』としたほうが良いでしょう。 b.【ある使い方】というのは、使い方の内容が特定できていない場合の表現です。 原文の場合は特定できているわけですから、 『使い方』で十分です。 c.まとめると、 『日本人の編集による本に書いていた「ている」の使い方に疑問を感じております。』 などとなります。 大幅に変更しても良ければ、 『「ている」という表現がありますが、日本人の編集による本を読んでいて、その解説に疑問を感じております。』 などとすることもできます。 B.{本が曰く} 難しい表現をよくご存知ですね。 ただ、間違いとは思いませんが、『本の曰く』としたほうが良いように思います。 この件に関しては自信はありませんが・・・。  

awayuki_ch
質問者

お礼

 hakobuluさん、いつもお世話になります。ご回答ありがとうございます。だいぶ理解できるようになりました。「は」と「が」についてhakobuluさんがおっしゃることはぜんぶ理解できていると思います。よろしければ、私の考え方もご覧ください。質問文の添削にも感謝いたします。「曰く」はじっさい聞いた人に対して使う言葉なのですが、硬いのですね。失敗してしまいました。でも、また試してみます^^。今度は失敗しないようにがんばります。  本当にありがとうございました。

awayuki_ch
質問者

補足

>記録という語句は、『動かし難いものとして認識できる事実』といったような意図で使われているのでしょう。 「動かし難いものとして認識できる事実」ということなのですね。だいぶ理解できるようになりました。でも、なぜ「動かし難いものとして認識できる事実」と表明する必要があるのでしょうか。つまり、書き手はこのような書き方にする意図は何でしょうか。読み手にいったい何を伝えたいのでしょうか。 文法本の三つの例文の過去の時点の「5年前に」、「1990年に」、「3年前に」を「もう」あるいは「すでに」に置き換えたら私はよく理解できると思います。 過去のことに対しては、どんな時に「動かし難いものとして認識できる事実」の「している」を使うのか、どんな時に、「した」だけを使うのか、判断が付き難くて慣れるしかないですね。何かコツのようなものがあれば、ありがたいのですが、そんなものなんてないですね(><)。 >「1.アポロ11号【が】1969年に月に着陸して、アメリカの面目躍如となった。」 「面目躍如」の読み方を教えてください。「面目」と「躍如」の間に「が」を入れる必要はないのでしょうか。「面目躍如となった」の区切り方も教えてください。 「は」と「が」についてですが、すでに前よりだいぶわかってきたように思います。私はその三つの例文の前にそれぞれ、「アポロ11号が~」、「モーツァルトが~」、「ひろしが~」という文が必ずあると思うのですが、こんな考え方はおかしいと思われますか。「月が出た。その月は大きい」のような感覚に似ていると思います。つまり、いまの三つの例文は「その月は大きい」のような地位だと思います。その前に、必ず、「月が出た」という「が」を使った文があるはずだと思えました。 >編集者が日本人の本に書いた「ている」のある使い方に疑問を感じております この文は私はいつも上手に書けません。いぜんも確かに間違っていましたね。もともとは「編集者が日本人である本」と書くつもりでした。バランスが悪いと思って「である」を「の」に変えました。「編集者が日本人」だけで「本」を修飾するのは、やはり無理でしょうか。

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その他の回答 (27)

  • kiwifruit
  • ベストアンサー率40% (14/35)
回答No.8

●「は」について >私はその三つの例文の前にそれぞれ、「アポロ11号が~」、「モーツァルトが~」、「ひろしが~」という文が必ずあると思うのですが 他の方へのご質問ですが、回答を書きたいと思います。 疑問を解決したいというawayukiさんのお気持ちは理解できるのですが、前にも書いたように、文脈が全くない例文を取り上げて、「は」と「が」を論じるのは無意味です。   そう申し上げた上で、あえて説明しますが、「ひろしは」の場合は、「ひろしが」の形かどうかは分かりませんが、既に「ひろし」の名前が出ているとは思います。この点はawayukiさんのご想像は正しいでしょう。   しかし、「アポロ11号」と「モーツアルト」の場合は、いきなり「~は」と表現されても、文脈によってはおかしくありません。これは「太陽」や「犬」などといった一般名詞と同じで、多くの人が知っている名前だからです。(あるいは、書いた人が、「当然、この文を読む人は『アポロ11号』を知っている」という前提で書いていると言ってもいいかと思います。)   「犬は哺乳類(ほにゅうるい)です。」という文があったとします。この文の前に「犬が~」という文が必要でしょうか? ここで言う「犬」は「そこに1匹の犬がいます。その犬は...」の「犬」と違うということはお分かりだと思います。(「犬」と聞いたら誰もが思い描く「あの動物」=つまり「犬」という概念ですね。) これと同じで、たとえ世界中にたくさんのモーツアルトさんがいても、音楽の話をしていて、「モーツアルト」と言えば誰のことかは分かるでしょう。だから、いきなり「モーツアルトは」と書いても不自然ではないのです。 この説明では不十分でしょうか。

awayuki_ch
質問者

お礼

 ご説明を拝見して自分の心配は不要だと気づきました。とても納得できました。ありがとうございました。よろしければ、私のへりくつもご覧ください。

awayuki_ch
質問者

補足

 ただ、私の先生(中国人)は以前『(自然)現象に対して「が」をまず考えましょう』というルールをまとめてくださったことがあります。ご存知かもしれませんが、「が」と「は」は外国人勉強者にとってとても難しいです。先生もあの時本当に大変でした。外国人勉強者のために、先生が勝手に作られたルールかもしれませんが、私は先生のルールは実例とあっていると思います。でも、理由がよくわかりません。先生に聞いても理由がないそうです。結局、「そのルールを覚えればいい」になりました。  たとえば、ただの一つの現象として、ぜんぶ「が」ですよね。(「は」に変わると、どういうニュアンスになるのかはわかります。) ・海が青い。 ・山が高い。 ・水が流れている。 ・雪が降っている。 ・風が吹いた。 ・花が咲いている。 ・月が出た。 ・車が走っている。 ・ベルが鳴っている。 などなど。  ですから、私は1と2をただ一種の現象だと考えました。やはりおかしいですね。『(自然)現象に対して「が」をまず考えましょう』という大学時代から持っているルールはやはり捨てるべきでしょうか。

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  • kiwifruit
  • ベストアンサー率40% (14/35)
回答No.7

●編集者が日本人の本に書いた「ている」のある使い方 >「編集者が日本人」だけで「本」を修飾するのは、やはり無理でしょうか。 まず、「編集者が日本人」という表現自体は間違っていません。 問題は、助詞が「(編集者)が」「(日本人)の」「(本)に」などとたくさん出てくるので、どの語がどの語を修飾しているのかが分かりづらいのです。特に「の」という助詞は、所有を表したり、「~に関する」という意味を表したり様々な意味があり、誤解を生む原因になります。 私が勘違いした原因は、「編集者が『日本人の本』に書いた」と読んでしまったからです。「日本人の本」では、「日本人について書かれた本」なのか「日本人の持っている本」なのか、あるいは「日本人によって書かれた本」なのか、よく分かりません。 #4さんが書かれたように、『日本人の編集による本』(※)や、あるいは、『日本人によって編集された本』などと書けば、誤解を防げます。 『の』を使うときには、誤解を生む要素がないかどうか確認し、もし、曖昧なら、他の表現、例えば、「について」や「による」などと書き換える工夫をしてみてください。 ※但し、『日本人の編集による本に書いていた』ではなくて『日本人の編集による本に書いてあった』です。 ×この本には「ている」の様々な用法が書いている。 ○この本には「ている」の様々な用法が書いてある。 ○この本には「ている」の様々な用法が書かれている。

awayuki_ch
質問者

お礼

 度々ありがとうございます。この件は解決できました。「※」の部分にも気をつけます。本当にありがとうございました。

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  • kiwifruit
  • ベストアンサー率40% (14/35)
回答No.6

>wikiは直接には入ることができませんので キーワードは「夏目漱石」です。 人の経歴や歴史を簡潔に述べるときには「現在形」がよく使われるという例です。 他の質問には別途お答えしますね。

awayuki_ch
質問者

お礼

 度々ありがとうございます。今回は読めました。ありがとうございました。

awayuki_ch
質問者

補足

感想としては、すごくびっくりしました。私もけっこうwikiを使っているのですが、なぜか語尾に気づいたことがありません! こういうような現在形の書き方は確かにいっぱいありますね。文法本の三例1、2と3はちょっと違うような気がします。 >『過去に起こった出来事が、記録や記憶として現在も残っている』場合や『その事実が、その後に続いて起こった事実に関係していたり、現在にもなんらかの影響を持っている』 No.3でのご説明をもう一度読んでみました。文法本の例文1、2は『過去に起こった出来事が、記録や記憶として現在も残っている』に属し、3は『その事実が、その後に続いて起こった事実に関係していたり、現在にもなんらかの影響を持っている』に属するでしょうか。私はいま3はよく理解できたような気がしますが、1、2はどうもこのような書き方にする理由がまだよくわかりません。 もしかして、1、2はもっと理性的な書き方でしょうか。たとえば、「富士山は日本の一番高い山である」と「富士山は日本の一番高い山だ」と二つの書き方がありますね。1、2は「富士山は日本の一番高い山である」という文の雰囲気に近く、客観的な感じを与える文でしょうか。よくはわかりませんが、なんとなく、1、2は強い判断の「だ」ではなく、より理性的な表現「である」に近いような気がします。 勝手な推測ですが、1と2のような書き方はよく人物伝記、科学発見の紹介、歴史事件の紹介などの分野で見られる表現でしょうか。

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  • kiwifruit
  • ベストアンサー率40% (14/35)
回答No.5

>編集者が日本人の本に書いた「ている」のある使い方に疑問を感じております。 #3です。すみません。この文を読み違えていました。#4さんの説明でいいのですが、原文をなるべく生かすなら、「編集者が日本人である本に書いてある」でもいいかと思います。(#4さんの表現の方が分かりやすいことにかわりはありません。) 「ある使い方」はおかしくないと思います。私は、その本の中に「ている」の用法がいくつか書いてあり、awayuki_chさんが、そのうちの「ある使い方」だけが分からないという意味だと思いました。 >本が曰く これも見落としていました。 通常は「古人(いにしえびと=昔の人)曰く」などのように助詞を入れません。日本語の場合、あまり「本」のような「非生物」と「曰く」は一緒に使わないので、翻訳調(外国の文のよう)に聞こえるのですが、問題はありません。

awayuki_ch
質問者

お礼

 再びありがとうございます。私の文にぜひ手柔らかになさらないでくださいね。何度もご親切に回答していただき本当にありがとうございました。

awayuki_ch
質問者

補足

>#4さんの説明でいいのですが、原文をなるべく生かすなら、「編集者が日本人である本に書いてある」でもいいかと思います。(#4さんの表現の方が分かりやすいことにかわりはありません。) この文は私はいつも上手に書けません。いぜんも何度も添削していただいたことを覚えております。もともとは「編集者が日本人である本」と書くつもりでした。バランスが悪いと思って「である」を「の」にしました。「編集者が日本人」だけで「本」を修飾するのは、やはり無理でしょうか。 >「ある使い方」はおかしくないと思います。私は、その本の中に「ている」の用法がいくつか書いてあり、awayuki_chさんが、そのうちの「ある使い方」だけが分からないという意味だと思いました。 そうです。合わせて六つあって、最後の使い方についての質問です。「ある使い方」でもいいのですね。 >通常は「古人(いにしえびと=昔の人)曰く」などのように助詞を入れません。日本語の場合、あまり「本」のような「非生物」と「曰く」は一緒に使わないので、翻訳調(外国の文のよう)に聞こえるのですが、問題はありません。 「いにしえ」は大変覚えにくいですね。「曰く」は口語で習得しました。確かに人に対して使った言葉だと思い出しました。また試してみます^^。

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  • kiwifruit
  • ベストアンサー率40% (14/35)
回答No.3

awayuki_chさん、こんにちは。 ●「~ている」の件 ご存じのように「~している」は一般的に「(その状態が)現在も継続中である」場合に使われます。通常の作文や会話などでは、awayuki_chさんのおっしゃるように「~した」を使う方が多く、この例の場合も「~した」と言っても構いません。 ですが、確かに、例文のように『過去の出来事』について、「~している」を使うことがあります。 『過去に起こった出来事が、記録や記憶として現在も残っている』場合や『その事実が、その後に続いて起こった事実に関係していたり、現在にもなんらかの影響を持っている』場合に、よく「~ている」が使われます。つまり、『結果や経験』が継続しているというニュアンスがあります。 【例】A:中国に行ったことはありますか?    B:ええ、既に5回行っています。 「ええ、既に5回行きました。」と答える場合もありますが、その場合は単に「5回行った」という事実を述べています。それに対し「5回行っています」は、「だから中国のことはよく知っていますよ。」などと、その経験が今も生きているという感じを与えます。 もう少し分かりやすい例を挙げてみます。 【例】A:今、麻疹(はしか)がはやっているけど、お宅の太郎ちゃんは大丈夫?    B:太郎は4歳の時に麻疹にかかっているから大丈夫よ。 麻疹は子供がかかりやすい病気ですが1度かかれば免疫がつきます。「太郎は4歳の時に麻疹にかかった(=麻疹になる)」という事実だけを述べるのではなく、「その結果、免疫が付いている」ということを言いたいのです。 この他にも、明らかに過去の事を述べていると分かる場合、その出来事を淡々と述べる場合などに、「~している」に限らず、「~する」といった現在形を使うことはよくあることです。 【例】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E7%9B%AE%E6%BC%B1%E7%9F%B3(日本の作家、夏目漱石の説明です。) 抜粋『大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学ぶ。(中略)これが評判になり「坊っちゃん」「倫敦塔」などを書く。』 例文の1と2は、この例と同じだと言ってもよいかと思います。 【例】アメリカの宇宙開発の歴史は長い。19xx年のアポロ1号の実験に始まり、1969年には月面着陸を成功させている。 【例】モーツアルトは幼い頃から神童と呼ばれた。既にxx歳の時には楽譜を読み、12歳のときにオペラを作曲している。 【例】容疑者は10時にスーパーに立ち寄って包丁を購入している。この後すぐに被害者の家に忍び込んだと思われる。 ●「は」の件 ご質問の文は例文のため、前後の文がないので、これだけで「は」の用法を論じることはできません。 ただし、3の例では、この発言の前に、既に「ひろし」のことが話題になっているからだと思います。(「既出の『は』ですね。) 1と2の例では、これも「既出の『は』かもしれませんが、テーマとして「アポロ11号」や「モーツァルト」を挙げているのだと思います。「モーツアルトは1756年に生まれた。」と同じです。 ●ご質問の文章について >編集者が日本人の本に書いた「ている」... お読みになった本は特定の著者がいないのかもしれません。ですから、「編集者」でも間違いではないと思いますが、もし、著者名が書いてあれば「著者」が適切です。小説の場合は「著者」でも「作者」でも構いませんが、参考書や論文などの場合、書いた人を「作者」とは言いません。また、新聞や雑誌の記事を書いた人は「記者」と呼びます。 あと、「日本人の本」は間違いです。「日本語の本」や「日本語に関する本」でなくてはなりません。 まだご不明な点がありましたら、何なりとご質問くださいね。

awayuki_ch
質問者

お礼

 kiwifruitさん、こんばんは。いつもお世話になります。ご親切に回答していただき誠にありがとうございます。私は「淡々と」という言葉が好きです。その出来事を「淡々と」述べる場合などに、「~している」に限らず、「~する」といった現在形を使うこともよくあるのですね。身に付けたいです。また、質問文の添削に感謝いたします。大変参考になりました。  本当にありがとうございました。がんばります。

awayuki_ch
質問者

補足

「『結果や経験』が継続しているというニュアンスがある」というご説明と挙げられた二例を合わせて拝見して少しわかるようになりました。まだおかしいような気がしますが、どこがおかしいのか、いま自分でもよくわかりません。文法本の三つの例文の過去の時点の「5年前に」、「1990年に」、「3年前に」を「もう」あるいは「すでに」に置き換えたら私はよく理解できると思います。 しかし、私がその三つの文を書くなら、きれいに書けません。ぜんぶ「した」と書いてしまうと思います。過去のことに対しては、どんな時に『結果や経験』の「している」を使うのか、どんな時に、「した」だけを使うのか、判断が付き難くて慣れるしかないですね(><)。 wikiは直接には入ることができませんので、http://wpedia.search.goo.ne.jp/から入ることができます。恐れ入りますが、検索のキーワードを教えていただけないでしょうか。 「は」の件についてですが、私はその三つの例文の前にそれぞれ、「アポロ11号が~」、「モーツァルトが~」、「ひろしが~」という文が必ずあると思うのですが、こんな考え方はおかしいと思われますか。「月が出た。その月は大きい」のような感覚に似ていると思います。

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回答No.2

その本は明らかに間違ってます。大嘘です。でもあなたもやはり間違ってます。つまり、どっちもアリなんです。とすると、どっちも正しいみたいだけど、そうではないと私は言う。さてさて、上手く本当のところを伝えられるかどうか。ちょいと面倒くさそうだが、簡単と言えばこれほど簡単なことはないかもしれない。 日本語には過去形というものがありません。これはもう、本当にないんです。過去形がなければ現在形もありません、これ、どれだけ口を酸っぱくして言っても伝わらないんですよねえ。ほんとに困る。無いと思うほうからすれば、無いものは無いんで、どうしてあると思うのか、こっちはそれが分からんのですよ。 現在のことでも過去のことでも、「ている」も「た」も、またさっぱりと活用語の終止型も使えるんでね。つまり現在と過去の区別をしないんですよ、日本語は。ものごとの前後関係をはっきりさせられればいい、ということだと思います。 「は」と「が」はこりゃたまたまです。「1969年にアポロ11号が月に着陸している」という文を成立させる前後関係は楽にあります。時間に関わる文法とは別問題で、ここに持ち込むべきことではありますまい。 要するに現在のことと過去のことと、日本語では同じ言い方で言ってのけてしまうのです。でも、それは中国語の文言でも似たような様相を呈しているのではないかしらん。 当該の書籍の言い分は英文法の悪しき影響下に生まれたものではないかと推量します。

awayuki_ch
質問者

お礼

 ご丁寧に教えて頂きまして誠にありがとうございました。

awayuki_ch
質問者

補足

口を酸っぱくさせて申し訳ありません。お茶を入れましょうか^^。 過去形、現在形などの定義がないなら、外国人は日本語が勉強できないですね。外国人が日本語を勉強する過程と日本人が国語を勉強する過程は違うことを理解していただければ……。私はいま以前よりは日本語の文法が少しわかってきたような気がしますが、まだまだわからないところがいっぱいあります。本当に基礎のものをしっかりと身に付けたいので、いま初心者向けの文法の本を読んでおります。初心者向けなので、説明の部分に中国語、英語、韓国語もついております。その本を読んで、過去歩んできた勉強の道をもう一度振り返ってみたら、納得できたところが多いような気がします。昨夜、「ている」のこのような使い方を始めて知りました。大学の先生もこんな使い方を教えてくださったことがありませんし、私自身もこんな使い方の文を読んだことを覚えておりません。この使い方は「ている」の最後の項目に載っており、しかも「*」のマークも付いております。 「初級の項目であるがより高度な使い方や、初級から中級に進む段階の文法項目で一般の中級教科書ではあまり取り上げていない項目(*をつけた例文や項目)を意識的に取り上げて、中級の学習がよりスムーズに始められるようにしました」と本はこのように書きました。ですから、とても気になりました。 確認していただきたかったのは、次の三文は正しい日本語だと思われますか。まだはっきりとした答えをいただいていないような気がします。 1.アポロ11号【は】1969年に月に着陸している。 2.モーツァルト【は】12歳のときに、オペラを作曲している。 3.ひろし【は】3年前にも同じ病気をしている。 >「1969年にアポロ11号が月に着陸している」 この文なら、「が」ですよね。「は」と「が」もいつも頭を痛めるので、今回は便乗して質問させていただき申し訳ありません。

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noname#44113
noname#44113
回答No.1

「が」と「は」って難しいですよね。 次の例文で解りますでしょうか。 花子の家には犬「が」いる。その犬「は」・・・ 最初から 花子の家には犬はいる。と言ってしまうと少し意味が違ってしまいます。 具体的な他のもので変わることの出来ないものに使う「は」ではないでしょうか。 とはいえ用法が変わるとまた違う「は」が出てくることもありますが・・・。 a dogとthe dog の違い、と言えば解りますか? アポロ11号もモーツァルトも、そのひろしも唯一無二の物だからではないでしょうか。 ただ「が」を使っても少し印象は違いますが全く間違いでない場合もあります。 「12歳でオペラを作曲した人いるの?」 「モーツァルトが作曲しているよ」など。 これは数あるオペラを作曲した人の中でモーツアルトがやりましたよ みたいな意味になるからだと思います。 過去のことや経歴について言う時に「ている」を使う場合は本当に存在しています。 多分時制的に「その時に置いて」つまり「その時点での時制」で述べているのでは。 でも「~した」でも間違いでは無いでしょうが。 年表などではやはり現在形ですね。 「1192年 源頼朝が鎌倉幕府を開く」 で「開いた」とは言いませんから。 例文をと言われると ○○さんは5年前に亡くなっている 彼女は1990年に日本大学を卒業している 彼は3年前に人を殺している 過去の行動は現在も経歴としては継続しているという意味もあるのかもしれませんね? ネイティブというだけで言語の専門科じゃないので憶測も入っていますが 少しでも捉えやすいかな?と自分の感覚的なものを優先させて頂きました。 前半の「が」と「は」についてはマーク・ピーターセン著の「日本人の英語」を参考にしました。 外国の方から見た日本語の構造がよくわかります。 機会があったら読んでみて下さい。

awayuki_ch
質問者

お礼

 ご親切に教えて頂きまして誠にありがとうございました。

awayuki_ch
質問者

補足

>花子の家には犬「が」いる。その犬「は」・・・ 上の文の「が」と「は」ならよく理解できます。でも、「花子の家に」の後ろの「は」が理解できませんでした。その「は」がないとニュアンスはどう変わるのか、説明していただけないでしょうか。 >aa dogとthe dog の違い、と言えば解りますか? わかっていると思います。 >アポロ11号もモーツァルトも、そのひろしも唯一無二の物だからではないでしょうか。 唯一無二の物なので、「は」(the)を使ったのでしょうか。 >「12歳でオペラを作曲した人いるの?」 「モーツァルトが作曲しているよ」など。 おっしゃるニュアンスはよくわかっております。 ただし、たとえば、「月が出た」という例を見ましょう。 月というものも唯一無二の物でしょう。一つの例文として書く時に、「月は出た」と「月が出た」のどちらを書かれるつもりでしょうか。おそらく「月が出た」でしょう。でも、「月が出た」には「日ではなく、月が出たのだ」という強調の意味は本当に含まれているのでしょうか。うまく自分の意味が説明できなくて申し訳ありません。 > 例文をと言われると ○○さんは5年前に亡くなっている 彼女は1990年に日本大学を卒業している 彼は3年前に人を殺している やはり「ている」は過去の時点といっしょに使うことにどうしても慣れないような気がします。「5年前に」、「1990年に」、「3年前に」を「もう」あるいは「すでに」に置き換えたら理解できますが。 >過去の行動は現在も経歴としては継続しているという意味もあるのかもしれませんね? ああ、それは大変難しいです。慣れるしかないですね……

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    中国語を勉強し始めて1ヶ月の初心者です。 初歩的な質問かもしれませんがお願いします。 テキストの例文でこのようなものがありました。 你们去什么地方? あなたたちはどこに行きますか 主語+動詞+什么(+名詞)の順だと認識したのですが、 次のような例文もあり、こんがらがりました。 小李什么时候去? 李さんはいつ行きますか 你什么时候来? あなたはいつ来ますか これらの文は、主語+什么(+名詞)+動詞になっています。 この違いは、どのように理解すればいいのでしょうか。 中国語に詳しい方、どうぞよろしくお願いします。

  • なぜここの「たら」は不自然なのでしょうか。

     私は日本語を勉強している中国人です。次の文の中の「たら」の使い方について質問させていただきます。 「窓外の風景をすでに眺め始める私は、後ろを振り向いたら、ある女子学生の照れくさい顔が目に入った。」  上記の文は私の作文の中の一文です。作文は次のスレッドをご参考になさってください。(質問文の段落を除き、作文の第三段落の三つ目の文です。) http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3960962.html  この一文に不自然なところが多いと思いますが、ここで特に検討したいのは、「たら」のことです。なぜ私の文の中の「たら」は不自然なのでしょうか。ネイテイブの方々の添削文の中で、全部「と」と直してくださいました。  文法の本で調べてみたところ、「たら」の項目で次のような例文を見かけました。全部自然な日本語の例文になっているのでしょうか。 ●山道を歩いていたら、林の中からさるの親子が出てきた。 ●スーパーで買い物をしていたら、マリさんも来た。  どなたか説明していただけないでしょうか。また、質問文に不自然な日本語の表現がありましたら、それも指摘していただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

  • 次の日本語は自然でしょうか

     日本語を勉強している中国人です。中国人の作者が書いた日本語の参考書を読んでいます。本に出てきたいくつかの例文に少し気になっていますので、質問させてください。次の日本語は自然な日本語なのでしょうか。 1.「一日三回ご飯を食べます。」  私は「一日に三回ご飯を食べます」が正しいと思いますが、「に」を外したほうが自然なのでしょうか。 2.「あの人は毎日のようにお酒を飲みます。」  「毎日のように」と「毎日」のニュアンスはどう違いますか。この文にある「ように」の使い方が良く分かりません。  また、作文が上手くなりたいのですが、質問文に不自然な部分があれば、ご指摘いただけないでしょうか。よろしくお願いします。

  • ここの「のに」の使い方が自然でしょうか

     日本語を勉強中の中国人です。次の例文の中の「のに」の使い方が自然でしょうか。  「弟はおいしい柿を食べたいからと、柿の種をまいた。実ができるまで何年もかかるのに、本当に気が長い話だ。」  また、質問文に不自然な日本語の表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

  • 原文に沿った訳を教えてください

     日本の神話という本を読み始めたら、次の文に行き当たりました。 then something resembling reed shoots sprouted up. From these were born seven generations of gods. そのとき葦の若芽のような何かが芽生えた。そこから、神々の7世代が生まれた、と日本語訳を考えましたが、From以下の文で、Fromの訳し方とその場合の主語(どれが主語になるかもよくわかりません)をきっちりと押さえた直訳はどのようなものになりますか。受身になっているのもよくわかりません。

  • 命令文について

    『命令文には主語、時制は無いが本当は隠されている。そのことを例を使って証明せよ。』という問題が出されました。命令文は目の前の人に言うから主語が省略されていると思うのですが、例文や時制が解りません。どなたか教えて頂けないでしょうか。