• 締切済み

「ゆとり」教育論

naoppeの回答

  • naoppe
  • ベストアンサー率37% (77/203)
回答No.6

何度も書き込んで議論になってしまうのもどうかと思いましたが、もう一度だけ私の意見を書かせていただきますね。 仰るように勉強を一時中断して他のことに熱中した後、また勉強を再開することになんら反対ではありません。 しかし勉強を中断せずに努力を続けた人との能力の差に目をつむり、同じ扱いをすることには疑問を感じます。 日本の社会が終身雇用を完全撤廃し、完全能力主義になることは私の理想です。 そうなればいつ勉強しようともその能力をもって評価されるのですから、30歳の入社でも40歳の入社でも能力に見合った評価をされるでしょう。 子供の頃にしかできないことをたくさんやる、あるいは一つのことに打ち込んで集中的に時間を費やした後から勉強をすることもできるでしょう。 しかし私の『数学や理科は他の教科よりも子供の頃にやるべき勉強』だという考えは不変です。 勉強時間を増やすのではなく他の勉強を削ってでも数学や理科を子供のうちにやるべきだと言ってるのです。 taiger-ryujiさんは大人になってから数学をやり直したそうですが、世の多くの人は大人になってから数学を理解することはかなりの困難を伴います。 逆に歴史などは大人になってから覚えたほうが、子供の頃の勉強で覚えるよりはるかに的確に時代考証などを把握できます。 このことからも限られた子供の勉強時間で、どちらが優先されるべきかは自明です。 それとも高校や大学ではじめて歴史や地理を学んだ人は、子供の頃に学んだ人よりも偏っているとでも言うのでしょうか。 私自身は俗に言う進学校へ進学しましたが、努力をしなかったこともあり完全に落ちこぼれでした。 たいした努力をせずに東大や国公立の医学部へ行く友人もいましたが、賞賛こそすれ妬んだりしたことなど一度もありません。 バスケット部の主将として頑張ってはいましたが、中学時代の県大会上位入賞とかのことを考えるとやはり物足りないものがありました。 しかしその全てを受け入れ自分の能力を悟ったわけです。 決してトップレベルの友人に勉強を止めてもらってる間に追いつこうなんて思いませんでした。 逆に全国模試で一桁を取るような友人が自慢でもあり、もっといい成績を取ってもらいたかったですね。 勉強ができる人とできない人がいるのは当たり前で、その能力に応じた社会貢献をすることが必要だと思うのです。 そして勉強ができない人の割合が多い職業(俗に言う職人など)を、医師や弁護士などと同列に扱うことができれば、勉強ができないことを恥じる風潮もなくなるでしょう。 実際に無形文化財になったような職人なら敬意を払われるでしょうが、普通に腕のいい職人に多くの敬意が払われることは稀です。 弁護士や医者なら実績の無い20代の『若造』でも非常に多くの敬意を払われるのにです。 弁護士や医者なら国家資格もあるので良しとしても、銀行員などにいたっては大工や左官と何が違って社会的地位も収入も違うのか教えて欲しいものです。 今の日本社会や教育が抱える一番の問題点はそこにあると思います。 決して現在の学校での勉強時間が多過ぎるわけではなく、塾やテレビゲームなどに費やす時間が『ゆとり』を無くしている主な要因であると考えている人は少なくないと思います。 『ゆとり』と称して授業時間を減らしても、子供の『勉強時間』は変わらないでしょう。 それこそますます受験勉強一色で『ゆとり』のかけらも無い塾に通う時間が増えるだけです。 勉強をせざるを得ない一番の理由は、大卒などが高収入を独占している社会構造にあるのです。 職人になっても『腕次第』では銀行員よりも高い給料を貰える(事業主としてではなく給料として)ような社会であれば、能力も無い子供に無理やり勉強を押し付ける必要もなくなると思います。 こういう社会を築くことが勉強時間を減らすことよりも大切だと思うのですがどうでしょうか。 まぁ、官僚や一部の特権階級はその既得権益を手放すわけはありませんから、職人や単純作業従事者と銀行員などの高所得者との社会的地位や賃金格差是正に前向きであるはずがありません。 せめて課税の累進率を上げて是正して欲しいものですが、逆に自民党は累進率を下げて高所得者に有利な社会を作り上げようとしています。(実際に東大入学者の親が高所得者である割合が驚くほど高い) 持つ者と持たざる者の二極分化が進行しているのです。 勉強ができる一部の人や金持ち以外は努力してもなかなか報われない社会であることが、子供たちの『ゆとり』や『夢』を奪っていることに多くの人が気付いてもらいたいものです。

noname#1753
質問者

お礼

こんばんは。 後半の社会構造の部分は僕も同意であり、貴方が丁寧に説明してくれてます。 受験体制について互いの意が伝わらないのは、感性の違いでしょう。 貴方が真面目に勉強を続けてきた東大生を称賛する気持ちにウソがないように、僕が東大生に別に能力を感じない気持ちにウソはありません。 そして「ゆとり教育」を構築していく上で、この感性の違いの認識というのが重要なものになりそうです。 「毎日勉強一生懸命して立派な大人になりなさい」と言っても、「その立派な大人とは誰なんだ」と感じてしまう子供もいるでしょう。 爽やかな「ゆとり社会」とは自分の感性を相手に押し付けない、個人の余裕から生まれるのではないでしょうか。 一度子供達や親達全員に聞いてみればどうだろうか。 「貴方は本当に東大生に知性を感じますか」と。

関連するQ&A

  • ゆとり教育からのつめこみへの回帰

    ゆとり教育からのつめこみへの回帰 ゆとり教育によって学力が落ちたことの反省として、教科書が厚くなったり、授業時間が増えたりしていますが、結果的に詰め込み教育になっているのでしょうか? そもそも、学力が落ちた原因はゆとり教育になり、教科書が薄くなったからですか? 何かもっと複合的な原因があるように思うのですが、どうなんでしょうか?

  • ゆとり教育か、学力か

    こんにちは。 先日大学の講義で学校制度の歴史が内容のVTRを見ました。 明治時代では現在のゆとり教育なるものとは異なり、生徒の基準をすべて試験で決めていたりとゆとりがまったくない状態で驚きました。(小学生で徹夜勉強など) しかし明治時代でも「児童の工夫や努力を認める」「一人一人の個性を伸ばす」点で自由教育を一度は導入していたらしいですがすぐ廃止されたようです。 ゆとり教育で学力低下が騒がれていますが 「児童の工夫や努力を認める」 「一人一人の個性を伸ばす」 のも大事だとおもいます。 しかし 個性=学力 とみれば明治のような制度にするのもある意味正解なのかなとおもいました。 それとゆとり教育でも、教師の授業の工夫を取り入れれば、ゆとりの中に学力向上の方法が得られるのではないのか?ともおもいます。 そこで、皆様個人の意見でいいので、ゆとり教育か、学力か、そして教師の思う事を教えていただけたらなと思います。 乱文失礼いたしました。

  • ゆとり教育

    学力低下とかで、ゆとり教育を見直す方向にいっています。 総合の時間を減らして、普通の授業時間を何時間増やすとかって・・・。 ゆとり教育の真っ只中に、小・中を過ごしてきた子供たちはいったいどうなるのでしょう? どうして、何年かでこんな大事なことが、ころころ変わっていくのでしょう?

  • ゆとり教育と今後

    ゆとり教育について、やたらと叩かれているようですが、それ以前の詰め込み式の教育にも問題があったことは事実だと思います。 今だって欧米の人達から見たら、過酷な勉強に励む日本の子供たちは子供時代の楽しい時間や、学力よりももっと大切なことを知らない、かわいそうな存在だと思われるのではないでしょうか。私は日本人は仕事ばかりしていて人生を楽しんでいない。子供まで勉強ばかりで日本人は人生の楽しみ方を知らない。と、外国の友人にいわれると、今はそうでもないよ。日本でもヨガやアートが流行ったり、仕事や偏差値ばかりでなく、もっと精神的な豊かさが重視されているよ。と、答えます。 ですが、教育に関してはゆとり教育の反省点について、学力にばかりこだわる多くの日本人のあり方を思うと、日本人の意識は変わっていない?言われてもしょうがないか?と、自国を弁護しにくい所があります。 学力にこだわることに関して、私が抵抗を感じるのは、偏差値といった大人の決めた表面的な数値で子供が差別化されてしまうことに疑問を感じるからです。子供たちにとっては勉強のできるできないはその子の価値ではないはずです。ところが大人はそこにその子の価値をみるし、東大に入ったか否かということで大騒ぎするのです。 極端な例かもしれませんが、以前に親同士の競争の為に子供が殺された。という事件があったと思います。私には学力ばかりが重視される社会というのは、こうした事件と結び付いて歪んだ社会のように思えてしまうのですが、どうでしょう? 今はあまり聞きませんが、こういった事件はもうないのでしょうか?(私は長年海外に暮らしている為、お恥ずかしながら日本の状況に精通していません。) 学力が下がるかわりに、ゆとり教育は子供たちに個性を育むような有意義な時間の過ごし方を提供することは出来なかったのでしょうか? また、ゆとり教育が成功しなっかたのなら、今後、どうなっていくのでしょう? 皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

  • ゆとり教育と内申書

    ゆとり教育と内申書の関係を教えてください。 ゆとり教育によく使われる批判的な例えは運動会でおててつないでゴールであり、現実の社会が競争であることを教えないと続くわけです。 現代のゆとり教育の前の世代は内申書に縛られた時代でした。 実力がありながら先生に従順であることへの反発から不利な評価を受けるものが多数いました。 内申書は先生の心象で成績を調節してしまう、お手てつないでと同じシステムのような気がします。 しかし逆に内申書の重みが軽くなることとゆとり教育を関連付ける考え方もあります。 ゆとり教育と内申書重視は同じ向きのベクトルでしょうか反対でしょうか。 さらに愛国心教育は本質的には競争とは反対でゆとり教育と同じ向きのベクトルではないかと思います。 (本質問はゆとり教育、内申書、愛国心教育を賛成するものでも反対するものでもありません。)

  • ゆとり教育

    ゆとり教育ってどういう経緯で取り入れられてるんでしょうか。 学力低下が著しく、問題をおこす少年少女が激増しているのも、そこに一因があると思うのです。 だいたい、戦後日本は教育レベル・勤勉さで経済成長を支えてきていたのであって、それで上手くやってきたわけですよね。なぜ、変える必要があったのでしょうか。 競争が良くないとの事ですが、社会は自由競争の上に成り立ってるのであって、今後、社会に適応できない人間を増やしていくばかりのように思えて、とても恐ろしい気がします。元に戻すべきではないですか。 できれば教育者の方のご意見を伺いたいのです。宜しくお願いします。

  • ゆとり教育に関すること

    大学の発表でゆとり教育について調べています。 以下の3つについてお答えください。 すべて公立学校の教育としてとします。(塾や予備校等で習うなどことはなし) 1、ゆとり教育では円周率は3で習った、と思ってるもしくは思っていたことがある? 2、ゆとり教育の子供はゆとり教育以前の子供より学力が低い、と思ってるもしくは思っていたことがある? 3、ゆとり教育になって勉強が好きという人が減った、と思ってるもしくは思っていたことがある? 可能であれば何歳代の方かと理由も、ご記入いただければ幸いです。

  • ゆとり教育って必要?!

     ゆとり教育が叫ばれていますが、本当に必要でしょうか? 年々日本人の成績世界ランキングは下がってきています。 これ以上、学力を低下させてどうするのでしょう?! 諸外国と比べても勉強時間は少ないです。 家でほとんど勉強しない子供達に、 学校の勉強時間まで減らす必要はあるのでしょうか? 愚民化政策としか思えませんが、どうなのでしょう?

  • ゆとり教育が英語教育に与えた影響について。

    ゆとり教育が英語教育に与えた影響について。 学力の低下に伴って、中学校の英語の授業時間数が増やされる事になったそうです。 そもそも、英語に限って言えば ゆとり教育によって、どのような現象が起きたのでしょうか? 私自身が、ゆとり教育世代ではないので ご存知の方、教えて下さい。

  • 知識詰め込み教育→ゆとり教育→???教育

    私は専門知識を大人に教える仕事をしています。 (学校ではありません。) 学校教育はこれからどのように変わっていくのでしょうか? 知識詰め込み教育からゆとり教育になって、 ゆとり教育が失敗だったから、ゆとりはやめたという感じなのでしょうか? インターネットが全普及した今、知識詰め込み教育に戻したところで、良い方向へ向かうとは思えません。 ゆとり教育の「知識詰め込み部分を少なくして、ほかの事に時間を使う」っていうのは間違っていない気がします。 ~20年前とは違い、グーグル先生・ヤフー先生に聞けば大体の知識は手に入ります。 知識を詰め込む部分ではなくて、基本知識を実践(応用)するところを教えていくのが良いのではないかと思っています。 例えば、お小遣い帳をつけるとか、      校内バーチャルビジネスをやるとか      地域の○○問題改善に取り組むとか      書籍を買わずにPCで無料ダウンロードで済ませる実習とか      学校で習った言葉を実際の仕事で使っている文章に照らし合わせて分析するとか 実践系授業を増やすのが良いのではないかと思っています。 今はそういう系統の授業があることは知っていますが、 知識詰め込みを少なくしてもっともっと実践する時間を増やしていけば良いのではないかと思っています。 (ちなみに、先生方1人1人の事柄について書いているわけではありません。  現在でも色々な先生が居て、先生によっては実践的なことばかり行う人も居るかもしれません。) 小中高校生はやはり知識つめこみが大切なのでしょうか? 教員免許や教師になる人も(一部分)変えていかなければ実現は出来ないと思いますが。 この先日本の教育はどうなっていくのでしょうか? 知識詰め込み型に戻していくのが良いのでしょうか?