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ベストアンサー以外の回答(1件中 1~1件目)
手元に全く資料がないのですが,明治期の文献を読んでいると,ときどき「東亰」という表記を見かけます。
漢和辞典によると「亰」は「京」の俗字だそうです。
俗字は,読みも意味も用法も元の文字と同じで,ただ字の成り立ちなどからいって本来の字形とは異なっているものです。例えば,街角でたまに見かける「事故多し」の看板で「多」の字が「ヨ」の下に「タ」となっている,あの字とか,「点」の代わりに「占」の下に「大」を書くとか,などがそれですね。
私は単に,昔はいまよりも印刷物の字体が融通無碍で,俗字などもよく使われていたというだけのことかと思っていましたが,俗字のほうを正式表記にしようという動きがあったのでしょうか。
「トウケイ」ですが,やはり明治初期はトウケイという読み方があったようです。
きちんとしたお答えになっていなくてすみません。「困り度1」だそうですので,何か分かったら追加回答します。
投稿日時 - 2002-03-26 23:55:55
お礼
ありがとうございます。& 了解です。
私自身も調べてみました。
どうも明治以前からある言葉のようでしたが詳細は不明でした。
また、京と亰を使い分けた理由が今一つ不明です。(京は字としてはあったはずなのに何故「亰」なのか?
もう1点
質問の中にもありますが
明治以降、東京を東亰に戻さんとする動きがあったらしいの話が出てくるのですが
真偽がよくわかりません。
以上お手数をおかけします。
投稿日時 - 2002-03-27 00:59:00