解決済みの質問
そうですね。かったるいです。
生きてきて、楽しいと思ったり、感動したりしたことは
もちろんたくさんありますし、
この世は、まだまだ自分の知らない美しさに満ちていると思います。
そしてそういうものに接することの出来ることは
大きな恩恵だと思っています。
でも、しんどい。それ以上に、生れてこなければ
本当に楽だったのに、
出生時に、生れるか生れないかを選択できたら
選ばなかっただろうとも思います。
でも、まあ、選べないわけですよ。
否応無しにこの世に引っ張り出され、また消えていく。
自分の力を超えたことや、選択できないことについて悩んでも仕方がないと思っています。
逆に、生にしがみつきたいと思っても
なくなるときはなくなるし。
あまり「自分」というものに固執せず
一定期間、この世に或る生命体の一個だと突き放して考えれば
少しは淡々と生きていけるかもしれないと思っています。
宗教で、不滅の命を説いたりしていますが
私はいいです。限りがあると思えばこそ耐えられる。
昔に戻りたいとも思わない。
成功しようが失敗しようが、一度きりでたくさんです。
子供を持つと、考え方が変わるかもしれませんし
その程度で、人間の持つ本質的な孤独は変わらないかもしれませんね。
投稿日時 - 2006-03-26 07:53:45
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ベストアンサー以外の回答(7件中 1~5件目)
僕も十代の頃は、同じように生まれなければと思った時期が有りました。しかしながら、自分で死ぬのも怖いやら惜しいやら申し訳ないやらで、そのままだらだらと。
で、だらだらとした暮らしを過ごしてあらためて感じたのは、僕一人位がだらだらと過ごそうが必死に生きようが、この世はなんら変わることが無いことです。
でも、よーく見渡してみると、戦争や争いを起こしているのは、一部の指導者と言われている人達が先導しているだけで、その他の大勢の一般人はその思惑に振り回されているのですね。勿論、宗教や政党、更にはマスメディアをはじめとする個人ではない団体の思想もそこには含まれますがね。
そこで思ったのは、自分もその他大勢の一人だけど、本当にそうなのだろうか?と言う疑問です。もしかしたら、何らかの形で特別な役割があるのかも?と。
何故、そんな風に感じたのかと言えば、その他大勢の一人であるはずの自分がうまく生きていけなかったからです。周りの人達を見て「何故、彼らは現状に満足しているのだろう?それは、彼らがそれを望んでいるからなのか?」と。つまり、今の役割が妥当であるならば、もう少し楽に出来る筈だという仮定です。
だとすれば、自分の出番と言うのは未だ先なのかも?と思いました。
で、その来るべき日に備えているうちに、恋をして、結婚をして、親となりました。その生活の中で、喜びや悲しみを感じ、この暮らしそのものが自分の今の役割なんだろうなー。と、思います。
そして、どうでしょう?僕が生まれて良かったのか悪かったのか、そんな事はどうでも良くなっています。覆水盆に返らずの例え通り、僕がこの世に出たのは単なる偶然かもしれないけれど、起きてしまった以上、元に戻るわけでなし、己の本能のままに生きるのが当然なんだと思うのです。
遅かれ早かれいずれこの生は終わります。その時が来るまで、自分の存在意義は自分で問うても意味がありません。それならば、己の気持ちの赴くままに、妻と一緒に居たい、子どもたちを自分の足で歩けるように送り出したい、面白いなーと思うことをつつきたい。って、やっているのが僕はとても楽です。
投稿日時 - 2006-03-26 07:06:32
No.1の方と同じように、生まれてきて良かったと思うのと、生まれてこなければ良かったと思うことの繰り返しの毎日です。
私も質問者様の質問と同じようなことを考えたこともあります。
そのように考えれば考えるほど生きている意味がわからなくなりました。
人間は確かに矛盾した生き物だと思います。
でも逆に本当に心温かい人と出会ったときなどは、素晴らしい生き物でもあると思います。
考えすぎるとすべてが嫌になりますが、気楽に考えると楽しいこともあるし、生きるってそんなに悪いものじゃないとも思います。
妥協と言うと言葉は悪いと思いますが、みんなどこかで自分を納得させて生きているんだと思います。
投稿日時 - 2006-03-26 05:43:23