- ベストアンサー
日本人はどうして赤穂浪士を賛美するのでしょうか?
les-minの回答
- les-min
- ベストアンサー率41% (269/644)
こんにちは。。 すでに詳しくご回答が出ていますが、実際の「赤穂事件」が脚色されて「忠臣蔵」になってく過程を追うと、(当時の)日本人がどのような話を好んだかが判ってくると思いますし、その「脚色された忠臣蔵」がある程度現在にも美談として支持されるのかも判るかもしれません。 自分は、赤穂事件は大石の幕府に対する「異議申し立て」だったと思っており、復讐とは感じていません。(←いろんな書籍からの受け売りみたいなものですが・・・) ですから、徒党を組んで夜中に吉良家に押し入り、多数の死者を出したことは容認します。 大石は内匠頭や上野介個人はどうでもよかったのだと思います。内匠頭は理由はどうあれ、殿中で刀を抜いた以上、その時点で自動的に切腹は確定しますし、その場で切り殺されなかったので、まだよかった方だと言えるぐらいです。 内匠頭と上野介の処分は、原因が内匠頭の「乱心」としてなら、正しい処断だったと言えます。ただ、浅野家の断絶と再興不認可は、赤穂側に一方的に不利な処分と言えます。これは、この部分だけ喧嘩両成敗の原則を一方的に赤穂にだけ適用したと大石が受け取ったとしても、仕方がないでしょう。 概ね単なる乱心のように処断しながら、なぜか一方の家を断絶させた、というちぐはぐな幕府の対応が第二の赤穂事件(討ち入り)を招いた、と言えます。 いろいろなご意見もあるでしょうが、大石は家老であり、「主家」に対しての忠義はあっても、内匠頭個人への忠義はさほど持ち合わせていない、と考えられます。旧赤穂側の嘆願を受ける形で、浅野家が再興されれば、大石は討ち入りをするつもりはなかったと考えられます。 大石は、幕府のちぐはぐな処断に困惑し、怒りを感じて討ち入りを策謀したのだと思います。浅野家が断絶させられるのなら、もう一方の吉良家も同罪(喧嘩両成敗)でないとおかしい・・・乱心なら浅野家が断絶させられるのはおかしい・・・幕府の処断は誤っている、誤りは私闘に訴えてでも幕府に「異議」を申し立てる・・・大石以外の討ち入りメンバーそれぞれはどのように考えていたかは定かではありません。おそらく内匠頭個人への忠義を貫いた人たちもいたでしょう。しかし少なくとも、大石は他のメンバーと同じ考えであったとは思えません。 仇討ちではなく、浅野家が断絶した後も存続している吉良家の打ちこわしが目的だったとすれば、徒党を組んで、吉良家に押し入り、多数を殺傷することに大石自身は問題を感じていなかったと思います。上野介個人が名君であろうが善人であろうが関係ないわけです。最悪、上野介を逃がしてしまったとしても、吉良家で騒動を起こした時点で、大石の目的は半分以上達成していたと思います。 それが、上野介をも討ち取るといういささか劇的な結末となったことも美談として祭り上げられる要因となったと思います。 幕府の誤った裁断と「家」の存続の問題と捉えると、また違った面から赤穂事件が見られるのではないでしょうか。 復讐でない(と思われる)話を無理矢理復讐に仕立て上げた、という点では、「日本人は復讐譚が好き」とも言えるかもしれません。ただ、復讐譚というのはわかりやすい、と言う点で古今東西受けやすい要素が多い、というだけだと思いますけど。 では。
関連するQ&A
- 吉良邸では、どうして赤穂浪士襲撃に備えて
吉良邸では、どうして赤穂浪士襲撃に備えて番犬を飼わなかったのでしょうか?歴史にもしもは禁物ですが、吉良邸で番犬を数匹、 飼っていれば赤穂浪士たちの襲撃を事前に察知し、ある程度の防御はできたかも知れないし、上野介義央も無惨な死に方をしなくてもよかったかも知れません。 補足 赤穂浪士たちが邸内に侵入を開始した時、それを察知した番犬たちが、いっせいに吠え、それを聞いて吉良邸内にいた者たちが不審者たち(赤穂浪士)の侵入に気づき、警戒を強化していたと思って・・・。
- ベストアンサー
- 歴史
- 赤穂浪士の吉良邸襲撃の成功の要因は?
赤穂浪士47名が吉良邸に討ち入って、吉良殺害を成し遂げました。 吉良家は死者16人、負傷者23人に対して赤穂浪士は数人の負傷ですみました。 この圧倒的な差の要因は何でしょうか? 赤穂浪士は甲冑を着て戦っていたのでしょうか? あるいは吉良家には戦える武士が少なかったのでしょうか? よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 歴史
- 赤穂浪士の討ち入りの日は?
元禄時代の12月14日に、赤穂浪士47人が吉良上野介の屋敷に討ち入りをしました。 元禄時代は旧暦(陰暦)を使っていたと思うのですが、12月14日とは旧暦の12月14日なのでしょうか? それとも新暦(陽暦)の12月14日なのでしょうか? どなたか教えていただけませんでしょうか?
- ベストアンサー
- 歴史
- 吉良上野介は悪人でしたか?
忠臣蔵の契機となった浅野内匠頭による吉良上野介襲撃事件に関して、 吉良上野介が悪人とされていますが、それは特に根拠がないという説もあります。 1.吉良上野介は事件前から評判が悪い人物だったのでしょうか? 性格が悪いとか、賄賂を要求するとか。 2.吉良上野介が赤穂藩の朝廷使節接待に関して邪魔した事実がありますか? 3.事件後、江戸住みの赤穂藩士への聞き取り調査は行われましたか? 4.たしかNHKの番組で、赤穂浪士が世論操作のために江戸で吉良上野介の悪口を触れ回ったということをいっていたと記憶していますが、事実ですか? よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 歴史
- 忠臣蔵・赤穂浪士・吉良について
忠臣蔵といえば映画にもなっているし、いろいろな言い伝えなどもあると思うんですが、どっちかといと吉良の方を悪く?書いているほうが多いですよね。それ前提として思うのですが、赤穂浪士の土地兵庫県赤穂市の方と吉良の土地愛知県吉良町の方は仲とかは悪いのでしょうか?もう昔の事だろうし大げさかもしれないですが、少しは現代にも何かしら尾を引いているのいでしょうか?また、やはり赤穂市と吉良町では忠臣蔵の伝わり方(内容)などは違うのでしょうか?
- ベストアンサー
- 歴史
- 赤穂浪士ってただのテロリストですよね?
タイトルの通りです。毎年この時期になると思います。 赤穂浪士ってただのテロリストやん。 アスペ気味のすぐにキレる坊ちゃん殿様がキレて殿中で刃傷沙汰を起こした、法に従って幕府が処分したら、それに不満を持つ残党が法を無視して一年以上もかけて準備をして、凶器を持って吉良邸に乱入、暴力で吉良の首をはねた、計画的犯行ですやん、 名誉の切腹どころか、打ち首獄門モノですやん。それを何で毎年ドラマ仕立てで美化するの?吉良公は地元では心優しい名君だったそうです。その吉良公を守ろうとして浪士どもと戦い力尽きた吉良公の部下達の無念は一体どこに?全無視ですか? そろそろ日本人こんなのやめたら?と思うのは、私だけでしょうか?
- 締切済み
- アンケート
- うつ病になりやすいのは、どっち?
『忠臣蔵』という事実(元禄赤穂事件)を、時代劇などにしたものがあります。 事の発端は、吉良上野介と浅野内匠頭ですが、 うつ病になりやすいのは、どちらだと思われますか? ・吉良上野介 イジメ大好き。特に、自分より弱い相手を対象に。地元では、名君とされる。 ・浅野内匠頭 真面目、正直。騙されやすい。
- ベストアンサー
- その他(恋愛・人生相談)