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日本人はどうして赤穂浪士を賛美するのでしょうか?

les-minの回答

  • les-min
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回答No.4

こんにちは。。  すでに詳しくご回答が出ていますが、実際の「赤穂事件」が脚色されて「忠臣蔵」になってく過程を追うと、(当時の)日本人がどのような話を好んだかが判ってくると思いますし、その「脚色された忠臣蔵」がある程度現在にも美談として支持されるのかも判るかもしれません。  自分は、赤穂事件は大石の幕府に対する「異議申し立て」だったと思っており、復讐とは感じていません。(←いろんな書籍からの受け売りみたいなものですが・・・)  ですから、徒党を組んで夜中に吉良家に押し入り、多数の死者を出したことは容認します。  大石は内匠頭や上野介個人はどうでもよかったのだと思います。内匠頭は理由はどうあれ、殿中で刀を抜いた以上、その時点で自動的に切腹は確定しますし、その場で切り殺されなかったので、まだよかった方だと言えるぐらいです。  内匠頭と上野介の処分は、原因が内匠頭の「乱心」としてなら、正しい処断だったと言えます。ただ、浅野家の断絶と再興不認可は、赤穂側に一方的に不利な処分と言えます。これは、この部分だけ喧嘩両成敗の原則を一方的に赤穂にだけ適用したと大石が受け取ったとしても、仕方がないでしょう。  概ね単なる乱心のように処断しながら、なぜか一方の家を断絶させた、というちぐはぐな幕府の対応が第二の赤穂事件(討ち入り)を招いた、と言えます。  いろいろなご意見もあるでしょうが、大石は家老であり、「主家」に対しての忠義はあっても、内匠頭個人への忠義はさほど持ち合わせていない、と考えられます。旧赤穂側の嘆願を受ける形で、浅野家が再興されれば、大石は討ち入りをするつもりはなかったと考えられます。  大石は、幕府のちぐはぐな処断に困惑し、怒りを感じて討ち入りを策謀したのだと思います。浅野家が断絶させられるのなら、もう一方の吉良家も同罪(喧嘩両成敗)でないとおかしい・・・乱心なら浅野家が断絶させられるのはおかしい・・・幕府の処断は誤っている、誤りは私闘に訴えてでも幕府に「異議」を申し立てる・・・大石以外の討ち入りメンバーそれぞれはどのように考えていたかは定かではありません。おそらく内匠頭個人への忠義を貫いた人たちもいたでしょう。しかし少なくとも、大石は他のメンバーと同じ考えであったとは思えません。  仇討ちではなく、浅野家が断絶した後も存続している吉良家の打ちこわしが目的だったとすれば、徒党を組んで、吉良家に押し入り、多数を殺傷することに大石自身は問題を感じていなかったと思います。上野介個人が名君であろうが善人であろうが関係ないわけです。最悪、上野介を逃がしてしまったとしても、吉良家で騒動を起こした時点で、大石の目的は半分以上達成していたと思います。  それが、上野介をも討ち取るといういささか劇的な結末となったことも美談として祭り上げられる要因となったと思います。  幕府の誤った裁断と「家」の存続の問題と捉えると、また違った面から赤穂事件が見られるのではないでしょうか。  復讐でない(と思われる)話を無理矢理復讐に仕立て上げた、という点では、「日本人は復讐譚が好き」とも言えるかもしれません。ただ、復讐譚というのはわかりやすい、と言う点で古今東西受けやすい要素が多い、というだけだと思いますけど。  では。  

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