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日本人はどうして赤穂浪士を賛美するのでしょうか?

mn214の回答

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  • mn214
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回答No.2

赤穂浪士の話は私も好きなのでこの話を題材にしたテレビなどもよく見ます。 さて、赤穂浪士は何故これほど賞賛されているのでしょうか? 私も質問者さんと同様に批判的な立場です。 そもそもこの話は、実際に起きた事件を元にしてフィクションを織り交ぜて、世間が喜びそうな内容に創作された物語であるということをご理解下さい。 ・元禄14年3月に起きた浅野内匠頭が吉良上野介を切り付けた“松の廊下刃傷事件” ・翌15年12月に起きた大石内蔵助以下47名の浪士による“吉良邸討ち入り事件” 以上の二つの実際にあった事件を題材にして、世間の人に共感を呼びそうな内容で脚色し、人形浄瑠璃として作られた物語が“仮名手本忠臣蔵”です。 現在の我々が目にする時代劇としての忠臣蔵物は全てがこの“仮名手本忠臣蔵”を元にストーリーが考えられています。 実際にこの物語が完成し上演されたのは事件から47年後になってからのようですが、事件の起きた元禄時代は5代将軍綱吉の時代であり、“生類憐れみの令”等によって庶民はお上に対してかなりの反感を抱いていた時代です。 こうしたお上に対する反感は取り締まりの対象になりますから、陰でコソコソと愚痴を言い合うくらいしかできません。 そんな当時の時代背景からお上に反抗する目的でできたのが“仮名手本忠臣蔵”であるので、当然その内容は創作物語としながらお上への反発を表したものになっています。 こうしたお上への反抗心が当時の庶民の熱烈な指示を得て広まり、また、その後の社会では忠誠心といった概念を世間に植え付けるために逆に利用したのではないでしょうか? 1.浅野内匠頭は元々ノイローゼのような今で言う躁鬱病のようなタイプだったようです。 2.殺しすぎ~討ち入り事件は大掛かりなテロ行為です。 3.吉良上野介は地元の灌漑開発を促進し名君と云われています。 4.吉良は被害者です。  この事件に関しては、喧嘩両成敗にならなかった処罰が間違っているとして吉良を討ったことは正しい、とされていますが、そもそも“城中では何があろうと絶対に刀を抜いてはいけない”という大原則があります。 刀を抜いたということで浅野は切腹であり、刀を抜いていない吉良は無罪なのです。 したがって、当時の処罰の判断は間違っていないのです。 5.復讐が楽しいかどうかは解りませんが、当時この討ち入りに参加した浪士はほとんどが実際には内匠頭とはほぼ面識の無い下級武士ばかりであり、もっと上の立場の人達は新たな職場を探して赤穂から去って行ったようです。 結局は主君の仇討ちという大義名分に酔いしれた行き場の無い人達の集団なのだと思います。 時代劇に描かれている討ち入りに至るまでの赤穂浪士の様々なエピソードはほとんどが事実ではありません。 この事件を現代に当てはめるならば、鬱病で精神不安定だった若者が、ある日会社内で突然キレてしまい、近くにいた年配の上司に刃物で切り付けた、という事件であり、後日逆恨みしたこの若者の回りの連中が、集団で年配の上司宅を深夜襲撃したというテロ行為にすぎないので、赤穂浪士達の行動は反社会的なものかと思います。 決して美談ではありません。

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