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地主って・・・

 わたしの父の家は、昔地主をしていたそうです。  母の家も父の家もともに「大地主」だったそうです。    地主がなんであるかは知っているのですが  この地主というのは、昔の士農工商の何にあたるのでしょうか?やはり「農」ですか?武士の家ではないし・・・    それと、それなりに大きな古い家ならば、家の中に人(今でいう使用人?)をおいたりもしてたんでしょうか。たいていは?

みんなの回答

  • musokunin
  • ベストアンサー率24% (62/257)
回答No.4

  「士農工商」は、職業分類ですから、農民で土地を持つ人もゐれば、商人で土地を持つ人もゐます。農業政策の能力を買はれて、藩の役人として侍の身分に變へられ、苗字帯刀を許された人もゐます。侍になれば、農業政策をもつぱらとしてゐても、「士」と分類されます。   江戸時代は、身分に拘はらず、大きな収入のある人は、それなりの人數の從業員を雇はなければならない、「社會的な、暗黙の、義務」があつたと見られます。これは、武士が、戦時には、その石高に應じた兵力を出す義務があり、そのために、平時にも、一定の人數の從業員「家来」を抱へてゐたことと同じ觀念かと思ひます。現代では、厚生事業や、失業對策を國家や地方自治體が行ひますが、封建社會では、領主が行ひ、領主から知行を與へられてゐる藩士は、自分の知行地の中で行ひ、自分の家で行ひ、更に、それぞれの村で、家で、といふ風に、社會のそれぞれの段階、領域で、完結した社會の成立を目指すのが封建制度の建前だつたからだと思ひます。   從つて、大きな地主の家には、今の觀念では不必要な人間を、「男衆」とか「女衆」として、あるいは、「女中」、「下男」として抱えてゐたのが普通でした。明治になつてからも、大きな収入のある家では、「書生」などと稱して、自分の家に「奨學生」を抱へてゐたのも、江戸時代以来の習はしの名殘かと思ひます。

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  • ss79
  • ベストアンサー率33% (258/765)
回答No.3

地主は土地を沢山所有している人をさします。 身分の分類上は「農民」です。 しかし中には飢饉などで所有米を救済に放出して救済に尽くしたとか新田の開発に寄与したとか功績があった場合名字帯刀を許されて武士に準ずる身分になった人もいます。 この場合は名字がつき書き付けなど証拠の品がある筈です。 当然財産家ですから使用人を抱え、家事や農作業に従事させたと思います。

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  • 6dou_rinne
  • ベストアンサー率25% (1361/5264)
回答No.2

地主というのは主として明治以後に言われるようになった言葉です。明治の地主であれば士族(もと武士)であったかもしれません。 それ以前から地主(土地をたくさん持っていた)というのなら、江戸時代であれば武士が領地としての土地を与えられることはありましたが、その土地の所有権はありませんでした。 土地をもっていたのはほとんど農民でしたが、町の商人が新田開発などをして土地を持つということもありました。 そういう大地主であれば自分ですべての土地を耕作できないので小作に出したり、使用人に耕作させることは普通でした。

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  • syonep
  • ベストアンサー率26% (64/242)
回答No.1

地主が何であるか分かるのであれば、答えは簡単です。 「農」です。 小作人を使って、農業をやっているわけですから、自らの手に土を付けずとも、農家ということになると考えられます。 ・・・要求されているのは、こういう答えではないのでしょうか?

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