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創価学会に対して否定的な意見を持つ方々へ・・・

rentaheroの回答

  • rentahero
  • ベストアンサー率53% (182/342)
回答No.40

まだ締め切られてないので、再度回答しておきます。 >私は他の宗教(信仰を組織ぐるみで利用しているものは除く)を > 否定はしません。音楽・芸術を始めとしたさまざまな国の文化は > 「宗教」が土台になっており、これらを否定することはすなわち > 「文化」を否定することにもなります。 四箇の格言が日蓮上人の言葉として伝わっているようですが、当時の平城仏教・平安仏教の状態から考えたら確かに「組織ぐるみで利用」していたでしょうが、現在の学会員が四箇の格言を引用しているのはどういうことでしょうか。現在における古典的な仏教を攻撃する言葉として学会員の方が使うのに対するあなたの考えをご説明いただければ幸いです。 また、学会そのものが「信仰を組織ぐるみで利用している」という指摘があることに対してはどうお考えなのかをお答えいただければさらにうれしく感じます。 あなたの「お礼にたいして」さらに突っ込んで私の考えを以下にまとめておきます。 > また、宗教に対する価値観は国・地域・世代・時代によって変わ > ると思います。宗教に限らず比較する時は「100点か0点か」 > という判断基準を持ってしまいがちですが、1点~99点(完全 > なる正解ではないが、完全に間違っているわけではない)も存在 > します。 私が「完全悪」といったのは、まさにこのことで、他の宗教を部分であっても排除するものは同じ論理でその宗教も排除されます。私がありのままに受け入れたくても向こうが真っ向から反論して折伏や転向を試みるようではありのままに受け入れること事態が不可能なのです。 であるから、 > どんな人も自分が信仰している宗教は100点であると思います。 > それに対して他の宗教は80点とか60点であるという認識が正 > しいのではないかな?と思います。 > (宗教を点数で比較しているという意味ではありませんのでご理 > 解お願いします。) この説には私は同意しかねます。なぜ80点とか60点という点数が付いてしまうのでしょうか。そもそも比較する以外の意味で点数をつけることはありえません。である以上、自分の信仰している宗教は100点で他の宗教も100点なのではないですか。これでこそ点数に意味がないということになります。 その観点から見れば、先の1点~99点というのも不遜であり、ということならば本当に100点(完全無欠)という宗教はあるのかということです。 で、YHWHとGODとAllahとZeusとJunoとAhura MazdaとBrahmaとVishnuとShivaと大日如来と天照大神が全部一緒になかよくしているとして、何か問題があるの? もしくは全部同一の存在だとして何か問題があるの? 私の考えを一言で言ってしまうと、そういうこと。

Musaffah
質問者

お礼

補足説明が長くなり申し訳ありません。 正直なところ、私としてはこのような「対話」ができるようなサイトがあれば嬉しいなぁと思っていました。 感情に任せた「攻撃的」な内容ではなく、本心からでる疑問・質問に対し、真剣に回答する人が多いこのサイトを、私は最近になって知ったのですが本当に気に入っています。 この場をお借りして、回答していただいた皆様に対し深く御礼申し上げます。ありがとうございました。

Musaffah
質問者

補足

貴重なご意見ありがとうございます。 学会としてではなく、あくまで私個人として思っていることを補足として述べさせていただきいますことをご了承ください。 ・「四箇の格言」を学会員が使うことについて 仏法では「正法」「像法」「末法」の考えがあります。 日蓮在世時は「末法(釈迦が説いた教えが効力を失い、混沌とした世界)」といわれており、日蓮が世間の人たちに法を弘めるために、何故他の宗派ではいけないのかを明確にしたのが「四箇の格言」といわれています。 その背景には、「他では何故いけないのか」を明確にしたほうが皆が理解しやすいという時代的な要素もあったのではないかと思います。この背景は地域にもよりますが今の時代でも通用する場合があります。しかし個人的にはそれは現代では通用しないのでは?と思っています。非難されたら誰でも最初は癪に感じ、感情的になってまともな話ができなくなってしまうことが多いでしょう。それでは意味がありません。それよりも「何故私がこの信仰をしているのか?」を話すほうが説得力があると思っています。 ・学会が信仰を「組織ぐるみで利用している」ことについて この内容については各人の捉え方次第ですので、これだ!とは言えません。まず補足をさせていただきますと、私が「組織ぐるみで利用している」と言っているのは「私利私欲のために宗教を利用しているということ」を指します。(この説明が先に必要でしたね。説明不足で申し訳ありません。) 宗教団体である以上「信仰」を前面に出すのが当然です。しかし#40さんのお礼に書きました「価値観の相違」により、「利用している」と思う方がいてもおかしくはないと思います。ましてやそう思われても仕方がない行動をとる会員がいればなおのことです。なので「利用していない!」と口で言うより、行動で示す必要があると思っています。今回のアンケートによって、その内容が明確になってきたので、後は私を含めこの内容を読んだ会員がどう考え、どう改善していくかだと思っています。それでも改善しないようであれば「所詮そんな団体」であると思います。 ・rentaheroさんの考え(点数)について この内容については、私の例えが悪かったのが一番だと思います。申し訳ありません。 「自分がどれを信仰をするか?」の判断をする上で、誰もがそれぞれの信仰に対して「どれが一番正しいのか」を判定する必要があり、それを今回「点数」という手段で表現した次第です。 「100点の宗教」について私の考えを述べます。絶対的点数としての100点(誰の目から見ても100点)なぞ存在しません。なぜならそんな宗教があれば皆それを間違いなく信仰しているはずだからです。私が書いた「100点の宗教」とはあくまで「相対的点数」という意味です。 現在何百万という宗派(宗教団体)があると思いますが、どの宗派をとっても「うちの教えだけじゃちと足りないんだよね・・・」なんてこと言うわけがないと思います。後は各人の価値観によって「これが一番正しい!」と判断し、その信仰を始めるのだと思います。その意味での「相対的な100点」です。「相対的な100点」の信仰がない人にとっては「葬式は仏教、祈願は神社、結婚式は教会」なのでしょうね?(この文章も誤解を招きやすいかな?) ・rentaheroさんの考え(神々の存在)について 私の中では、信仰の対象とするのは神を始めとした「人物(絶対的な存在というのが正しいのかな?)」ではなく、絶対的な幸福を得るためにどう考えて生きていけばよいのかという「教え」であると思っています。また私の中では「神」とは「信仰するものを守護する働き」であると思っています。つまり、実在する(した)ものではなく、実在しない(見えない)力を具現化させたものという認識です。(この内容については、各人の価値観により賛否両論だと思います。これはあくまで私個人の考えであることをご了承ください。) 法華経でも「ありえねぇ~!」という内容が随所に見られます(地面が割れて菩薩が何百人と湧き上がるとか、「何とか菩薩」がいる宝の城が宙に浮くとか・・・)が、これらに出てくる「菩薩たち」は実在するのではなく、あくまでフィクション(SFみたいに壮絶なスケールのドラマ)であると思っています。大事なのは、「一番伝えたいのは何なのか?」のではないのでしょうか? 私はそう思っています。

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