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医師はどのように死と・・・

hansamdan0323の回答

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回答No.1

医師というのは、単に生命を守るだけの職業ではありません。 哲学者だと思っています。 私はまだ駆け出しの身ですが、患者様の面向かって仕事をするとき、そんなことを感じます。 1.生理学的・生物学的な死 今、医学を学ばれているあなたが、なによりもまず身につけなければならないことは、これでしょう。脈拍、呼吸、体温、血圧、意識の5つの要素であるバイタルサインが、どのように維持され、またどのようにして崩れてゆくのか、それをきっと今一生懸命勉強されていることでしょう。 医師として仕事をする上で、まず必要になることだと思います。詳しいことは、これから臨床医学を学ぶ中で身につけてゆけると思います。 2.社会学的な死 人は、この世に生を携えられ、そしていつかはそれを失います。その中で人は決して一人では生きてゆけません。他人がいて初めて生きてゆけます。その複合体たる社会の中で、一人の人間がいなくなると言うことはどんなことを意味するでしょうか。  たんに気持ちの問題だけでなく、経済的損失やその逆、また社会の中で担うべきその人の役目が失われたときの社会の損失など、考えるべき事はたくさんあります。医師は医療保険や医療制度、社会福祉についても十分に考慮していかなければならないのです。社会の中でどのように人間が守られ、もしくは厳しい環境にさらされているか、自然界の力だけでなく、社会の力と驚異、そして制度のその破綻、そんなことを是非教養として身につけてください。 3.歴史学としての死  人は生きてゆく中で歴史を刻みます。その歴史が、単に現在の政情を変化させるのか、それとも否なのか、人間の行動をどのように変えてゆくのか?それを知ってください。 4.倫理・宗教としての死 人間が死ぬとき、時には、社会の中で強く存在する風習や習慣、そして宗教が、実は大きなウェイトを閉めていることがあります。そのためには、様々な倫理観や宗教観について、それを否定することなく、しかし鵜呑みに肯定することなく、客観的に見つめることが重要だと思います。そんな知識と教養、そして経験を積んでください。 5.家族・精神世界としての死 人間が死ぬことは、その家族にとって、身近な人にとって、どのようなことなのでしょう。そして、人は死んだらどうなるのでしょう。人は心でも、心では生き続ける、これはどういう事なのでしょう。それは、若いあなたにはまだわからないことかもしれません。もしくはつらい別れを経験しているかもしれません。それをいかに理解できるようになるか、それは患者様の心を理解することにつながりませんか? 6.哲学としての死  自分が生きていること、そして死ぬこと、生活すること、仕事すること、勉強すること。あなたが存在すること。これにどんな意味があるんでしょう。もしくはないのでしょうか。 デカルトは「我思う、故に我あり(Cogito Ergo Sum)」と言いました。そして西田幾多郎は「我生きる、故に我思う」と言いました。この意味は何なのでしょう。これを突き詰めることは、人間とは何かを突き詰めることでもあります。 つまり、医師として命に向き合うことは、世の中のあらゆる事象について、常にあなたが興味を持つことと似ているかもしれません。 人が生き、そして死ぬこと、それはとても重いことです。まずは、いろいろな人々の経験を自らのものにしてゆく、たとえば本を読んだり、人の話を聞いたり、いろいろ体験したり。 社会の中で活発に生活し、吸収していこうとすること、そして他人を理解しようと努力すること、そこから、すべては始まると思います。 すてきなお医者様になってください。

schkolade
質問者

お礼

とても丁寧に、そして真剣に回答してくださりありがとうございます。医師は哲学者という言葉に衝撃を覚えるとともに、納得しました。これから様々なことをいろいろな視点から学び、身につけていきたいと思います。

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