クマ出没(1/2)

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クマ出没

クマ出没
各地でクマが人里に出没しています。
麻酔銃で眠らせて山に帰したと聞くとホッとしますが、射殺されてしまったというニュースを聞くたびに心が痛みます。

人命の安全のためというのはわかりますが、殺すことはないのではないかと思っています。
クマは本来、臆病でおとなしい動物です。
人がクマを恐れる以上に、クマは人を恐れているはずです。
それが人里に出てくると言うのは、よほどの食料不足なのだと思います。
テレビでも、今年は木の実の出来が悪いので、クマが出てくるのだと言っていました。
そうだとすれば、これから冬眠に備えてたくさん食べなければならないクマたちは、今後も出没するのではないでしょうか。
そのたびにクマ射殺のニュースを聞くのは辛いです。

元はと言えば、人間がクマの住みかを奪ってしまったために、こういう事態になったのだと思います。

何とかクマも人間も不幸にならない方法はないものでしょうか?

投稿日時 - 2004-10-07 16:03:23

QNo.1032295

暇なときに回答ください

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回答(9件中 1~5件目)

ANo.9

 こんにちは、chemistさん。(^。^)
 今はまだクマさんたちも心地よい眠りについている時期ですね。

 そうですね、えさを探し求めて人里へ下りてきたクマたちは不幸にも射殺されてしまうことが多いですね。これは多くの人たちがchemistさんと同じように心痛める出来事ではないでしょうか。クマ射殺の命を受けた人たちもさぞや心張り裂ける思いだと思います。

 ひと頃よく漁師さんたちによる「イルカ大量虐殺」というニュースが流れていましたよね。漁師さんたちにすれば自分たちの漁場を荒らされているわけですから死活問題なのですが、それ以外の人たちからすればやはり残酷極まりない殺戮に見えたでしょう。私も当時ニュースを見聞するにつけ胸を痛めたものですが、それでも漁師さんたちの行動は止むを得ないと支持しておりました。漁場を荒し回るイルカを駆除する方法は他にも考えられたかもしれません。同様に、人里に下りてくるクマたちの駆除する方法だって、殺害以外の方法も考えられたでしょう。賢いイルカや臆病な熊たちを喜んで殺す人など1人もいないはずなのですから・・・

 ですが、他の方法だとあまりにも「経費がかかり過ぎる」のですね。「経費がかかり過ぎるからと言って尊い命をそんなに簡単に殺してしまってもいいのか」という見方もあるでしょうが、それは「お金持ちの傍観者」の発想であって、「底辺の生活者」にとって「経費の嵩み過ぎ」はやはり命取りになってしまいます。

 イルカの大量殺害も胸が痛みましたし、クマ銃殺も胸が痛みました。ですが、その現場に生きる人々にとって彼等は「生活の糧を奪う者」であり「自らの命や家族・地域の人々の命を脅かす者」なのですね。確かに彼等には何の罪もないかもしれないが、彼等の行為によって更に罪のない人々が生活苦や恐怖に晒され、死さえも思って怯えて暮らしていかなくてはならないのであれば、私はやはり彼等を殺すことを厭わない者です。他のご回答者もおっしゃってましたが、麻酔銃で眠らせて山へ戻しても、いずれまた人里へ下りてきます。或いは動物園に飼育してもらおうとしてもそうそう予定外の動物を飼う予算などありませんし、また、それまで野生で暮らしてきた動物にとって動物園で暮らすことが幸せだとも限りません。「命さえ生き永らえるなら幸せなのだ」という発想はこれまた偏った幸福感だとも思えますし・・・

 私が仮にイルカの荒らし回る漁場で生活し、クマの出没する山里で暮らしているとするなら、やはり彼等を私も殺してしまうでしょう。イルカを何処か他の海域へ追いやり、クマを何処かの山奥へ追いやる方法も考えられるのですが、残念ながらそういう「時間」はありません。時間にゆとりのある生活をしているのならそういうことを考えないではありませんが、しかしそれも自分だけではできないことで、他の仲間たちが「そんな悠長に構えていられる時間なんてねえよ」と言えば、やはり共同体の一員として彼等と行動を共にするでしょう。

 本来生活圏の異なるもの同士が遭遇してしまうことは不幸の始まりです。私が山奥でクマと遭遇してしまえば、クマを振り切って逃げることができない場合、殺し合いになることは必定です。私にクマを殺せる手段があるとすれば、私はどんなことがあってもその遭遇してしまったクマを殺してしまうでしょう(クマさんが逃げてくれるのならそれを追いかけてまで殺しはしませんよ(笑))。私にクマを殺したいほどの憎悪はないし、できればクマを殺さないで済むならそれが一番いい。クマだって、彼を殺せるだけの手段を持った私と戦うより私から逃げた方がいいと思っているに決まっている。彼等と平和的に話し合いができるのならどれだけいいかと本当に思います。

>クマ射殺のニュースを聞くのは辛いです。

 chemistさんもお辛いでしょうが、そうしたニュースを聞いて辛くない人は殆どいないのではないでしょうか。多くの人々が涙していることと思います。「でも仕方ないんだ」と唇を噛み締めつつ、「どうかクマさんたち、人里に下りてこないでね」と願っているのではないでしょうか。「人が生きていく」ということはそういうことだと思います。「辛さ・悲しさを我が身に飲み込みつつ」全ての人々が生きているんじゃないかと思うのです。

>元はと言えば、人間がクマの住みかを奪ってしまったために、こういう事態になったのだと思います。

 これについて言えば、№8のmocchaさんが名回答をされていますので、そちらに譲りたいと思います。

 あまりご参考になるような意見は書けませんでしたが、私にとってはこれがいっぱいいっぱいです(笑)。
 

 去年の夏から秋にかけて人間の我儘な手によって射殺され、命を落とした熊さんたちの成仏を願いつつ、私の回答とさせていただきます。生きとし生けるあらゆる命が、分け隔てなく、幸せに暮らせる時代が早く来るといいですね。(^。^)

投稿日時 - 2005-02-12 01:43:20

ANo.8

>>元はといえば、人間が熊の住みかを奪って...

いくら熊といえど、原生林で生活しているわけではありません。といって、現在のように針葉樹林でも生活できません。
昔話でよくおじいさんが山に柴刈りに、とありますが、柴とは、広葉樹の低雑木のことで一般的には、木炭に加工したり、またはその燃料にする為伐採していたもので、このように人が山に入ることで、熊が山中で生活する為の環境が整えられていたのです。

人間が、現在の電気、ガスそのほかの便利な生活から、過去の木炭、囲炉裏、かまどといった生活に戻りたくないように、熊も一旦人間が生活している人里に出てきたら、えさを探す手間がかかる山中の生活には戻りたくないのです。
しかも、それまでおびえていた人間という生き物は、素手ならば相手にならないほど弱い存在であると気づいてしまった熊は、人間を恐れなくなり、常に人里で生活するようになります。
そのような熊を山に返しても、山の生活をしないのです。

>>何とかクマも人間も不幸にならない方法は...
昔のように、広葉樹林にし、山に柴刈りに行くと、山の環境が改善され、山中で暮らす野生動物の生活環境が出来上がるかも知れませんが、その当時の山間部の人々にとって、クマを含め、山中の野生動物は、貴重な食料であり、蛋白源として重要なものでした。
その当時と比べて、熊の生息数な減っているかもしれませんが、生活のために熊などを捕っていたのですから、犠牲になった数は、多かったと思います。

野生動物といえど、人のまったく目の届かないところで生活できるわけではありません。人とある程度の距離を置いたところで生活しているのです。
ところが、現在、山中では過疎化により、生活している人数が極端に減少し、野生動物にとっても生活できる環境ではなくなってしまっているのです。
そのため、都会のみで生活するようになった人間との距離を一定にする必要がある彼らは、従来の生活場所を都会付近に移動させてしまったと考えています。

私は、熊を捕獲することも、保護を訴えることも、人間のエゴであると思います。

投稿日時 - 2004-10-07 23:38:20

ANo.7

 こんにちは。
 決して安い本とは言いがたいですが(1,890円…)、ご興味があれば、斜里町知床博物館というところから、「知床のほ乳類(2)」(出版:北海道新聞社)という本が出されています。
 この本の中で、世界でも有数のヒグマの生息地である知床でのヒグマとの共存の模索が紹介されています。
 地域住民の普段のゴミの出し方から、観光客の問題行動(エサやり)等、実際の事例を紹介しながら書かれています。
 よくある専門書とは異なり、一般の方向けに出版されている本で、読み物としてもおもしろい本だと思います。
機会がありましたら是非読んでみていただきたい1冊です。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4894531488/qid=1097147013/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/250-9921309-1579455

投稿日時 - 2004-10-07 20:28:35

ANo.6

確かに熊は本来ならおとなしい動物かもしれません。
しかし今や餌がない分獰猛化しています。果たしてそのような中で暮らしている人にとって「かわいそうだから」と悠長なことを言っていられません。
現に私は熊のよく出没する地域に住んでいます。もちろん学校もその近くです。周りにも保育園や小学校があります。毎日、「足跡がみつかった」や「熊が出没した」といったことが学校で言われ注意されています。いつ校舎や敷地内に入ってくるかもわからないような生活をしています。徒歩通学も禁止されていて、交通手段がない人は学校の事務員さんが送迎しています。
自分で逃げられる大人はいいでしょう、ですが危険の判断ができない子供たちはどうすればいいんでしょうか。それでも捕獲せず、森に返せと言えますか?
熊出没のおかげで恐怖を感じて暮らしている人は沢山いるのです。
私はその地域の人間なのでそう思うのかもしれませんが、射殺するのは仕方のないことだと感じます。
人間がしてきた代償なのかもしれませんが、共存は口で言うほど楽なものじゃないと考えます。

投稿日時 - 2004-10-07 19:58:18

ANo.5

>麻酔銃で眠らせて山に帰したと聞くとホッとしますが、射殺されてしまったというニュースを聞くたびに心が痛みます。

同感です。
その昔、多くの先住民族を犠牲にしながら新天地を“開拓”し続けた侵略者の歴史を思い起こします。

>何とかクマも人間も不幸にならない方法はないものでしょうか?

異常気象に伴う熊の居住地帯における食糧不足、と原因もほぼ解明されているのに、なぜ地域社会はその原因、つまり食糧不足を解消しようとしないのか、ずっと訝しく感じていました。

熊たちの居住地帯へ十分な食糧を供給すれば問題は解決する筈なのに誰もそうしない。不可解です。

結局、この機会を捉えて合法的に熊の個体数を減らしたいと望む地域住民が多いということなのでしょうか? もともとそのような地域には、熊たちの生態系を原状復帰させるというようなフェアで長期的な視点など受け入れる風土がないのでしょう。

結論的に、『双方が不幸にならない解決策は存在するが、当事者である地域住民たちが別の目的を果たすためにその策を講じようとしない』が回答です。 

 

投稿日時 - 2004-10-07 19:17:31

お礼

お礼が大変遅くなってしまいました。ごめんなさい。

私は人里に出てきたクマを殺すのは、ある意味では狩猟よりも悪いことだと思えてならないのです。
猟師が山に入ってクマを射殺するのは、クマに人間の恐ろしさを教え、人里に出てこないようにする効果があったと思います。これによって、人間とクマの間に程よい緊張を保っていたのではないでしょうか。
しかし、人里でクマを撃つことは、山にいる他のクマに対する威嚇効果はないでしょう。山中で銃声を聞くことのなくなったクマは、1頭ずつ射殺しても、後からいくらでも出てくるのではないでしょうか。

No.1の方へのお礼にも書きましたが、狩猟が下火になったことにより、却って人間とクマとの関係が不幸なものになってしまったようで、なんとも皮肉なことだと思います。

クマの問題もスギ花粉の問題も、似たところがあると思います。広葉樹を片っ端から切ってスギやヒノキを植林し、外国材のほうが安くなれば、スギなど見向きもしなくなる、その結果枝打ちさえもしないので、花粉が大量に飛ぶようになる、これが現状です。
目先のことばかりに目を奪われて、長期的な視点でものを考えようとしないんですね。おっしゃる通りだと思います。
クマもスギ花粉も、自然に対する畏敬の念を失った人間に対する警鐘であるように思えてなりません。

ご意見、参考になりました。ありがとうございました。

投稿日時 - 2005-03-23 16:11:18

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