em9845 の回答履歴

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  • イエス・キリストと神の関係について

    イエス・キリストと神の関係についてキリスト教はどのように捉えているのかを教えてください。

  • イエス・キリストは神?

    聖書をちょっとだけかじった僕には”神の子”と聖書に書かれていたので、神ではなく神の子だと理解していたのですが、キリスト教の方々ってイエスを神だと思っているのはどのような理由なのでしょうか?またキリストを神としているのはキリスト教のほとんどなのでしょうか? ダヴィンチコードのニケイヤ公会議(でしたっけ?)でイエスが神となったのであれば…、神の子であるとイエスがいったことは無視ってことでしょうか? 三位一体とユニテリアンについて気になったので質問させていただきました。

  • うつ状態の時にお薦めの本

    うつ状態で休職中です。 本を読もうと、何度も読んだことのあるクリスティやドイルといったミステリーを読んだりしましたが、体調も悪く、気分は晴れるどころか、悲観的になってきています。 本を読む気もあまりなくなっているのですが、体調のせいで外出らしい外出も出来ません。 年明けより復職予定ですが、今の体調だと無理なので、復職の気持ちはあっても、身体が言うことを聞きません。 うつの為の本でも、関係ない本でも結構です。 これはどう?読んでみたら?という本がありましたら、教えてください。よろしくお願いいたします。

  • 神様(キリスト教)の存在を日常で感じる具体的方法

    キリスト教(プロテスタント)に興味があります。でもまだ初心者なので「何事も紙様に感謝する」こと以外に、毎日できる習慣のようなものをとりいれていきたいです。 ちなみに日曜日には仕事があるため、日曜礼拝に出られないのが残念です。。。 聖書を読む・・・というのもあるとおもうのですが、そのほかに具体的に、日常でどうやって意識していけばいいか、教えてください。 よく十字架のペンダントというのがありますが、あれはプロテスタントでは、してもいいのでしょうか? する場合は、特にどんなものでもいいのでしょうか?(極端な例ですが100円ショップでも十字架のペンダントはありますし、あるいは高級ジュエリーブランドでもあります。でも、本当に神様を意識しての十字架をつける方は、どこかでもっと特別な宗教グッズといいますか、そうしたものを取り扱っている場所で買っておられるのでしょうか?) 眠る前に、何か神様のことを考えるとしたら、どのように、何を考えればいいのでしょうか? 文章が下手で申し訳ありません。。。 教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

  • なぜキリストは盲目者に「このことを誰にも告げてはならない」と言われたのでしょうか

    私はクリスチャンではありませんが、聖書に興味を持ち、少しずつ読書をしています。 その中で気になる点がありました。マルコによる福音書7章36節で、イエスが病人を癒された際に 「このことを話してはいけない」 と言われます。 しかし、当時イエスが自らの奇跡を広めようと行動していたのは明らかであると思います。なぜ、実際に自分が行っていることと矛盾したことを言われたのでしょうか。 クリスチャンの方で詳しい方がいらっしゃれば教えていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。

  • 神を信じるってどう言う意味?

    よく神様を信じている人と話すと、神様を信じて祈れば救われるとか、救われたとか話を聞きますが、どうも納得がいきません。 何故なら、神様を信じていなくても、それなりになる人は多くいますし、信じていても救われない人もいるからです。 まあ、そう言うと、「神を感じた事がないから」なんて事を聞きますがたとえ、何らかの存在や感動、快感、救いを感じたとしても、それが必ず結果に表れる訳でなく「感じた、体験した」だけで終わってしまう場合も在る訳です。 そんな人、何人も見てきました。 そう言う訳で、結果から考えると、神の存在と、救いは、ある意味、別のモノであり、神を信じれば救われると考えるのは変な思い違いなのではないでしょうか? そこで思ったのですが、「神を信じる」ってどう言う意味なのでしょうか?

  • アブラハムはどうして我が子イサクをいけにえにささげようとしたか

     神はどうしてアブラハムにその子をいけにえにささげるよう告げたのか?  神という非経験に相い対する経験存在であるわたしは その関係が 非思考でありそれとして信仰であると知らねばならなかった。  といまのところ考えます。  多くの人びとの父(祖)となると言われているのに その子のイサクをほふれば 血筋は断たれてしまう。神は そういう約束と矛盾することを命じた。――ということは アブラハムに対して 神との関係は自分のつまり人間アブラハムの経験合理性にもとづく思考に先行すると言おうとしていないでしょうか?  信仰(=非思考)は 経験思考に先行すると言うために 我が子の命をささげるという行ないが始まろうとしたのではないか。  どうでしょう?  クリスチアニスムのほかの立ち場からも 自由なご見解をお聞かせください。ご教授ください。

  • 聖書の杯について

    ヨハネ書第18章11節に「父が私に下さった杯をどうして飲まずにいられましょう」というイエスの言葉がありますが、どういう意味なのか教えてください。

  • イエス・キリストは寝ますか?寝ませんか?

    神様は寝ますか? 聖書に寝ないと書いてるそうなのですが、その書いてる章を教えてください。

  • 聖書の福音書について

    マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書について時代や内容、特徴などを比較して調べたいと思っています。 何かオススメの参考文献があったら教えてください。

  • (ルカ 6:35) 「愛」は理性の範疇か?

    ルカ 6:35 ――しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。―― 「何も当てにしないで貸せ」と言ったり「たくさんの報いがある」と言ったり、欲望の否定なのか肯定なのか迷いますが、このことには此処では頓着しないことにします。 さて、これで見ると愛することも愛さないことも理性の範疇だと認識している節があります。これは正しいですか。「愛するか否か」は理性が関与できない領域が司っているように思いますが、違いますか。愛するという前提があるときの「愛し方」ならば理性で制御できることに異存ありません。 ルカ 6:35は次のどれかだと思います。どれですか。 1 「愛し方」ばかりでなく、「愛するか否か」も理性が決定できる。ルカ 6:35に違和感はない。 2 愛そうと努めれば、少なくとも「愛」に付帯する好ましい属性を以て敵に接することが出来る。「愛せ」は努力目標である。 3 翻訳から来る違和感である。原文では違和感がない。適訳がないので「愛しなさい」とした。 4 イエスまたは聖書の記述者の言語感覚がルーズである。「愛しなさい」ではなく別表現をするべきだ。 5 その他 多数決で決まる性質の問題ではありません。心理学、大脳生理、ギリシャ語(?)、キリスト教の教義など、何かしらの分野に明るい方の論述を希望します。 よろしくお願いします。

  • (ルカ 6:35) 「愛」は理性の範疇か?

    ルカ 6:35 ――しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。―― 「何も当てにしないで貸せ」と言ったり「たくさんの報いがある」と言ったり、欲望の否定なのか肯定なのか迷いますが、このことには此処では頓着しないことにします。 さて、これで見ると愛することも愛さないことも理性の範疇だと認識している節があります。これは正しいですか。「愛するか否か」は理性が関与できない領域が司っているように思いますが、違いますか。愛するという前提があるときの「愛し方」ならば理性で制御できることに異存ありません。 ルカ 6:35は次のどれかだと思います。どれですか。 1 「愛し方」ばかりでなく、「愛するか否か」も理性が決定できる。ルカ 6:35に違和感はない。 2 愛そうと努めれば、少なくとも「愛」に付帯する好ましい属性を以て敵に接することが出来る。「愛せ」は努力目標である。 3 翻訳から来る違和感である。原文では違和感がない。適訳がないので「愛しなさい」とした。 4 イエスまたは聖書の記述者の言語感覚がルーズである。「愛しなさい」ではなく別表現をするべきだ。 5 その他 多数決で決まる性質の問題ではありません。心理学、大脳生理、ギリシャ語(?)、キリスト教の教義など、何かしらの分野に明るい方の論述を希望します。 よろしくお願いします。

  • 〈父、子、聖霊〉の《三位一体》は、等質かつ等価であるか?

    私は、キリスト信仰における《三位一体》を、普遍的位相とは認めるものの(キリスト教全会派に共通する教義ではない)、三位のそれぞれの位格が、等質かつ等価であるとの見解を、咀嚼しかねております。  もちろん、会派ごとの教義は尊重します。しかしながら、私自身がプロテスタント無派閥に所属していた、元不良信者であります。通っていた教会では、三位一体を大変に重視していましたが、私が師に、「《主》とは、すなわち〈父なる神〉ではないのか?なぜ新約では、《主イエス・キリスト》に変わっているのか?〈人の子〉が、なぜ救世主を超越して、《主》と呼ばれるのか?〈御霊〉は、キリストの血によらなければ授けられないのか?」と問い質すと、逆に不信仰を諌められてしまいました。  そこで、皆さんにお尋ねします。 【Q-1】 〈父、子、聖霊〉、それぞれの、役割とは何でしょうか? 【Q-2】 〈父、子、聖霊〉、それぞれは、等質といえるでしょうか? 【Q-3】 〈父、子、聖霊〉、それぞれは、等価といえるでしょうか? 【Q-4】 〈父、子、聖霊〉、それぞれが、等質でも等価でもないとしたら、どれが最も重要なのでしょうか? 【Q-5】 《三位一体》とは、何でしょうか?  以上、皆さまの私見でもかまいませんので、よろしくお答え願います。