lu-mu- の回答履歴

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  • 哲学とはどういう学問で人にとってどのように役立つものですか。

    哲学とはどういう学問で人にとってどのように役立つものですか。 ウィキペディアなども読んでみましたがいまひとつよくわかりません。 ここの質問や回答をいくつか読んでみましたが どうでもいいようなことをああでもない、こうでもないとやりあっているようなもの 抽象的であったり難解な文章が並び、これで本当にコミュニケーションがとれているのか と驚くようなものがありました。 それで哲学とはどういうものなのか さっぱりわからなくなってしまいました。

  • 日本人の精神の本質について分からないので教えてください。

    日本人の精神の本質について分からないので教えてください。 日本人はなぜ哲学的・概念的・論理的ではないのですか?

  • 神は矛盾したものでもつくれるのか?

    神は矛盾したものでもつくれるのか? 神は「どんな盾も突き抜く矛」と「どんな矛も防ぐ盾」を 同時につくることができるのだろうか? 仮につくれるとしたら、その盾をその矛で突けばどうなるのか? もしこれがつくれないとなると、神にもできないことがある。と いうことになり「神は完全」というのが怪しくなりはしないのか。 完全であるからこそ神ではないのか。 ちなみに僕は最近、大事な図書カードを紛失したり、寝違えて 首を痛めたり、よくないことが続いているのだが、ひょっとしたら、 神に疑問を持つことに原因があるのではないだろうか?

  • 日常言語から論理式への翻訳に関する質問

    日常言語から論理式への翻訳に関する質問 日常言語を命題論理学の論理式へ翻訳する際、一つの文記号に当てはめることのできる意味内容の量は、どのように定義されているのでしょうか? 例えば、「今日は月曜日である」は、一つの命題として、例えばMと置くことができます。しかし、この命題を「もし今日であれば、月曜日である」と解して、T→Mと置くこともできるのでしょうか?

  • なぜこれほどまでに「勉強」は尊いのでしょうか?

    なぜこれほどまでに「勉強」は尊いのでしょうか? こんにちは。 よく考えることなのですが、 人生において、あるいは社会において「勉強ができる事」というのは重要視されすぎではないでしょうか? 例えば、 どんなに不細工であっても、勉強さえできれば誰にでも認められるし、 どれだけ性格の悪い嫌な人間でも勉強が特段にできれば誰も彼のことを軽蔑できませんよね?世間ではそういうものですよね?「彼は○○だ。でも勉強ができるからねえ」と。 逆に、勉強ができない人間は顔がよくても、性格が良くても「彼は○○だ。でも勉強ができないしねえ…」と、ともすれば軽蔑されることになります。 性格も顔も悪く、勉強もできない人間がごみ同然に扱われるのはある意味当然かもしれませんが… とにかく人を判断する上で何が一番重要なのかは、断トツで「勉強ができるかできないか?」にかかっています。 勉強さえできればほかの欠点はすべて克服できる勢いなのですからね。 なぜ勉強はこんなにまで尊いのでしょうか? 私がこう思っていたのに一切勉強してこなかった意味がわからないのです。 お願いします。

  • 命について作文を書くことになりました

    命について作文を書くことになりました どういう風に書けばいいと思いますか 命についての考え方を教えてください 僕的には保健所の犬とか口蹄疫とかを例に出して書いたら いいのができるかなと思っています お願いします

  • 哲学の時代は終わったのか

    哲学の時代は終わったのか 真理の探究は古代ギリシャの時代から「万物の根源は何であるか」の問いに始まり、宇宙について、万物について、時間についてこれらが如何なるものであるか探究してきたが、哲学はこれらに対しいまだに何らの答えを与えていない。 「宇宙は有限か無限か」、「時間に始まりはあるか」に対する答えは計測器などを用いて観測データを収集し分析したところで決して得られるものではなく、専ら思索によって得られるものです。 つまりこれらは物理学が答えを出せる問題ではなく、哲学が答えを出すべき問題であると考えます。 なぜならこれらは真理の探究における最重要テーマであり最も哲学的なるもの、哲学以外には解決不可能なものそして哲学が答えを出さないといけないものだからです。 ちなみに物理学では宇宙が誕生した138億年前を時間ゼロとする考えを打ち出しているが、真理を探究する哲学からすればこれはあまりに軽すぎる結論であり、到底受け入れられるものではないでしょう。 もし哲学がこれらに対する扱い方を知らず、答えを導き出す方法論もなく、何らの答えが出せないのであれば、哲学に存在価値は無く、哲学の時代は既に終わったのだと考えるしかない。  

  • 私は神になりたい

    私は神になりたい 神になる前に人間になりたい、私が人間である確証がほしい…。 人間とはなんだろう… 物質(肉体)と非物質(精神・心)で別けて考えてみた。 もし、サル顔の人がいるとしよう、 彼は紛れもなく「人」だ。 もし、身体までも限りなくサルに似た人がいたとしよう、 彼もまた「人」であろう。 なら、サルの身体に人の精神が宿っているなら、 身体までも限りなくサルに似た人とどこが違うのだろう。 その反対に、 人に限りなく同じ形に作られた牛や馬がいるなら、 あなたはそれをなんと呼ぶのだろう。 なので、私は人の定義を肉体ではなく精神にあると決める。 となると、人の精神、人の心は何を持って人のだと言い切れるだろう。 我らは、いったん人として生まれたら、 虐殺や殺人のような酷いことをして“人でなし”と言われ様とも、 その罪人を本気で人ではない生物として認識したりはしない。 つまり、道徳や倫理や規範や常識などは 単なる人としての正しい道を示すだけに過ぎず、 それが人の非物質的な部分を定義してるわけではないはずだ。 ゆえに、 私は人の定義を探している。 その答えを得るために、 私は今、神様に会うための道を歩いている。 彼に会った時、私は気づくのであろう、 今私は彼と同じ道に立っていることを…。 今日この瞬間は、赤ちゃんのはいはいにも及ばない、 お母さんの羊水の中で目にも見えない程度の 小さな細胞ひとつのもがきのような動きに過ぎないかも知れないが、 かつで、月へ宇宙へ届くことを信じて夢見ていた先駆者のように、 私の道のりはここから始まる。 その道に辿り着くために、私の人生は、あまりにもはかなく短い。 しかし、 その続きの道は誰かによってきっと究められるはずだと信じる。 同じ道を探している同士を求む!! (宗教の勧誘とか、どこかの宗教に入りたいつもりはありませんのでご了承ください)

  • 純粋理性批判(Q2)

    純粋理性批判(Q2) 純粋理性批判を、光文社の中山元訳で読み始めたところです。 「005アプリオリな認識と純粋な認識」の項に以下の記述(A)があります。 『そして、アプリオリな認識のうちでも、経験的なものがまったく混ざっていない認識を、純粋な認識と呼ぶことにしよう。だから、たとえば、「すべての変化にはその原因がある」という命題はアプリオリな命題であるが、純粋な命題ではない。変化という概念は、経験からしか引き出せないものだからである。』 また、 「007アプリオリな純粋判断の実例」の項には次のような記述(B)があります。 『人間の経験のうちには、このように必然的で、厳密な意味で普遍的である判断、すなわち純粋でアプリオリな判断が実際に存在することを示すのは、たやすいことだ。~~~。日常的な知性の利用のうちに、こうした実例を探すとすれば、「すべての変化には原因がある」という命題を示すことができよう。この命題で使われている原因という概念には、原因が結果と結びつく必然性という概念と、この[因果律という]規則が厳密に普遍的なものであるという概念が明らかに含まれているのである。』 (ど)素人目には、ひとつの命題に対して「A-純粋命題ではない」「B-純粋命題である」と、異なる記述がなされているような印象を受けるのですが、どなたか私の勘違いを糾していただけないでしょうか。   

  • 純粋理性批判(Q2)

    純粋理性批判(Q2) 純粋理性批判を、光文社の中山元訳で読み始めたところです。 「005アプリオリな認識と純粋な認識」の項に以下の記述(A)があります。 『そして、アプリオリな認識のうちでも、経験的なものがまったく混ざっていない認識を、純粋な認識と呼ぶことにしよう。だから、たとえば、「すべての変化にはその原因がある」という命題はアプリオリな命題であるが、純粋な命題ではない。変化という概念は、経験からしか引き出せないものだからである。』 また、 「007アプリオリな純粋判断の実例」の項には次のような記述(B)があります。 『人間の経験のうちには、このように必然的で、厳密な意味で普遍的である判断、すなわち純粋でアプリオリな判断が実際に存在することを示すのは、たやすいことだ。~~~。日常的な知性の利用のうちに、こうした実例を探すとすれば、「すべての変化には原因がある」という命題を示すことができよう。この命題で使われている原因という概念には、原因が結果と結びつく必然性という概念と、この[因果律という]規則が厳密に普遍的なものであるという概念が明らかに含まれているのである。』 (ど)素人目には、ひとつの命題に対して「A-純粋命題ではない」「B-純粋命題である」と、異なる記述がなされているような印象を受けるのですが、どなたか私の勘違いを糾していただけないでしょうか。   

  • 哲学カテの住人は嫌われてる自覚ある?

    哲学カテの住人は嫌われてる自覚ある?

  • 純粋理性批判(Q2)

    純粋理性批判(Q2) 純粋理性批判を、光文社の中山元訳で読み始めたところです。 「005アプリオリな認識と純粋な認識」の項に以下の記述(A)があります。 『そして、アプリオリな認識のうちでも、経験的なものがまったく混ざっていない認識を、純粋な認識と呼ぶことにしよう。だから、たとえば、「すべての変化にはその原因がある」という命題はアプリオリな命題であるが、純粋な命題ではない。変化という概念は、経験からしか引き出せないものだからである。』 また、 「007アプリオリな純粋判断の実例」の項には次のような記述(B)があります。 『人間の経験のうちには、このように必然的で、厳密な意味で普遍的である判断、すなわち純粋でアプリオリな判断が実際に存在することを示すのは、たやすいことだ。~~~。日常的な知性の利用のうちに、こうした実例を探すとすれば、「すべての変化には原因がある」という命題を示すことができよう。この命題で使われている原因という概念には、原因が結果と結びつく必然性という概念と、この[因果律という]規則が厳密に普遍的なものであるという概念が明らかに含まれているのである。』 (ど)素人目には、ひとつの命題に対して「A-純粋命題ではない」「B-純粋命題である」と、異なる記述がなされているような印象を受けるのですが、どなたか私の勘違いを糾していただけないでしょうか。   

  • 純粋理性批判(Q2)

    純粋理性批判(Q2) 純粋理性批判を、光文社の中山元訳で読み始めたところです。 「005アプリオリな認識と純粋な認識」の項に以下の記述(A)があります。 『そして、アプリオリな認識のうちでも、経験的なものがまったく混ざっていない認識を、純粋な認識と呼ぶことにしよう。だから、たとえば、「すべての変化にはその原因がある」という命題はアプリオリな命題であるが、純粋な命題ではない。変化という概念は、経験からしか引き出せないものだからである。』 また、 「007アプリオリな純粋判断の実例」の項には次のような記述(B)があります。 『人間の経験のうちには、このように必然的で、厳密な意味で普遍的である判断、すなわち純粋でアプリオリな判断が実際に存在することを示すのは、たやすいことだ。~~~。日常的な知性の利用のうちに、こうした実例を探すとすれば、「すべての変化には原因がある」という命題を示すことができよう。この命題で使われている原因という概念には、原因が結果と結びつく必然性という概念と、この[因果律という]規則が厳密に普遍的なものであるという概念が明らかに含まれているのである。』 (ど)素人目には、ひとつの命題に対して「A-純粋命題ではない」「B-純粋命題である」と、異なる記述がなされているような印象を受けるのですが、どなたか私の勘違いを糾していただけないでしょうか。   

  • 地球は 動物は なぜ誕生したのですか?

    地球は 動物は なぜ誕生したのですか? すべてのことには理由がある 気がするのですが であれば なぜ 地球があって 人が 誕生したのでしょうか?

  • 命の尊さについて

    命の尊さについて 子供たちに語ることになりました 伝えることはだいたい決まってます ただ命の尊さを分かりやすく理解してもらうためにたとえ話が欲しいと言われました 誰かそのような話はありませんか 中学一年生なのであまりにも幼稚っぽい話はダメですし たとえばこういう夢を見て命の大切さを思い知らされたとか テレビで見たとか自分で作った全くの空想の話でもいいです 出来れば物語のようなものがいいです 最近 命を大切にしない子供が増えています 私は一人でも多くそのような子供の間違った考えをなくしてほしいと考えています がその話をする会まで日にちがあまりありません 物語風でだれか手を貸してください 子供たちの将来のためにも お願いします 補足 命は失うとそれっきり元に戻らないだから尊いものだしだから失うのが怖いものだと思います これが私の考えを簡単にまとめたものです .

  • 哲学よりボランティア

    哲学よりボランティア 哲学は、何の役に立つのでしょう? たとえば「自分と何か?」という問いに対し、深い認識を得たとしましょう。 しかし、それが、(社会の、)何の役に立つのでしょうか? 「哲学する時間があれば、ボランティアをせよ!」 そう言う人がいたとします。 あなたなら、何と答えますか?  

  • 今回自社のセミナーを開催することになりました。どんな曲が良いか?と言う

    今回自社のセミナーを開催することになりました。どんな曲が良いか?と言う質問が多かったのですが、その回答にクラシックが良いというご解答が多かったので、アルバムでクラシックを購入しようと思っております。 つきましては、クラシックが詰まったオススメのアルバムがございましたら、是非オススメをクラシックの鈍感な私に教えていただけますでしょうか。

  • 神が存在するなら、神はなぜ真の悪人犯罪者どもをのさばらせておくのでしょ

    神が存在するなら、神はなぜ真の悪人犯罪者どもをのさばらせておくのでしょうか。

  • 日本人は 魂が去勢されているのでしょうか?

    日本人は 魂が去勢されているのでしょうか?  考えられることとして:  1 暴力団や右翼による脅しを――それらが必然的なことかどうかを別として――含めて 天皇制という禁忌とその観念における心理的な委縮もしくはむしろそのタブーへの賛同。  2 核戦力を持たない者にとって 核の脅威。   3 CIA。  4 昔からもともとだ。   5 その他。  6 いやいや腑抜けなんかではない。このやろう いい加減にせんかい。  アンケートではありませんで ご見解をおおしえください。そして当然のごとく どうすればよいかが問われるはずです。その問いにもお答え願えればありがたいです。  なお私的なことですが この問いは 過去のわたしとのいきさつにかかわらず どなたからのご投稿をも歓迎いたします。いざこざの問題を超えた問いだと思うからです。

  • 身内にエホバの証人がいます。私は宗教そのものが大嫌いで心底軽蔑してます

    身内にエホバの証人がいます。私は宗教そのものが大嫌いで心底軽蔑してます。このGWに遊びにきて何回か食事しましたが、その都度食膳に「ブツブツブツブツブツ…アーメン」みたいなことをします。外食の際もおかまいなし。一度少なくとも俺がいる時ぐらいは祈る時間ずらすとかそういう配慮してくれん?と伝えたことはあるのですが、基本的にこういう宗教にぞっこんの連中というのは自分の宗教上の理由を最優先にする(宗教でいちばんムカつくところ)傾向があり言ってもムダでした。わけあって幼いころ私も集会に行っていたので若干かじってはいます。見ていればまだ言葉もまともに話せない一桁年齢の子供にも宗教を押し付けるなんてどういうつもりなんでしょう。正直そういった宗教にハマっている身内とは縁を切っちゃいたいです。実の両親・実の兄弟でももう会いたくありません。ハルマゲドンといのが来てその後に1000年王国というのが来るらしいのですが、そこで改心できないと楽園?(仏教だと天国?)で永遠に生きることはできないそうです。A(私)とはお別れだねぇ。とか平気で言うんですがどういうつもりなんでしょう。間違ってもお前らと永遠に生きるなんてことはこっちからお断りです。頼んでないし。とにかくストレスがたまって爆発しそうです。で、その身内の信者もちょっとずつ増えていってます。みなさんはこんな私をどう思われますか?というのが質問です。「なんだそりゃ」とか思う方はできればスルーでお願いします。