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日本の真の戦争目的は軍の自存自衛?
太平洋戦争(大東亜戦争)の日本の戦争目的は「自存自衛」であったと言う意見をネットや書籍で沢山見受けられます。 確かに日本の大義名分では「自存自衛」と言っていたのは事実でしょう。 しかし建前・大義名分から離れて、本音ベースかつ主観上の話なら当時の政府&軍首脳(特に陸軍)の戦争目的は「日本の海外領土を維持する為」ではないでしょうか? 長くなりますが、事実上開戦を決意した1941年11月1~2日の大本営政府連絡会議の後間もない11月4日の軍事参議会(一線を退いた軍幹部から構成される諮問機関)での東条英機の発言から引用します。(国立公文書館アジア歴史資料センターレファレンスコードC12120205700)「昭和16年11月4日 軍事参議会に於ける質問要旨」の9~10/24) ~~ 上述軍令部総長の長期戦に於ける見透しに於て二ヶ年後の戦局に就ては不明なりとの点につき補足せんとす。本事項は連絡懇談会に於ても論点となりし所なり。二年後に於ける戦局の見通し不明なるに拘らず開戦の決意に到達せし所以次の如。 現在我れの採るべき方策としては四年に亘る対支戦果を以て動かず隠忍自重しあるべき途あるべし。此の場合二年後の状況を予想せば如何。油は不足すべし又米の国力戦力は整い殊に航空戦力は著しく我と隔絶し南方要地は難攻不落の状態となり我対南方作戦は極めて不自由且困難となる。此際米の対日態度は攻守素より予測し難きも若し積極的に挑戦し来らば我れは屈服の他なからん。以上は物の関係より考及せし所なり。 次に支那事変の見地より考ふるに、対日経済封鎖は益々強化せらるべく我れは何ら策の施すべきものなし。此状態は重慶、ソ連に反映すべし。我占領しある支那の地域満州の動向は如何、更に台湾、朝鮮の向背如何。此の如きは徒に拱手して昔日の小日本に還元せんとするものにして光輝ある二千六百年の歴史を汚すものと謂わざるべからず。 以上により吾人は二年後の見透しが不明なるが為に無為にして自滅に終わらんより難局を打開して将来の光明を求めんと欲するものなり。二年間には南方の要域を確保し得べく全力を盡して努力せば将来戦勝の基は之れに因り作為し得るを確信す ~~ 要するに、じっとしていると(この発言では、上記を読めばわかる様に、石油全面禁輸を受けたまま対米開戦には踏み切らず日中戦争は継続する、と言う意味)満州・朝鮮・台湾を失い『昔の小日本に戻る』かも知れないから、長期戦の見通しは不明(って言うか勝ち目はなさそうと言っているに近い)でも『将来の光明を求め』ようとするものだ、って言っていますよね。 もしこう意味、つまり海外領土を失わない為の戦争を「自存自衛」であるのは明白だって言えますかね? 少なくとも大義名分を明らかにする目的の開戦の詔勅ではそうは言っていませんね。 更に言えば、東条英機は米国に全面屈服する気がなかったから“石油全面禁輸を受けたまま日中戦争を戦い続ける”と言う、現実的にはそんなアホな選択肢は誰も選ばない様な前提を置いていますが、実際には対米全面屈服と言う選択肢もありました。 大本営陸軍部戦争指導班の機密戦争日誌の1941年8月7、8日分(米国の石油全面禁輸を受けて間もない頃)から引用します。(アジ歴レファレンスコードC12120318900) ~~ 対英米方策を如何にすべきや 対英米戦を決意すべきや対英米屈服すべきや戦争をせず而も屈服せず打開の日なきや 此の苦悩連綿として盡きず 班内二日間議論す 対米大長期戦争は避くべし而して三国枢軸離反対米屈服が今更出来るや 対米長期戦争の勝ち目はなきも不敗の算はなきや 詔勅を仰ぎたる枢軸結成を今更離脱し得るや 実質的離脱はともかく表面的離脱は皇国の面子を許すや 皇国の面子を損せずして一時的に妥協し日米戦争の発生を成るべく遅かしめる策案なきや 少なくも独の対英攻撃更に激化せらるる時期迄米をおさえ油を取る方法なきや正に国難到来なり 真に非常の秋なり ~~ 対米開戦か対米全面屈服か、と言う二者択一を迫られて、何かそのどちらでもない道がないか、って考えていたって事ですよね。 つまり対米全面屈服、具体的には日米交渉の最大の対立点だった中国からの撤兵について、米国の言う通りにすれば対米戦を回避する道はあるとは考えられていたって事ですよね? じゃあ何でそれを日本が(特に陸軍にとって)受け入れられなかったか、と言うと1941年10月12日に近衛首相、豊田外相、東条陸相、及川海相、鈴木企画院総裁の5人が近衛の私邸で会合した時の記録がアジ歴レファレンスコード C12120253500で見られます。 そこから引用します。 ~~ なお細部に付いて言えば、駐兵問題は陸軍としては一歩も譲れない。 所要期間は二年三年は問題にならぬ。第一撤兵を主体とすることが間違いである。退却を基礎とすることは出来ぬ。陸軍はがたがたになる。支那事変の終末を駐兵に求める必要があるのだ。日支条約の通りやる必要があるのだ。所望期間とは永久の考えなり。作戦準備を打ち切っても出来ると言う確信がなければいかぬ。やって見て出来ぬから統帥部にやれと言うのでは支離滅裂となる。吾輩は今日まで軍人軍属を統督するのに苦労をして来た。世論も青年将校の指導もどうやればどうなるか位は知って居る。下のものをおさえて居るので軍の意図する処は主張する。御前でも主張する考えなり。 ~~ おわかりの様に、中国からの撤兵を受けたら陸軍がガタガタになる、下手をしたら青年将校が暴発するかも知れない、だから、撤兵は絶対にダメだって言っていますよね。 陸軍がガタガタになる理由を二日後の閣議で東条は(実際には日本が作った汪兆銘政権を正統な政府としてしまった手前)、日中戦争では領土も賠償も要求していないのだから、駐兵権だけは確保しないとこれまで費やして来た膨大な人命や国費が全て無駄になるではないか、って趣旨の事を言っています。(アジ歴レファレンスコードC12120253600) つまり客観的には「日中戦争は全く無駄でした。」って事に出来ないから、米国に屈服出来なかった。 東条英機の主観では、対米全面屈服しない、と言う前提に立つと、石油全面禁輸を受け続けるしかなく、そうすると満州・朝鮮・台湾が危うくなるから対米開戦しかないって事ですね。 これは、日米交渉の最大のネックだった中国からの撤兵問題に最も強硬だった陸軍の親玉である東条英機自身が、プロパガンダなんて言う必要のない首脳間の非公式会合や閣議や軍事参議会が言っていた事です。 日本が対米開戦に踏み切ったのは、国としてではなく軍部(特に陸軍)の組織の自存自衛の為ではないのでしょうか?
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