• ベストアンサー

アカデミー賞と観客について

1380649874335の回答

回答No.1

アカデミー賞の事でしょうか。 出席は招待客のみ、みたいですね。 お祭りみたいなものですから いいんじゃないかと思います。 会場入りする俳優・女優も 一般の観客を蔑ろにしている訳ではないでしょう。 その場面だけを切り取って、 全体を語るのは少し違うように思います。 映画関係に詳しい訳ではりません。 アカデミー賞とかも興味ない人間です。

qazwsx21
質問者

お礼

さっそくのご回答ありがとうございました。

関連するQ&A

  • アカデミー賞

    今調べものをしているんですが、 アカデミー賞の会場に来た俳優と女優のファッションが写真で一覧で見れる アメリカのサイトがあったら教えてください。 たとえばこのような映画のサイトがあるみたい http://www.imdb.com/ なんですがこれもアカデミー賞のファッションが一覧で見れるかどうかわからないんですが (とにかくこのサイトを教えられたんですがどこからどういったらそのアカデミー賞のファッション一覧が みれるかわからない) 探しているのは2001-2011までの期間です。 よろしくお願いします。

  • 日本アカデミー賞最優秀賞は?(20:00〆切)

    今夜発表になる日本アカデミー賞で最優秀賞を獲得すると思う作品はどれだと思いますか?また俳優は誰だと思いますか? 知らない人のために書きますが、今年から新人賞で最優秀賞の発表が無くなり、代わりに3人~5人が選ばれる新人俳優賞になりました。 http://www.ntv.co.jp/j-academy/ ちなみに自分は 作品賞:THE 有頂天ホテル アニメーション作品賞:ゲド戦記 主演男優賞:寺尾聡 主演女優賞:松雪泰子 助演男優賞:笹野高史 助演女優賞:蒼井優 などで、他の映画賞でも獲得している助演女優賞の蒼井優ちゃんのみ自信があります。

  • 観客に要求される意識とは何か

    外国映画、特にアメリカ以外の映画で例えば昔のジャンヌモローさんや『17歳』のペネロペクルスや『ベティブルー』の女優さんたちは腋毛をはやしていましたが、 『外国映画の中で女優さんが腋毛をはやしている場合はそこに『含み』があるので、観客側はそれを理解した上で鑑賞する教養が求められる』と説明を受けましたが、 具体的に『含み』とそれを理解する文化的教養が私にはいまいちよくわからないのですが、ヨーロッパ映画に詳しい方、説明をお願いいたします。

  • 俳優がブログで観客を批判(長文です)

    タイトルのとおり、過日千秋楽を迎えた芝居で、出演俳優の一人がブログ上で観客批判を行いました。 その俳優は、コメント欄で多くの抗議や反論を受け、一旦は謝罪しましたが、観客批判の根拠や 事実関係には一切触れていませんでした。多くのコメントでその説明を求められているのにです。 そのため更に多くの反論を受け、現在は一部をのぞき観客批判や謝罪の文章は削除されており、 コメントもできなくされ、真相はうやむやになっております。 何人かの方は主催者に問い合わせたようですが、もうすんだ舞台ですし、回答は得られないようです。 ですのでなんとかこの俳優本人に、再度ブログ上で真相を説明したうえで謝罪をしてもらいたいと思っております。 そのための、何かよい手立てはないかと質問させていただきました。 大まかな経緯は以下のとおりです。 ・稽古中から愚痴をブログに掲載(削除済) ・舞台開幕後、ブログ上で観客批判(特定の出演者のファンだと遠まわしに記述) ・抗議を受け上演期間中更新を休止 ・千秋楽後、舞台の所感など一切述べず、いきなり批判を再開 以後は最初に書いたとおりなのですが、その批判内容は批判というより言いがかりというか、 中傷といってもいい内容で、実際にはありえないことや、客席ではありがちなことをおおげさに 言い立てているようにしか思えないのです。 私はよくいろんな舞台を見ますが、この公演は本当にマナーがよく、演出家の方も特に 変なことはなかったと言っておられます。 実際にこの公演を観劇した多くの観客もそうコメントしています。 このままこのことがうやむやになれば、私たち観客は舞台の感動を踏みにじられたうえ、 悪者にされたままで、その俳優はのうのうとしているのです。 ですので、何かよい案があれば、お教え下さい。 よろしくお願いいたします。

  • 映画をつくるのに費やす時間・日数はどのくらいですか

    映画を一本つくるのには、どのくらいの日数がかかるのでしょうか? 出演する俳優・女優は、一本の映画をつくるのに、どのくらいの時間・日数の労働をするのでしょうか? 一日何時間で、延べ何日くらいでしょうか? よく俳優・女優が語るのをきくと、「映画の撮影で待ち時間が長くて・・・」と言うことがありますが、映画撮影の「待ち時間」とは何を待っている時間なのでしょうか? 

  • 演劇における「俳優の視点」の意義とは?【演技論】

     役者って、演じる際に「役の視点、俳優の視点、観客の視点」の三つを同時に使い分けるそうですね。これに関する疑問ですが、その前に質問の背景から説明しておきます。  前に「芸術心理学の新しいかたち」(編著:子安増生)という本を読んだ時に、とても興味深いことが書かれていました。第8章の「演劇の心理学──演劇の熟達者とは(執筆者:安藤花恵)」によると、演劇における演技論には日本であろうと西洋であろうと『心』を重視したタイプと『形』を重視したタイプの両方が必要であり、その二つが融合した状態が理想的なんだそうです。  役の中に自己を完全に投入することで演じる役になりきったり、「この役がこの状況ならこんな気持ちになるだろう」とか想像したり、演じる役やその状況に相応しい感情を呼び起こすことに集中する方法論が『心』であり、そして外からはどう見えているのかという所から入って意識的に役を見せたり、「観客にちゃんと伝わっているのだろうか」とか考えたり、自分を観客の立場に置いて観客の視点から自分の演技をモニターすることに集中する方法論が『形』とのことです。  河竹登志夫によれば「感情移入型」が『心』であって「他者表現型」が『形』と分類していますし、それからウィルソンによると「想像的アプローチ」が『心』であって「技術的アプローチ」が『形』であると分けているようです。  ここから本題なのですが、安藤花恵によると演技には「役の視点」「俳優の視点」「観客の視点」という三つがあって、「役の視点」というのが「想像的アプローチ」にあたり、「観客の視点」というのが「技術的アプローチ」に対応しているのだそうです。しかし、私には「俳優の視点」の説明が今一つわからないのですよ。  安藤花恵はグライトマン(Gleitman)という人の話を持ち出して「俳優の視点」を説明します。俳優は演技中、もし自分がその役であったなら抱くであろう感情を実際に抱いているのと同時に「もうすぐあの場所に移動しなければならない」というような段取りを決して忘れない、冷静な自分も残していると。前者が役の視点で、後者が俳優の視点に立っていると言うのです。  しかし私には「もうすぐあの場所に移動しなければならない」という冷静さや、その思考結果から、どうにも「観客の視点」に回収しても良いのではないかと思うのですよ。何故ならその思考内容によって、前もって組み立てられている演劇のプラン(脚本みたいなもの?)を役の感情によるノリに基づいた無茶苦茶なアドリブの追加で潰したりしないようにモニタリングをした結果が生まれ、その結果として他の演者や観客の皆さんに迷惑がかからないように舞台の進行が脱線することなく運ばれていくからです。  つまり、これなら「観客の視点」による『注意』だけでも良いんじゃないかなと。「ここでこうしないと周りが困るよな」で事足りていないかと。ちょっと言い過ぎかもしれませんが、それでも「俳優の視点」の必要性が「観客の視点」の範疇に含まれる気がしてなりません。図式化すれば「心=役の視点」「形=観客の視点and俳優の視点」といったところでしょうか。  また、安藤花恵は「芸術心理学の新しいかたち」の220から221ページにかけて、次のように書いておられます。 >芸術というものは必ず何かの表現であり、基本的にはその表現の >受け手を想定している。したがって「技能領域」であろうと「非技能 >領域」であろうと、「観客の視点」に立つことは重要であり、 >また「俳優の視点」や「役の視点」にあたるものが必要になることも >多いのではないか。  この発言からは「心=役の視点and俳優の視点」「形=観客の視点」といった区分けの仕方をしていることが薄っすらと示唆されており、三つの視点という分類の境界線がブレているように感じられます。 ※ ちなみに技能領域と非技能領域の違いは、時間の制約を受けるかどうか、やり直しが出来るかどうかとのこと。  それから安藤花恵はこの本の220ページで、フィギュアスケートや小説でも三つの視点が必要ではないかという文脈で、次のように語っています。 >たとえばフィギュア・スケートの選手は、「このように滑れば観客 >にはどのように見えるだろうか」「自分の今の滑りはうまくいって >いるのだろうか」などと、「観客の視点」で自分のパフォーマンス >を客観的に見るであろうが、それと同時に、「次の回転は苦手な >ところだから慎重にしよう」などと、自分自身の視点、つまり、 >「俳優の視点」で考えたりもするだろう。  ……そして良い文章を書くためにはその場にいない読者がそれを読んでどう感じるかを考える必要がある、という話の後に次の文章があります。 >つまり、「創造的非技能領域」に含まれる、 >小説を書く、作曲をするなどという芸能活動にも「観客の視点」が >必要だといえるのではないだろうか。自分自身の視点(俳優の視点に >あたる)から、「この部分を最大の山場にしよう」などと考える >こともあるだろうし、小説などでは、その登場人物の視点に立って >考えることもあるかもしれない。  フィギュアスケートによる説明のケースも、あくまで『注意の喚起』が必要なだけであり、これなら「俳優の視点、観客の視点」などという区分をせずとも「形=観客の視点、他者表現型、技術的アプローチ」だけで良いでしょう。とにかく客観視することが目的ですからね。小説による説明の場合も、即興劇ならともかく、通常の演劇ならば上演前に作るべきことは既に作り終わっており、その事前に立てたプランを上演時間中に実行することが目的なので、特別これといって『実演中』に「俳優の視点」へと移行させなくても構わないのではないでしょうか?  他にも、215ページにて安藤花恵自身が大学時代を振り返っての経験を、次のように書いております。 >つまり、自分の演じる役がどう感じているか(役の視点)や、自分が >観客にどのように見えているか(自分だけを見る観客の視点)を >考えるだけでなく、劇全体が観客にどのように >見えているか(より良い観客の視点)を考えたり、脚本をよく読んで >全体の流れなどを分析する(俳優の視点)ことを学んだのである。  俳優の視点があれば、上演中に思わぬ緊急事態が発生した場合でも、全体の流れを汲み取って上手に軌道修正することが出来るでしょう。しかし、ある意味ではそういった対処が迫られた時にのみ必要であって、上演している間に役者が「俳優の視点」を『つねに』心掛けることはしなくて良いのではないかと思われます。  このように「芸術心理学の新しいかたち」をいくら読んでも「俳優の視点」の必要性がよく分かりません。  「役の視点」の意義なら、まだ分かります。よく言われるように役の情感がこもっていない演技は、たとえどんなに素晴らしい技巧が演技の中にあろうとも魅力が少なく、何か物足りなくて、どこか嘘臭さが感じられるそうですね。逆に「役の視点」がしっかり出来ていれば、魅力的に映り、その感情に嘘がないように感じられるみたいです。紋切り型の演技では難しい、役に命を与える作用がそこにあるのでしょう。  「観客の視点」の意義もまだ分かります。演じる者にこの視点が無ければどうなることでしょう? 演者は必要な情報を観客に必ず届けねばなりません。でなければ観客の手から作品世界に入るための手掛かりが不足し、作品の外へ放り出されてしまいます。観客のためにも、冷静さと微調整を忘れずに、大事な情報をいかにして最適な演技で伝えるか、ということを演技の最中であろうとも頭に置いておくべきです。  ところが「俳優の視点」の意義は、どうにもこうにも分かりません。これなら、役に入り込むのと同時に演技のモニタリングが出来る役者であれば誰であろうと構わないんじゃないですか? 幾らでも交換可能である歯車的存在に過ぎなくて、別に役者自身の視点を舞台に持ち込むことはしなくてもいいかと思われます。というか「俳優の視点」の具体例をどんなに眺めても、その視点ならではの『特色』が見えてこないのですよ。  極論を言えば次のようになります。「あぁん? 俳優の視点だと? そんなもん屁でもねぇな! 役者ってのは『観客にメッセージを送れるシャーマン』であればそれで十分なんだよ!!」  ……しかしこの極論は流石に変です。根拠はありませんが、感覚的に「これはおかしいぞ」と胸騒ぎを覚えるのです。ですがその理由をはっきりと掴むことが出来ません。  私の素人的意見としては『心』と『形』の二つだけで演技を語るのにちょっと無理があるのではないかと思っているのですが、どうなんでしょう?  長々と書きましたが、質問は以下に述べる三つです。どれか一つだけ選んで回答する、というのでも全然構いません。 ・質問その1 演劇の実演中に「俳優の視点」を取り入れなくても良いのでしょうか? それとも取り入れたほうが良いのでしょうか? また、その理由は何なのでしょう? ・質問その2 改めて「役の視点、俳優の視点、観客の視点」を解説してもらえませんか? 特に「俳優の視点」について重点的に説いてもらえると助かります。 ・質問その3 もしも「俳優の視点」が無かったら、どのような舞台になるのでしょう? つまり「役の視点」も「観客の視点」も立派なのだけれども「俳優の視点」が欠落している演劇からは、一体何が失われているのかということです。というかそのような演劇を実際に見たことがある人っているのですかね?  演劇未経験者であり芸術に疎いド素人な私にも分かるように説明して頂けると助かります。

  • 感動のおススメ映画といえば?

    私はほとんど邦画しか見ません。 海外の女優さんや俳優さんのことをほとんど知らないため、どうしても邦画ばかりになってしまいます。 邦画と言っても、話題作や好きな女優さん俳優さんが出演しているものを主に見ます。 最近、映画を全然見ていなくて、久しぶりに感動する作品が見たい!と思っています。 洋画・邦画のどちらでも構いません。 また、上映中・レンタルもどちらでも構いません! 「この映画すごく感動した!」 「あまり話題にならなかったけど、ジーンときた!」 というような映画を教えてください。

  • フランス映画「taxi」で

    こんばんは。フランス映画taxiで出演をしている 俳優さん・女優さんについて教えて下さい。 このtaxiシリーズで4は出ていますか?

  • 第71回アカデミー賞について

    第71回アカデミー賞(1998年度)について、 「この映画は良かった」や「ノミネート外だがこれも良い」など 感想を色々聞かせていただきたく、質問しました。 どうぞよろしくお願いします。 参考: 1998年の結果は、このようになりました。 作品賞「恋におちたシェークスピア」 監督賞スティーブン・スピルバーグ(プライベート・ライアン) 主演男優賞 ロベルト・ベニーニ(ライフ・イズ・ビューティフル) 主演女優賞 グウィネス・バルトロウ(恋におちたシェークスピア) 外国語映画賞 ライフ・イズ・ビューティフル(イタリア) ニューヨーク批評家協会賞は、このようになりました。 作品賞「プライベート・ライアン」 監督賞テレンス・マリック(シン・レッド・ライン)

  • 俳優・女優が声優をすることについて

    俳優・女優としてテレビに出演している人が、映画やテレビで、声優をしているのを見かけますが、どう思いますか? 私は声優は本当に「声」だけの勝負なのに対して、俳優・女優は演技や表情といった体全体で勝負するもの思っているので、俳優・女優が声だけ出演している映像を見ていて違和感を感じますし、声優が演じているキャラクターはとは一線を画していると思います。 ただ単に客集め・興味本位のためにやっているようにしか思えないのですが。 皆さんはどう感じていますか?