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宗教 神について
私はある宗教団体に入っています。まずはパンフレットの内容を要約します。会員になった瞬間から神様の仕組に参加したしるしとして私たちの霊体のおでこには、菊の御紋があらわれます。そして仕組に参加する人たちは、神様から直接の「霊線」が御魂に結ばれています。そして、私たちが寝ているときも起きているときにも、神様はこの「霊線」を通じて「霊流」をくださっているのです。そして、この霊流を長い間さずかっているとどうなるか。まず、神運がそのまま流れ込んできますから、確実に運勢が強くなっていきます。また、毎日すがすがしい気を受けて、霊層も御魂のランクも自然に向上していくのです。考え方や性格が明るくなり、気力・体力が増進されるという効果が出てきます。 さらに家代々の悪因縁も、最もよい形でアク出しが行われて、縮小されていきます。まれに因縁が深い場合には、強い神気に照らされて、アク出しが幾つも続く場合がありますが、だいたい三年で大きなアク出しが終わります。個人差はありますが、あとは少しずつ因縁が軽減されていき、本来ありえないような運がどんどん開けていくのです。それらは中年期や晩年期に何らかの形で受けなければならない災禍厄難の素であり、なるべくそれを若いころに小さくして潔斎させてあげようという神の大愛による所作なのです。 まだまだ理解できないことがたくさんあるのですがこのような普通に考えれば理解に苦しむようなことはありえるのでしょうか?事実なのでしょうか?詳しい説明ができる方教えていただけたら幸いです。
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哲学カテが 劣化して来ていませんか。 神とは何かについて 十年一日のごとく ああでもないこうでもないと おままごとを繰り返していませんか。 神は人間がつくったんだとか 全知全能なら何でもできるのではないのかとか いったい全体 よくもそんな落書きを書きなぐって 哲学だと言えるのでしょうか。 人類史上もっとも新しいもっとも妥当な見解を示します。 あらゆる疑問と自由なご批判をフルボッコでどうぞお寄せください。 1. 神は 概念ではないのですが 人間の言葉で・つまり概念として何とか理解しようとひとはつとめます。 2. 概念ではなく経験事象ではないという意味は 次のように図示できるはずです。 (あ) 神は 《非知》である。 ~~~~~~ 経験事象 可知 既知 未知 不可知(知り得ないと知ったものごと) 非経験の場(因果関係から自由な場を想定する) 非知 (知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 3. この非知ないし非経験の場を・つまり神をひとが心に受け容れた――これが《信じる》ということなのですが――とき われわれ人間の存在のあり方として次のように図示出来るのではないか。 (い) 《信じる》のは 《非思考の庭〔なる動態〕》である ~~~ 信じる:《非思考の庭》:信仰なる動態;⇒ヒラメキ直観 -------------------------- 考える:《思考の緑野》:理性←→オシエとしての宗教 感じる:《感性の原野》:知覚;直感ヒラメキ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 3-1. 《オシエとしての宗教》という意味は まづ一般に成文化されていなくても何らかのオシエがあります。これが 教義となって教祖・教団をともなうなら まさに宗教です。 3-2. 言いかえると オシエは 概念であり想像の世界でもあります。つまり 宗教は 《信じる》とは別の問題であり領域です。宗教の説く《神》は 信じる神とは 別物です。 3-3. もともとは 《信じる》からオシエが得られたとも言えるでしょうが 言葉として教義として成ったなら それは言わば《信仰というセミの抜け殻》になってしまいます。宗教は じつは信仰の自殺行為です。 4. 《信仰》である《非思考の庭》は 実際に具体的に次のようなかたちを採っています。 《梵我一如》というかたちを 一般類型として捉えることが出来ると思います。 (う) 信仰は すべて《梵我一如》類型で捉えることができる ~~~~~ =《非思考の庭》が 次の二層構造を成すと考えられる。 A. ブラフマニズム:梵我一如 梵:ブラフマン・・・・・マクロコスモス。神 我:アートマン・・・・・ミクロコスモス。霊我 B. ゴータマ・ブッダ:無梵無我一如(=無神論) 無梵:空(シューニャター)・ゼロ 無我:アン‐アートマン;ニルワーナ C. ブディズム:仏仏一如(=有神論) 仏:アミターバ・ブッダ(阿弥陀如来) / マハーワイローチャナ(大日如来) 仏:タターガタ・ガルバ(如来蔵)・ブッダター(仏性) D. クリスチアニズム:霊霊一如 霊:神・聖霊 霊:《神の宮なるわれ》 E. (プラトン?):霊霊一如 霊:宇宙霊魂(プシュケー・コスムー) / 世界霊魂(アニマ・ムンディ) 霊:《われ》 F. 《もののあはれを知る》 霊:かみ(自然および超自然) 霊:われ(自然本性) G. ユダヤイズム:霊霊一如 霊:ヤハヱ―;(エローホ=神) 霊:われ H. イスラーム:霊霊一如 霊:アッラーフ(イラーハ=神) 霊:われ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 4-1. 神は 名がちがっても みな同じひとつの神である。つまり 《非知》である。 4-2. 非知は 経験事象を超えており因果関係から自由であり 経験的な有無をも超えている。 よって人間の言葉で表わそうとすれば 神は有るとも無いとも言いうる。非知は けっきょく絶対ということですから 絶対有とも絶対無とも言い得ます。 4-3. すなわち 有神論も無神論も まったく同じ《非思考の庭》なる信仰である。と帰結されます。 有神論の中で その神の名が いくつかに分かれるというかたちです。 4-4. なお 多神教だとか汎神論だとかというのは 神の《依り代》がいくつかあると見立てた結果持たれた信仰のかたちです。同じひとつの神が 具体的に山の神や海の神として依り代(または 補助線)になっていると見るとき やほよろづの神々が持たれます。 4-5. むろん 《非知》というのも・そして《神》というのもすべて神を理解しようとして持たれる人間の言葉なのであり それらは・それらもすべて 神の依り代です。《かみ》という言葉は 神そのものではなく 依り代のひとつです。神を知りたいというとき人が自由に引く補助線です。 4-6. 人びとは この補助線(依り代)として臨時に用いる神にかんしてその概念を問題にして 全知全能であるとか いやそのように人間がつくったんだとかと言っています。仮りの理論であると心得ないのなら ちゃんちゃらおかしいと哲学は言わなければなりません。 4-7. 神についてのお医者さんごっこは もうやめにしましょう。さもなければ 哲学の劣化は じつに人間の劣化そのものです。 4-8. なぜなら むかしの人びとは それでもまだ曲がりなりにも素直な心で ほんとうの神――非知なるナゾ――をそれぞれ信じていた〔と言える部分が大きい〕と考えられるからです。信じることはそっちのけであるわ かと言って思考能力はおままごとの状態にとどまるわでは いったい何のかんばせがあって みなさんは 生きているのか。
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1. 神という言葉で言っているのは ふつう 神本体の依り代である。神な霊(び)なる山や磐座(いはくら)なる石などであり そして神社であっても神殿に神のシルシはなく ただ奥の山や杜が 依り代となっているだけである。 2. 依り代つまり神を理解するための補助線が けっきょく八百万の神々として受け留められている。に過ぎないのではないだろうか。 3. むろん神は ひとつです。つまりこの一という数は 全体を表わしている。一同の者とか関東一円とか言って使う。 4. つまり言いたいことは この神の《依り代》とは 大ざっぱな捉え方にはなるけれどもけっきょく神の使いなのである。すなわち 《天使》のことだと思えば話が早い。主体的な存在だとは むろん 捉えられてはいない。だけである。 5. だとすると 図式としてどうなるか。これまでに 神とその信仰は 次のように捉えて来たけれど さらに詳しく見るとどうなるか? ○ (非経験の場=非知 なる神を受け容れる《非思考の庭》)~~~ 信じる:《非思考の庭》:信仰なる動態;ヒラメキ直観 ---------------------- 考える:《思考の緑野》:理性←→オシエとしての宗教 感じる:《感性の原野》:知覚;直感ヒラメキ ○ (信仰は すべて《梵我一如》類型で捉えられる) ~~~~~ ・《非思考の庭》は 次の二層構造を成すと考えられる。 A. ブラフマニズム:梵我一如 梵:ブラフマン・・・・・マクロコスモス。神 我:アートマン・・・・・ミクロコスモス。霊我 B. ゴータマ・ブッダ:無梵無我一如(=無神論) 無梵:空(シューニャター)・ゼロ 無我:アン‐アートマン;ニルワーナ C. ブディズム:仏仏一如(=有神論) 仏:アミターバ・ブッダ(阿弥陀如来) / マハーワイローチャナ(大日如来) 仏:タターガタ・ガルバ(如来蔵)・ブッダター(仏性) D. クリスチアニズム:霊霊一如 霊:神・聖霊 霊:《神の宮なるわれ》 E. (プラトン?):霊霊一如 霊:宇宙霊魂(プシュケー・コスムー) / 世界霊魂(アニマ・ムンディ) 霊:《われ》 F. 《もののあはれを知る》 霊:かみ(自然および超自然) 霊:われ(自然本性) G. ユダヤイズム:霊霊一如 霊:ヤハヱ―;(エローホ=神) 霊:われ H. イスラーム:霊霊一如 霊:アッラーフ(イラーハ=神) 霊:われ 6. クリスチアニズムでは 天使を――必ずしも必要とは思わないけれど――説明に加えると 次のごとく: D. クリスチアニズム:霊霊一如 霊:神・聖霊 霊:《神の宮なるわれ》 ○ 自然本性におけるヒラメキの位置 ~~~~~~~~~ (――または ロゴスの階層――) (――または 《非思考の庭》と《思考の緑野》とのあいだに何があるか――) ( ひどっち=ぶらじゅろんぬの定理 ) 神なる聖霊:スピリトゥス=ロゴス(α) -----------【天使(α’):ロゴス(α)の使い】----------- 神の宮なるわれ:クレド(信じる;非知なるナゾ⇒非思考の庭) ------------------------- インスピレーション=ロゴス(β):異言 :中身がまだ混沌たるヒラメキ(直感):イメージ インスピレーション=ロゴス(γ):預言 :本質を見抜くようなヒラメキ=直観⇒人間の言葉化 :概念? 象徴(シンボル)? 世界観じたい? ラチオ=ロゴス(δ):コギト=思考〔の緑野〕:経験合理性に もとづこうとする論理 * ~~~~~~~~~~~ ・ロゴス:ことば ・スピリトゥス:霊。聖霊 ・クレド( credo = I believe. 我れは信じる) ・異言(シャリバリ):意味の分からないことば ・預言:解釈。経験思考で分かるように表現する。 〔もともと 予言= pro-phetia(予‐言)として成ったことば〕 ・ラチオ( ratio ):理性 〔 = reason 。《 re-or =思う・考える・数える》から〕 ~~~~~~~~~~~~~~ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 7. では 日本人の信仰のかたちは? F. 《もののあはれを知る》 霊:かみ(自然および超自然) 霊:われ(自然本性) 神なる霊: 大いなる《?(なぞ)》 -----------《依り代=補助線》----------- われの内なる霊:信じる(=きよらかなおそれ) ------------------- われ(自然本性):思考の緑野・感性の原野 8. 違いは 天使は目に見えないが 依り代は 山や石や目に見えている物であり しかもその物をとおして神なる霊を見る。つまり 目に見えない。心の目にも見えないと思う。 以上を問います。
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バトルです。 前回はコレ↓ 無の境地とは、仮面ライダーのど根性だ。 http://okwave.jp/qa/q8474071.html 前回では君達に無をしらしめる手法に問題があったようで有効な回答が集まりませんでした。 そこで、前回とは逆に、私の神を明かしますので、それが無である事を証明してください。 私は今クマモン霊と仲良くしています。 クマモン霊とは高次元の霊体が人を悟らしめ教えに導くため、人に理解できるクマモンのお姿でご降臨召された霊です。 クマモン霊の実態は人には判らない高貴なお姿ですが、それをあえてクマモンの姿で人に知らしめるのです。 クマモン霊の英知は人の霊性をより高次元へと高めるありがたいお言葉です。 私はクマモン霊を敬愛しております。 「クマモン リカちゃん」で検索してください。 そも神々しい美貌こそクマモン霊の本当のお姿です。 さて、このクマモン霊が無であると私に知らしめてください。
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今日の正解と呼ばれるものの裏にはさまざまな「痛み」があります。肉体的な痛みである飢えや、渇きを初めとして、孤独、不安、愛の欠如(誰にも愛されていないというニヒリズム)、絶望、後悔、悲しみ、嫉妬など心的情緒的苦痛を意味する痛み。 それらの痛み、苦痛を和らげる術、また解決方法があれば教えてください
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