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古文にかかわる現代用法の「逆接」

(1)【活用形+読点】 已然形+読点≒逆接の「けど」? e.g. ~こそすれ 命令形+読点≒逆接の「ても」? e.g. ~であれ(?)、~ともあれ (2)【活用形+助詞】 意向形+が、と≒逆接の「ても」? 已然形+ど(も)≒逆接の「ても」? いくつの本を参考しましたが、 やはり母語話者に聞いてみたほうがいいと思います。 「?」のところはただ私の判断です。 正しいかどうかわかりません。 本当はどうなっていますか。 もし私の判断が正しかったら、 どうしてでしょうか? ありがとうございます! (日本語はまだまだなので、おかしいところがありましたら、ご指摘ください。)

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  • OKAT
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回答No.1

これは難問のようですね。(本当は答えるのが厄介だというのが本音) こういう形での質問は、具体例は回答者が考えることを要求していることになりますね。 >已然形+読点≒逆接の「けど」?  e.g. ~こそすれ 「こそすれ、」という語法は古文での係り結びの一つで、「すれ」の後に「ども」という逆接の接続助詞を補って考えることになります。  《例》 むずかしい条件は<ありこそすれ、>決して解決不可能な問題ではない。 この<ありこそすれ、>の部分は「あるけれども」と言い直すことは可能です。したがって、≒逆接の「けど」はおおむね正しいと言えます。 >命令形+読点≒逆接の「ても」?  e.g. ~であれ(?)、~ともあれ 「であれ、」の「あれ」は確かに命令形ですが、その用法は単なる「命令」ではなく「許容」・「放任」の意味があり、「~てもかまわない」と言う意味を表します。また「願望」(~てほしい)の意味を表す場合もあります。  《例》 それが何<であれ、>使えるものは使えばいい。 <であれ、>→「であっても」の意味になり、結果は正しい。この場合は「許容」の用法でしょう。 >意向形+が、と≒逆接の「ても」? 意向形とは聞き慣れない言葉ですが、未然形+「う(よう)」のことでしょう。  《例》 それが何で<あろうが、>使えるものは使えばいい。  わざと上と同様の例をあげました。逆接の「ても」というのは正しい。 >已然形+ど(も)≒逆接の「ても」?  この言い方も、古文の用法ですね。    《例》 畜生<なれども、>無残なる死を遂げしことかな。  <なれども、>は「であるけれど」の意味で、 ≒逆接の「ても」は正しい(かな?)。      質問文に関して。 「本当はどうなっていますか。」→「それで正しいでしょうか」 「もし私の判断が正しかったら、どうしてでしょうか?」→「もし私の判断が正しくなかったら、どこがまちがっていますか?」 「ありがとうございます!」というのはお礼のことばだから、回答があってから言います。

CCHiroshi
質問者

お礼

ありがとうございました。 だいたいわかりました。 勉強になりました。

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