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日本語を書面に表現する際の漢字使用の必要性について
- 日本語を書面にて表現するのに、漢字は必須かという疑問があります。戦後、漢字の弱点が指摘され、廃止論も提唱されましたが、現在も使用されています。
- より能率的な表記法があれば漢字の使用を減らしても良いという意見もあります。アルファベットやローマ字に限らず、現存する表記法や新しい表記法のご意見を求めています。
- 日本語の表現には歴史的・文化的・学問的・教育的・芸術的・科学的な要素があり、社会全体のニーズを考慮して意見を募集しています。参考文献『漢字と日本人』も紹介しています。
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>日本語を書面にて表現するのに、漢字は必須か。 はい、必須だと思います。 理由 ・日本語は発音数が少ない上に、同音異義語が多い ・この同音異義語の多さ、煩雑さを埋め合わせるために「文章を読む際に、読み手が頭の中で漢字を補完して意味を把握している」(出典を忘れましたが、漢字に関する書籍にこう書いてありました。同意します) ・朝鮮語は日本語同様、ハングルであっても漢字で意味を補完していたと思われるが、現在ではほぼ漢字の素養が失われたため、朝鮮語の文化的根幹が危うくなっているとされる。 例:http://chourakunosaka.blogspot.jp/2013/06/blog-post_7993.html この例でいえば、医療で必要な「陣痛(チントン)」と「鎮痛(チントン)」の漢字由来による違いは重要であろう。 以上が主な理由ですが、さらに文法的な問題も含んでいます。 ・日本語は格助詞を使うことによって、文型から開放された言語であるが、その分漢字に縛られている。 ・ひらがなは日本語の発音則に対応していない。(あくまでも漢字の補完である) 私が中学のときに、英語を習って非常に悩んだのは「なぜ英語には格助詞がないのか」ということでした。日本語は、格助詞があるゆえにどのように単語を配置しても、意味がそれなりに通る、という構造を有しています。漢字の発明国である中国語では、英語同様文型に則らないと意味が異なってしまいますが、日本語は「日本語という、基本文型が中国語と違う言語に、漢字を導入するために」格助詞などを発展させ、日本語として自由に漢字を埋め込めるようにしているといえます。 一例 「うらにわにはにわにわにはにわにわとりがいる」この文章をひらがなだけで表すと 「うらにわにはにわ、にわにはにわ、にわとりがいる」になりますが、まだ「にわにはにわ」が何を言っているのかちょっとピンときません。実は英語などの言語でaやtheなどの冠詞や序数詞が発達したのには、こういう名詞が重なったときのわずらわしさを避ける、という理由があります。 日本語はこれらのわずらわしさをほぼすべて漢字を利用することで回避しているのです。したがって 「裏庭には二羽、庭には二羽、鶏が居る」と表記するのが重要なのです。 これだけでも「漢字が必須」という理由には十分だと思いますが、さらに日本語文をひらがなだけ、またはローマ字などで書いたときの問題点があります。それはひらがな・カタカナは日本語の発音則に十分に対応できていない、ということです。 カタカナは実は複数の発音が表記上に混じる、英語並みに発音と表記(スペル)が不一致な言語なのです。 例 さんにん さんの「ん」は発音記号の(n)、にんの「ん」は(ng)に相当します。 発音について、特に漢字との関連性で言えば、「体育」は「たいいく」と表記するのに実際には「タイク」と発音されるのが普通ですし、「おうさま」は「う」とは発音せずに「オーサマ」と発音します。文字と発音が必ずしもいっちしていないのが、現在の日本語の問題点です。 これらは「漢字で補完しているからゆらぎがあってもよい」というスタンスなのです。ゆえに日本語から漢字をはずすことは困難を極めます。 それでももし、日本語から漢字をなくすとすると、文化的な断絶は覚悟するとして、以下のような工夫が求められるでしょう。 ・分かち書き(句読点またはスペース)の文法の徹底(現在は句読点の打ち方に慣例はあるが規則はない) ・文字と音素の一致と法則の徹底(オーサマと書くのかオオサマと書くのかなど) ・音の高低またはアクセント記号の導入(「橋」「端」「箸」などをアクセント記号で区別する) などです。でも決して「効率的」にはならないでしょうね。 逆に日本語をもっと中国語に近づける方法もあるのかもしれません。というより、今後の日本語を考えたときに中国が13億人もいて、コンピューターコードもほぼ同じにされている現状を考えると、今後中国語が経済的に優位にたったときに「日本語をどのような形で残すか」というテーマを考えざるを得ないと思います。 個人的に考えるに、次の方法が有利であろうと思います。 ・中国語の弱点である、表音文字がない、という部分をひらがな・カタカナで補う(もちろん中国語の四声なども表せるようにようにします) ・日本語の文法をSOVからSVOに近づけていく(元々、四書五経を読んでいた時代の日本語は文語体で、これに近いものがありましたので、不可能ではないでしょう) ・中国語・台湾語(北京語)・日本語・繁体字・簡体字・場合によっては韓国語の漢字も可能な限り、意味や用法を統一して、日本人が読み下し文で中国人は発音を変えて読んでも意思の疎通が出来るようにする。 などでしょう。中国が今後巨大な経済的プレーヤーになることは間違いありませんので、日本人が漢字文化圏に戻るのは必須だと思います。 結局のところ、日本の立ち位置からすれば、漢字を廃止するのは近々の事情だけでもプラスになることはないでしょう。 英語を話している人は実感があまりないかもしれませんが、明治以降覚えるべき西洋語はドイツ語だったりフランス語だったり、英語だったりしました。今でこそ英語が最重要ですが30年前までならフランス語だって相当な力をもっていたわけです。 そして中国語は世界最大の話者を要する言語であり「漢字」として日本語まで含めれば英語話者の2倍になるほどの巨大言語分野です。 歴史的には、アジアの自国や周辺国の資産・遺産という点において 文化的には、自国の歴史と周辺国への理解という点において 学問的には、高等教育を漢字を含む自国語でほぼ完璧に教授できるという点において 教育的には、漢字を廃止した後の無形資産の譲渡が難しくなるという点において 芸術的には、今までの遺産とそれを活用した今後の新しい発展という視点において 科学的には、西洋言語では表現できない、新しい知見への取り組み方という点において 漢字を廃止するのはマイナスのほうが大きいと思います。
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- phj
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締める前にひとつだけ、 >どこで生活を、より、どんな言葉を使って、どんな人々と常に接しているかがポイントだと思いますが。色な見解がありますね。 そうですね。思った以上に漢字文化と表音文字文化の考え方の違いがあるようです。 特にここの見立てについて、 >(KTXの件について)直接的な原因が同音異義語の混乱だとしても、より基本的な問題が製造会社の専門性のなさでした。何よりも、この事件が話題(物語・書類など)の文脈・脈略・背景の重大さをはっきり示していると思います。製造会社がこの類の発注に関して必要な専門知識さえ持っていれば、この「同音異義語弊害事件」は起こらなかったでしょう。 と書かれていますが、 いや漢字に親しんでいる日本人や中国人・台湾人などは「防水」「放水」と漢字で書いてあれば、そもそも起こりえない問題であり、専門技術以前であり小学生でも間違いを指摘できるレベルの間違いである、と考える人がほとんどでしょう。 事実、漢字で書いてあれば100%起こりえない間違いであるといえます。 結局「漢字」をどちら側から見ているか、ということであり、質問者様と多くの日本人はまったく逆の方向から見ているのだろう、と思います。似たような事例は「ダーリンは外国人」や「日本人の知らない日本語」などで面白おかしく取り上げられていますね。 この議論で私がしみじみと考えさせられたのは「日本語から漢字を取り外すのは意外なほど難事業である」ということです。結果として表音文字で書き表す日本語の利便性が高くなったとしても、そこに至るまでの産みの苦しみは、万葉仮名から日本語を成立させた日本語の胎動期・西洋文明を翻訳した取り入れ口語体を作った明治期、に匹敵するだろう、と想像します。つまり、それ以降の日本語は今の日本語と似て異なるものになってしまうだろう、と考える次第です。 さて、最後にしますので、ぶっちゃけますが、やっぱり日本人としては「漢字」がなくなるのはさびしいですね。まして中国が漢字を捨てることはないでしょうから、今から500年後日本語が中国語と英語の狭間でどこまで生き残っているか、を私は常々心配しています。 このカンジだと、カンジはしぶとく生き残りそうですね(笑)いや(LOL) 後は表音文字としてのひらがなカタカナとそれ以外の日本語のエッセンスがどこまで残っているか、です。 そうそう、漢字はアイコンとして優れているという話もありますので100年後ぐらいのコンピューターは漢字のアイコンであふれているかもしれません。漢字Tシャツを着ている若者たちがいるぐらいですから、西洋人も漢字に対する抵抗は段々減ってくるような気がします。個人的にはそうなると面白いな、と思っています。漢字LOVEです。 非常に面白かったです。ありがとうございました。
お礼
3 回も非常に参考になるご回答くださり、本当にありがとうございます。 本質問を今週末に締めると考えていますが、今回は補足の形ではなくお礼にしておきます。 漢字について「。。。質問者様と多くの日本人はまったく逆の方向から見ているのだろう、と思います。」 全く逆かどうかわかりませんが、漢字に関しては私の関心と興味の対象が(周りの日本語ネイティブの方と)どうも違いますね。 長くならないように3 つの例だけを挙げてみます。「英語マインド」にて浮かんだ疑問なので、そのまま英語で書きます。 ・Why do some characters have ON readings that seem so different from their "normal" readings, such as アン for 行 (行脚) instead of ゴウ・ギョウ? ・What historical person or process determined that an ON reading for a character or compound was going to be KAN ON or GO ON? Was there ever a time when 外科 was pronounced ガイカ instead of ゲカ? If so, when did the transition in pronunciation occur? ・Why do Japanese learners typically break down the components of characters into the smallest possible units instead of remembering them as integrated groupings? (例えば、「墓」= 艹 + 日 + 大 + 土 として覚える。) (付け加えて言えば、私的には、「莫」が 墓・募・幕・漠・慕・暮 など派生漢字に「 隠す・隠されている」という概念を与えることを覚えれば、それぞれの派生漢字がなぜそれぞれの意味を持つかが多くの場合は直感駅に把握できるのに、と。) 1 つ目の疑問を勉強するうちに解けました。 2 つ目は、歴史的な資料の少なさがネックで、ある程度確信を待つような例もあれば、いつまで経ってもはっきりわからない例もあるであろうと、諦めています。 3 つ目の疑問は今なお謎です。 いずれにしても、そのような目で漢字を見る日本語ネイティブの方は確かに少ないと言えるでしょう。 phj様が 3 回のご回答の中で漢字について本質問と少し趣旨が違うけれども興味深い考えを幾つか示してくださいました。また機会があれば、OKWAVE 上で意見交換が出きたらいいなぁと、思います。 KTX の件ですが、実りのある別の Q & A が期待できるではないかと考えていますので、本質問ではこれ以上 KTX に触れないことにしておきます。 最後に、OKWAVE 古顔の一人であるphj様が本 Q & A について「非常に面白かったです」と仰ると、新顔の私が本当に嬉しく思います。まだファン登録をしたことがありませんが、一番に登録するのはphj様になっています。これからも、よろしくお願いします。
- phj
- ベストアンサー率52% (2344/4489)
#11phjです。だいぶ間が開きましたし、新しい質問をされる、ということなので、さらっと補足に対応いたします。まだ、閉めていないのでいいですよね。 他の方が「如何にも外国語文化圏に生活している方の発想であると存じます」と書かれていますが、私も補足を読んで最初にもった印象は同じです。 で、以下に進む前に、私のプロフィールも簡単に紹介しておきます。40代男性、大学は法学部卒、小学生時代に米国で現地の小学校で学んだ経験有です。実はわたし「英語を国語として学ぶ」という経験を有しております。 さて、補足で一番気になったのが、 >それでも、文脈さえあれば読者が読んでいる文面に出る「きかん」が「機関」、「期間」、「帰還」、「気管」、「器官」など、どの熟語を指すか、それほど躊躇することはないでしょう。 多くの方々にとっては同音異義語が(漢字廃止論において)致命的な問題だと考えているようですが、本当にそうでしょうか。 というところです。 回答すると、ハイ致命的な問題だと言えます。質問者様も認めているように、日本語は同音異義語が多く、漢字を使わないと「文脈」で判断するしかなくなるわけです。 これは法律を記載する用途や契約書などの想定を限定した内容にしたいときには、致命的な欠陥をさらすことになります。 日本語よりは、文脈の意味の取り方がよほど厳密な英語やドイツ語ですら文脈の読み方・解釈の仕方によって民事裁判が起こるのですから、現状の日本語から漢字を廃止してしまったら、実用の用をなさなくなるほど致命的であるといえます。 ただし逆をいえば「同音異義語」を漢字を使わずに書き分けることができれば、有用である、ともいえますし、質問者様の言う「より能率的な表記法」になるやもしれません。 で、質問者様の「より能率的な表記法」というテーゼにしたがって、同音異義語の扱い方について、補足を読み進めると、 >漢字がここで果たす機能の代わり、空白・文脈だけで同じ役割を果たしてもらうことが可能です。漢字を使う文章と比べれば多少働きが悪いことは否定しませんが、一方、漢字を習得するための時間・苦労と、他方、漢字を使わずことが生じる若干の不便さを天秤にかけて量ってみますと良いではないかと思いますが、いかがでしょうか。 これが、ある意味、この質問のエッセンスではないでしょうか。(勝手にまとめて失礼!) で、この補足について私は次のように考えます。 ・空白・文脈だけで同じ役割を果たしてもらうことが可能です、について ドイツ語のウムラウトのようないわゆる「綴り字記号」を導入する必要があるでしょう。微妙な発音の違いも表記することで漢字を使わなくてもかなり同音異義語を区別することができるようになるはずで、そうすれば、かなりの割合で問題点が解決すると思います。 ちなみにハングルで、同音異義語の問題点の逸話が足りない、ということでしたので、KTXの枕木の仕様間違い「仕様書の『防水(バンス:水を防ぐこと)』発泡充填材を、韓国語での同音異義語の『放水(バンス:水を減らすこと)』と勘違いし、約15万3000本すべてが不良品になった」事実をご紹介しておきます。ハングルではどちらも방수らしいです。 これなどは事故が起こる前に分かったので経済的な損失だけで済みましたが、大事故につながる可能性もあった、文字体系として致命的な欠陥であるといえるのではないでしょうか。 ・一方、漢字を習得するための時間・苦労と、他方、漢字を使わずことが生じる若干の不便さ、について このあたりの研究については、時間があるときに漁っているのですがなかなかありません。なにかというと「人間がある意味のある単語を覚えるときに、漢字は労力として過大なのか」という問題です。 英語に関して言えば「スペリング大会」が話題になるほど、綴りと発音が乖離しています。調べた限りでは、英語以外のアルファベット言語で「スペリング大会」が開かれるような言語はないようです。(もしあるならぜひ教えてください) そもそも、人間が文字を使って何かをあらわすには、表す事象が増えれば増えるほど、文字はふえ、漢字は複雑にまたは長く、アルファベットなどはスペルが長くなっていくわけです。 たとえば 「親:parent」は漢字を画数で見れば16画、parentを画数で見ればp:2・a:2・r:2・e:1・n:2・t:2で11画 「子:child」は漢字2画 c:1・h:2・i:2・l:1・d:2で8画 「男:man」は漢字7画 m:3・a:2・n:2で7画 「女:woman」は漢字3画 w:2・o:1・m:3・a:2・n:2で10画 と「線の要素」という点で見ると、案外同じようなものではないか、と疑っています。このあたりは楔形文字を表語文字として使った言語と表音文字として使った言語で、線の数でどのぐらいの意味を表すかを比較すれば分かるのかもしれませんが、私は専門家ではないので、そういう研究があるのかどうかすらしりません。(知っていたら教えてください) 英語は先ほど書いたように発音とスペルの法則性がゆるいので、単語を覚えるときに発音を頼りにすることが難しい文字です。そのような文字の「線の要素」が漢字と同じぐらい複雑であるなら、漢字が非効率である、という立証は難しくなるでしょう。 ただし日本語の場合は非効率ではありますがね。 さて、上記のような考えを踏まえて、漢字を使うことの不便さと漢字を使わないことの不便さを比べたときに、どれほどの違いがあるのか、というのが私の見解です。 もし、日本人が最初に出会った文字体系がアルファベットなどの表音文字であったなら、それなりの発展をしていたわけで、日本語をそのように表記していたでしょう。 しかし、日本語と漢字は世界で数少ない高等学問を書き表すことができる言語であることを考えると「今から漢字を捨てる」という労力はとてつもない不便を強いることになります。 ハングルによるKTXの逸話のように、漢字をなくしていく過程には結果として犠牲者も出るかもしれない、ということも含めてです。 なぜそう思うか、という根拠を最後に書いておくと、現代日本語の成立が大体100年かかっているからです。明治になり西洋思想を漢字に翻訳するのに20年、それを利用して福沢諭吉や志賀直哉などが散文や小説そして論文がかける日本語体系を構築するのに30年、戦争の時代が20年あって、太平洋戦争が終わってGHQの見直しと現代国語としての漢字や仮名の整理の混乱が収まるのに30年、そしてそれから川端康成がノーベル文学賞をとるのが1968年で、明治維新の1968年からちょうど100年という計算です。 英語だって、たとえば15世紀の大母音変異からシェークスピアに至るまでに200年ぐらいの時間は要していますし、印刷機ができてスペル統一をした時期だけを見ても100年ほどかかっているわけです。 >空白・文脈だけで同じ役割を果たしてもらうことが可能 文脈で判断するのはダメです。害のほうが大きいです。 空白や綴り字記号、その他の方法を適用することによって漢字を無くしても日本語を書き表すことは可能であると思います。 しかし、それは今の日本語体系を完全にぶっ壊して新しい言語を作るに等しい作業であるともいえるのではないでしょうか。 なら、日本の公用語をいっそエスペラント語にしたほうがよほど容易なような気もします。 したがって、漢字を利用しない日本語の体系は「非効率である」と私は考える、ということになります。 >一方、「文化」を御大儀掛け、日常生活には漢字を必要としない国民に(漢字と縁のある)文化と触れさせるために、無理やり2・3千もの漢字を親しませようのもどうかなぁと思います。 いやいや、それをいうなら、英語国の子供たちから「スペリング大会」などという苦痛を取り去ってから、漢字の廃止について語ってください。実際3千字ぐらい覚えるのは、英単語3千語のスペルを覚えるのと大差ないですよ。 私は身をもって体験してますし、出来の悪い現地人の子供がスペルを書き間違えて何回も書き取りしているのは、漢字とまったく同じですよ。
お礼
phj様、詳しい再びのご回答、ありがとうございます。実は、本質問を締め切るつもりで #11 のphj様のご回答をベストアンサーにするためにクリックしたのですが、どうも、うまく行かなくて回答受付が継続しています。まぁ、よかったですね。ここ #17 のご回答を読ませてもらってから、また補足欄にて返信いたします。ありがとうございます。
補足
まず、自己紹介をし、ご丁寧に意思疎通を図ってくださり、ありがとうございます。 「他の方が(如何にも外国語文化圏に生活している方の発想であると存じます)と書かれていますが、私も補足を読んで最初にもった印象は同じです。」 そうですか。どこで生活を、より、どんな言葉を使って、どんな人々と常に接しているかがポイントだと思いますが。色な見解がありますね。 「日本語は同音異義語が多く、漢字を使わないと「文脈」で判断するしかなくなるわけです。これは法律を記載する用途や契約書などの想定を限定した内容にしたいときには、致命的な欠陥をさらすことになります。」 ↓ 「漢字を使わないと(文脈)で判断するしかなくなるわけです」 「漢字を使わない」・「漢字廃止」・「漢字を捨てる」など、様々な言い回しがありますが、どの言い回しも間違った印象を生じている気がします。 「日本語を仮名で表す」と「漢字を日本文化から排除」は別のことです。私見を述べますと、後者がいずれ不可能だし、どの観点から見ても望ましくありません。 出版物において、ルビを振る(振り仮名をつける)習慣がありますね。同音異義語初め意味の区別が曖昧な言葉を正確に区別させるためには「漢字のルビ」・「漢字の振り仮名」があってもいいではないでしょうか。 「それだったら、漢字学習が必要になるよ」と考えてしまう方もいると思われますが、そのことはありません。読者がルビ・振り仮名の文字が辞書・参考書に載せている文字と一致するか、しないかを確かめるには、漢字の知識がゼロでも字形だけで十分です。例えば、 「法律を記載する用途や契約書などの想定を限定した内容にしたいときには、致命的な欠陥をさらすことになります。 日本語よりは、文脈の意味の取り方がよほど厳密な英語やドイツ語ですら文脈の読み方・解釈の仕方によって民事裁判が起こるのですから、現状の日本語から漢字を廃止してしまったら、実用の用をなさなくなるほど致命的であるといえます。」 「微妙な発音の違いも表記することで漢字を使わなくてもかなり同音異義語を区別することができるようになるはずで、そうすれば、かなりの割合で問題点が解決すると思います。」 それでは、契約書には「キテイ」という言葉が出るとしましょう。文脈上で「既定」も「規定」も「規程」も 3 つとも一応通じるとしましょう。実際に、契約書を書いた人が伝えたいのが「既定」だとしましょう。ほかの「キテイ」が文脈上で(一応)通じるので、「キテイ」に「既定」のルビを振ればいいです。仮に、読者は漢字が全然読めない場合、辞書・参考書で「キテイ」を引いたら、「既定」・「規定」・「規程」など言葉を見つけるでしょう。読者が契約書のルビを確認して、辞書・参考書に載せてある「既定」という言葉が該当するとわかります。そのためには、 「既」の読み方・書き方、ましてや語源背景は知らなくてもいいです。「既定」や「規定」の二つ目の漢字が同じでも、一つ目の漢字が異なるので間違いなく捜している言葉に辿り着くでしょう。 「KTXの枕木の仕様間違い」 http://youzo.cocolog-nifty.com/data/2009/02/post-c142.html によると、直接的な原因が同音異義語の混乱だとしても、より基本的な問題が製造会社の専門性のなさでした。何よりも、この事件が話題(物語・書類など)の文脈・脈略・背景の重大さをはっきり示していると思います。製造会社がこの類の発注に関して必要な専門知識さえ持っていれば、この「同音異義語弊害事件」は起こらなかったでしょう。 「空白や綴り字記号、その他の方法を適用することによって漢字を無くしても日本語を書き表すことは可能であると思います。 しかし、それは今の日本語体系を完全にぶっ壊して新しい言語を作るに等しい作業であるともいえるのではないでしょうか。」 いや、漢字ルビを使えば「新しい言語を作るに等しい作業である」必要はないでしょう。 「実際3千字ぐらい覚えるのは、英単語3千語のスペルを覚えるのと大差ないですよ。」 ここで「覚える」が重要なポイントだと思います。日本で使われている漢字を「覚える」には、英語に存在しない主に 3 つの壁があります。 1) 同一漢字でも、音読みが 3 つ(以上)の漢字は珍しくないです。それより困ったことに、訓読みだと、同一漢字でも 5 つ(以上)の読みを持つ字もあります。例:下・上・生・重・縮・汚・交 英語だと、一つの単語が沢山の意味を持っても、発音は大体同じです。 2) 重箱読み・湯桶読み・当て字が生じる例外的な読み。 勿論、英語のスペルには例外的な単語がいっぱいあります。それでも、重箱読み・湯桶読み・当て字が与えるややこしさと比べ物にならないと思います。 3) 漢字を身に付けるには、熟語をまた別の言葉として学ぶ必要がある。A + B = C 式のような割りと理解しやすい熟語が存在しながら、「都合」のような直感的に把握できない熟語も少なくありません。 英語の熟語だと A + B = C 式が殆ど直感的だと言えばいいでしょう。(特に古代ギリシャ語とラテン語に由来する熟語。) ということで、「実際3千字ぐらい覚えるのは、英単語3千語のスペルを覚えるのと大差ないですよ。」に同意できませんね。 再び、ご回答ありがとうございました。非常に有意義な Q & A になりました。
- japaneseenglish
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こういう話を論じるうえでは、隣の韓国や北朝鮮の国語施策が参考になると思います。 韓国語(あるいは朝鮮語)は、日本語と文法構造がそっくりな言葉です。 日本語と同じで「てにをは」に該当する助詞はあるし、漢語を中国語または日本語から借用して、漢語の比率は日本語よりも高いです。 感情に富む点や、敬語が発達している点、また「だ。です。ございます」のような使い方も日本語と近似しています。 社会的地位により、言葉が異なるのも日本語と似ています。 第二次世界大戦後、韓国も北挑戦も、漢字を廃止しました。 当時の理由は、日本植民地の影響を排除する目的だったのですが、それはともかく、現在は、韓国語も朝鮮語もハングル(日本語のカナと同じで、音しかありません)のみで書かれています。 ただ、これを漢字ハングル混じり文で書くと、韓国語(朝鮮語)を一言も知らない日本人でも、大方読めます。 これは文法が極めて近似していることと、同じように漢語が多いからです。 ただ、わたしが知る限りでは(北朝鮮のことは知りませんが)、漢字をハングルだけで書くと、同音異義語が多くなりすぎ、元の漢字が推測できなくなることから、韓国語は、できるだけ平易な文体で書くように改められ、その結果、難しいことが論じにくくなった。 また、難しいことを論じても、漢字をならっていない世代では、何を書いているのか、まったくわからない状態になっているそうです。 それで、近年、韓国では平易な漢字を学ぶ教育が復活しているのですが、極端な言い方をすると、自分の氏名すら漢字で書けない人が多いのが現実のようです。 韓国語は発音が日本語など比較にならないくらい複雑な言葉ですが、それでも、そのような同音異義語の弊害などがでているようですから、日本語は、発音が軽く見ても100程度しかないので、かなり混乱してくると思います。 ※その証拠に、会話では、ほとんどが固有語(大和言葉)で語られ、漢語で語られることはかなり少ないです。また、日本人全員が話す方言には、大和言葉の古語がかなり豊富にあるものです。 いちど、ご自身の地域の方言を調べてみられると、方言と信じていたものの大部分が、大和言葉の古語が訛ったものであることに驚くはずです。 おそらく日本語の漢字を廃止すると、日常会話に使われているような「大和言葉中心とした」日本語に変えないと長い世代にわたると、漢字がわからないので、支障がでると思います。 長い歴史の中で、大和言葉は消えていき、かなりの部分が漢語に置き換わり、また、西洋から輸入した概念などは、そもそも固有語自体もありません。 日本語は古代は、大和言葉はかなり豊富にあったのですが、使用しなくなり、ほとんとが死語となっています。 また、それは古代に中国語の影響を相当強く受けたためでもあります。 質問者様も、漢字を廃止した韓国でどのようになっているか、日本語に訳されている書籍もありますから、いちど読まれたらいかがでしょうか。(どういう書籍があったかは、具体的には思い出せませんが)
お礼
ご回答、ありがとうございます。後ほど、補足欄にて返信いたします。
補足
こんにちは。 補足質問させてもらいますと: 「韓国語は、できるだけ平易な文体で書くように改められ、その結果、難しいことが論じにくくなった。」 「韓国語は発音が日本語など比較にならないくらい複雑な言葉ですが、それでも、そのような同音異義語の弊害などがでているようですから、日本語は、発音が軽く見ても100程度しかないので、かなり混乱してくると思います。」 本質問に対しても、そして私が別にアップした質問 http://okwave.jp/qa/q8674036.html に対しても、「漢字を廃止すると何が起こると思う?韓国・朝鮮を見てご覧よ」みたいなご回答が多いです。 ところが、私が「仰るような弊害を裏付けるサイト・資料を紹介してくれませんか」と聞きます。すると、今のところ、実例は 1 つしかないです。本質問 #17、上記 URL の#4 も 2009年のKTX枕木の仕様間違い(枕木事件)を挙げてくれました。 この事件ですが、 http://youzo.cocolog-nifty.com/data/2009/02/post-c142.html によると、直接的な原因が同音異義語の混乱だとしても、より基本的な問題が製造会社の専門性のなさでした。何よりも、この事件が話題(物語・書類など)の文脈・脈略・背景の重大さをはっきり示していると思います。製造会社がこの類の発注に関して必要な専門知識さえ持っていれば、この「同音異義語弊害事件」は起こらなかったでしょう。 どうも、多くの回答者の中で、「韓国・朝鮮が漢字を廃止してから、弊害が伴っている」と考えていますが、「例えばどんな弊害?」と尋ねられたら、実例に困っているようす。 最後に、 「質問者様も、漢字を廃止した韓国でどのようになっているか、日本語に訳されている書籍もありますから、いちど読まれたらいかがでしょうか。(どういう書籍があったかは、具体的には思い出せませんが)」 のお勧めの最終の言葉にもこの傾向が現れますね。「韓国・朝鮮が漢字を廃止してから、弊害が伴っている」は固定観念のような存在に見えます。 再び、ご回答ありがとうございました。
- TANUHACHI
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No.11phj氏への回答を拝見して一言。 如何にも外国語文化圏に生活している方の発想であると存じます(但し、それを一概に否定するものではないこともお含みいただきたく存じます) >文法的な問題についてとされる「にわとりの例文」も質問者様の発想を前提とするものに他ならないことも事実でしょう。 もし逆に「分かち書き」をしない外国語があったならば、どうなるかを考えてみればこの問題と同床異夢であることもお解りになると存じます。 “Thereisazoo.”もしこの様に書いたなら、一つの単語であるとの認識になってしまうはずです。英語を含む外国語と日本語での最大の違いがどこにあるかといえば、外国語が語順と格変化が存在するとの前提に基づくからであり、日本語には「文法的な意味での」この考え方に相当するものはありません。逆に「助詞の存在」が日本語での語順なり格変化の仕事を請け負っているともいえます。 こうした言語的特性を理解せずに「空白を入れることによって、漢字を使わなくても例文の言葉が持つ意味を把握するのが著しく速くなると思う」「それに、他の回答者が挙げた例文もそうですが、上記の紛らわしい『にわとり』の文には脈略がないことこそ問題」とされるのは如何にも我田引水とのことにしかならず、机上の例、問題集のためにわざわざ作られた例をおいといて、実際の言葉だと話しには文脈(背景・前後関係など)が存在するとの指摘もあたらなと存じます。 神社の祝詞に使われる「カシコミ、カシコミ」とのまじないのような言葉も「畏まる」との漢語に和語(やまとことば)の音と意義を求めた結実です。従ってこの点からも「大和言葉より、むしろ漢語に由来する熟語が誤解を招きやすい言葉である」との指摘も説得力のある説明とはならない。 こうした矛盾だらけの話を持ち込んで、結論を一般論にすり替えることに、この質問の意味があるのでしょうか。僕はその方がよほど気に掛かります。 文字数を減らすことで「何のメリットを生むことができるのか」、それをもっと直裁的に質問した方が良いのではありませんか?。 僕が所属するゼミにも外国からの留学生もおりますが、キチンと母国語と日本語の間にある体系の違いを理解していて、その上で時にふれて鋭い質問を投げかけてもきます。その意味からすれば、質問者様は「話し言葉と書き言葉の違い」を踏まえずに暴論ともとれる内容に固執してるとの印象も、この段階では受けていて冷静になられることをお勧めします。 >多くの方々にとっては同音異義語が(漢字廃止論において)致命的な問題だと考えているようですが、本当にそうでしょうか。 そんなことはありません。単に日本語と一口に言っても、外来語の集積ともいえます。文字がなかった時代にどの様な形でコミュニケーションを図っていたかといえば、中国の雲南に現在でも残る「歌垣」やアメリカ大陸のインディオが口承の形で受け継いできた物語の様に、耳から聴くことが先ずはあって、それを統治システムの形成と共に政治的な形で社会編成する目的で、文字を使い始めたとの認識が歴史学の世界ではぼ共通認識ともなっています。その意味からすれば、日本語には中国大陸や朝鮮半島を経由してきた言葉もあれば、ポリネシアなどの南海に端を発する言葉もあります。中世から近世になればこの範囲が広がり、スペイン・ポルトガル・オランダをはじめ西欧の言語がそこに加わってくる形で、外来語が日本語化するとの現象が観られもします。 そういった意味からすれば、全ての言語が翻訳文化を前提として成り立っているとの認識に至り、固有と外来の関係を改めて問う形となりますが、如何でしょうか。 >文化的な面に関しては、なにも還元主義的な議論をするつもりはありませんが、古典初め漢字と関係のある文化的なことに興味のある人達(専門家・一般読者)がそれぞれの興味・活動が必要とする漢字を自らで獲得すれば宜しいではないでしょうか。もし官僚と政治家が望ましいと思えば、漢字学習に援助金を注げば宜しいかと思います。 一方、「文化」を御大儀掛け、日常生活には漢字を必要としない国民に(漢字と縁のある)文化と触れさせるために、無理やり2・3千もの漢字を親しませようのもどうかなぁと思います。 何も強制的に漢字を使えなどと言っているのではありません。漢字の構造と性質を理解したならば、必然的にその数が増えていくことを既に日本の学童は理解もしています。 「上の文字が下の文字に対する就職的要素を持っているもの」もあればその逆もあり、二つ組み合わせることで意味を為すもの、もあります。こうした「文字から単語へとの変化」は恐らく英語にはない現象でしょう。 元々の英語もケルト語に多言語が融合されたものですから、多言語理解を前提とする部分もかなりあります。先の「オーデコロン」がフランス語をベースとするように、「ムスターッシュ」の語尾はドイツ語のSch(エス・ツェー・ハー)の発音です。これが最初から英語だったとする見解はどこにもありません。 >次は、phj様が指摘してくれた文法的な話しです。 「にわとり」の例に見られた煩わしさは「ほぼすべて漢字を利用することで回避しているのです」とされます。 確かにそうです。しかし、上記に述べたように漢字がここで果たす機能の代わり、空白・文脈だけで同じ役割を果たしてもらうことが可能です。漢字を使う文章と比べれば多少働きが悪いことは否定しませんが、一方、漢字を習得するための時間・苦労と、他方、漢字を使わずことが生じる若干の不便さを天秤にかけて量ってみますと良いではないかと思いますが、いかがでしょうか。 ですから、空白を充てるとの外国語の発想と漢字文化圏の発想が根本的に異なることを前提として話を進めなければ、それは単に外国語優位論の領域と同じ発想にしかならず、何も生産的な議論とはなりえないとのお話しを回答者の方々は仰っているのです。 前近代日本の「公式文書」が全て漢文で書かれていたこともご存知でしょう。奈良から平安期に掛けての律令を基本法とする時代ならば、解に対する符の形、鎌倉期ならば関東御教書などの形といった形式があることも知られています。 けれどもこれらが本格的な中国スタイルの漢文であるかといえば、そうとは限りません。文字数だけで単語を拾い出すことも可能ですが、一つの単語を構成する文字数が幾つであるなどの規定はありもしません。二字もあれば三字や四字そしてそれ以上の数で構成される単語なども平凡に観られます。 そうした事象に基づいて、これらの史料を読む時にはどうすれば良いかとの問題に突き当たりもします。そうした時の方法論として、 (1)返り点のルールだけに基づいて読んでみる (2)その上で、読みのリズムに不自然があるかないかをみる (3)もし違和感があったなら、返り点の位置を変えてみる (4)それでもおかしな印象があるならば、読みのリズムに従ってみる などの幾つかのパターンもあります。 敦厚から出土した教典の読み方で日本語の史料を読んだらおかしな印象を持つことと同様、元々インドで生まれた仏教の「思想」を具体的な経文の形に記すとの発想で生まれたのが、中国の仏典です。ですから、耳から聴いた言葉の音に適切な文字を充てることで、その経文が持つ価値の高さを示そうとするとの「翻訳の思想」ともいえます。
お礼
ご回答、ありがとうございます。TANUHACHI様の予備知識、考え方の鋭さや表現力に再び感心しました。 感心はしましたが、正直、「冷静になられることをお勧めします」と言われたところ、思わず笑ってしまいました。 本件において私が冷静に質問したり補足したりしています。一方、TANUHACHI様は上から目線の答弁を繰り広げながら、記述語として「暴挙」「乱暴」「暴論」のように「暴」が含まれる熟語をふんだんに使用します。このような回答者に「冷静になられることをお勧めします」と言われたら、質問者には笑うしかありませんよ。むしろ、TANUHACHI様がなぜ冷静さを保つことが出来ないのが興味深いところです。 このご回答が「No.11phj氏への回答を拝見して一言」で始まりますが、私が直接TANUHACHI様ご自身に #14 の補足欄で記入した問いを先に答えるのがマナーだと思いますが、違いますか。討論会では不都合な論点を棚上げにするのが戦術の一つですが、この場でそのような戦術を使う必要がどこにもありませんので、もう一度尋ねます。 TANUHACHI様はある提案をしました。その提案が建設的な Q & A を引き起こす目的でしたら、言語的な背景に精通、優れた表現力の持ち主であるTANUHACHI様ご自身が質問すると良いでしょうが、その意図はありますでしょうか。ありましたら、私は出来る限り回答者として新質問に参加させてもらいます。 一方、ご自身の建背的な提案を実現する気がなければ、ご自分の発言に対する責任の取り方が問われることになると思われますが、いかがでしょうか。
補足
TANUHACHI様が追加ご回答を下さらなくて、残念に思います。 これで本質問を締め切って、アンケートのカテで次の質問をアップします。 折角のご提案ですが、新質問は言語学者ではなく一般 OKWAVE の利用者の関心レベルに合わせたものとなります。良かったら、見て下さい。
- fxq11011
- ベストアンサー率11% (379/3170)
表記法では解決不可能。 もっと根本的に、たとえばすべて大和言葉に置き換える、とか・・・。 大和言葉?、神社に行ってご神体の神様の名前、たいてい漢字ですが、読み方は大和言葉です。
お礼
ご回答、ありがとうございます。参考にさせてもらいます。
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
追記ならびに補足 >わたしはせいかてんではたらいています。(例文1とする) >そのきかいがあればせいこうするでしょう。(例文2とする) この二つの例文の違いがおわかりでしょうか。 「かな文字だけで日本語表現は可能」と断定されていますが、例文1に含まれる「は」が2ヵ所あること。そして「せいかてん」との単語を単に「青果店」とのみ断定する根拠が示されていないことに、問題があります。 この「せいかてん」は「青果店」でもあり又同時に「成果点」と見なすことも可能です。もし「成果点」であるならば、仕事上の成果を基準として判断される企業の職場にいて、現状ではその評価ポイント上にあるとの解釈も可能です。 これが文例2の場合はもっとバリエーションも拡がります。 「きかい」を「機械」もしくは「器械」とした場合には、「せいこう」を「精巧」とすることも可能です。つまりその文で主語なり主部が明確に規定されない限り述部にどの様な記述を与えて然るべきか判断を付けづらいとの問題は何も解決していることとなりません。単に表面的で感覚的な認識に基づくのであれば、それは裏付けのない説明と同じでしかありません。思い込みほど恐ろしいものが他にあるでしょうか。 端的にいえば、これは従来からある「漢字書き取り」の設問趣旨や誤変換が抱える問題点と同じです。文脈に即して適切な漢字を表記できなければ、それが答案としてゼロ点との評価を受けることを意味する。こうした背景を弁えずに乱暴で一方的な論理展開をされては、英語にとっても不幸ですし日本語にとっても不幸であるといえますね。
お礼
ご追記、ありがとうございます。後ほど、補足欄にて返事いたします。
補足
「もう一度問題点を整理した上での投稿をされることをお勧めします」 はい、TANUHACHI様初め、色な回答者から貴重なご意見をいただいた結果、本質問を改善して具体化したら、もっと有意義な Q & A が期待できると思えます。 ただし、私が本質問を終わらせて、再投稿(新質問を立てる)するのではなく、TANUHACHI様が#12・#13で提案した形でご自身で質問をするのが筋ではないか と思います。 というのも、TANUHACHI様が明らかに漢字・かな・漢文などに精通し、最高の表現力も持っていらっしゃる。#12 の 3 セット手順で #13 の例文などを用いることによって、OKWAVE の利用者・回答者にとって疑いなく刺激的な質問になるでしょう。 反って、TANUHACHI様と比べて遥かに衰えた知識と日本語表現力しか持つ私がTANUHACHI様の代わりに例の手順で自分の考えを頑張って伝えても、OKWAVE の皆様にとって質問の価値がかなり落ちると思いませんか。 尚、なにもTANUHACHI様の提案を断るつもりはありません。TANUHACHI様が質問する気がなければ、私はやります。ただ、その場合、TANUHACHI様がまず OKWAVE の皆様にご自分の(断る)理由を説明しないと納得しない方々が少なくないと予測します。 いかがでしょうか。
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
質問者様へのご提案の形になります。質問内容を具体的な形とするために (1)文字としての漢字と言葉としての漢字の「使われ方の違い」を定義する (2)前項を分離するための基礎的作業として、表音文字としての日本語(話し言葉)と表意文字としての日本語(書き言葉)での違いを明記する (3)その上で、漢字と仮名文字との性質の違いを文章上・文法上それぞれに分けて考える との手順です。 言語学・日本語学が持つ論理と一般的な論理には共通する部分があるとはいうものの、それだけで全てを論理構築できるとはいえず、それは古典論理学を用いても日本語が持つ特殊な論理構造そのものを明確にすることができないことと同じです。 事例に挙げられている高島氏の論理が中国での漢文と漢字の使われ方を規範とするために、日本漢文が持つ構造的特殊性を捨象して独自の論理展開をされている点は、同じく学問の道に携わる者として非常に遺憾であり、基本的なスタンスとして、モノサシをその都度使い分けて考える必要があるとの前提を等閑にしている点では、学部生の卒論レベルにすら及ばない暴挙と呼んでも差し支えはありません。 仏教の思想を理解するためにキリスト教の教義を用いて説明することが成り立たないことと同じ論理です。 こうしたことから、もう一度問題点を整理した上での投稿をされることをお勧めします。
お礼
ご回答、そしてご提案、ありがとうございます。後ほど、補足欄にて返事いたします。
補足
TANUHACHI様のご提案について #13 の補足欄で言及させてもらいます。
- cypress2012
- ベストアンサー率67% (246/367)
ご質問者様は、日本語ネイティブの方ではないようなので、それを前提に書いてみます。 まず、ご質問の表現が適切とは言えないと思われます。 「日本語を書面にて表現するのに、漢字は必須か。」ですが、「話し言葉としての日本語を書き言葉としての文字で表現するのに漢字が必須か?」ということかも知れません。 さて、ご存じのように、日本語の書き言葉の表現には、漢字、平仮名、カタカナ、特殊文字、数式文字、その他(時には英字そのものも)があります。 これらを複合的に使用することで、書き言葉(読み言葉でもある)として効率的(全体の文字数が少なくなり)で、読み易い(表意文字としての漢字の利用、カタカナによる外来語の識別、オノマトペ、分かち書きを不要にすることでの文字数の削減と一覧性、その他)日本文が作れます。 このような機能は日本語に特徴的で、日本の文化の成立過程の中で歴史的に構成されてきて、いまや完成形に近づいているとすら言えると思われます。 しかし、他の角度から見れば(とくに外国人から見れば)日本語はいかにも混乱して統一性のないいい加減な言語に思われる可能性もあります。 また、その一方で、日本語ネイティブの人間にしても、ある程度の年代になって一人前になったはずの日本語の使い手ですら、知らない漢字や知らない表現は少なくありません。日本人ネイティブのはずの、たとえば、50代、60代の人達でも日本語を十分に使いこなしているとは必ずしも言えない現実があります。 歴史的にはこの不効率を国家的損失として、日本でも英語を公用語化しようとしたこともあります。 現在も矛盾を抱えたまま経緯していますが、急に「漢字は必要か」という問題提起をしても、何かが突然変わることはなさそうです。 小学校から英語教育に力を入れることに決めた文科省が、本当に英語能力(とくに話す・聴く)を子供たちにつけさせようとしていますが、自己表現力・主張力、論理構成力、異なった意見に対する自尊・他尊、などの力をどのように育てるのか見えて来ません。それらが欠けると英語能力といっても表面だけになりそうです。
お礼
丁寧かつ非常に参考になるご回答、ありがとうございます。ちゃんとした補足を書くのに少し時間がかかりますが、必ずアップします。
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
もしかりに「かなもじだけ」で、にほんごのぶんしょうをつづるとしたならばどうなるか、いちどおためしになってみてください。 もう既にご存知とは思われますが、日本語が最初に書き文字として成立したのかそれとも話し言葉として生成されてきたのかを理解するには、発音と表記音の関係に着目せねばなりません。 上代特殊仮名遣いとされる万葉仮名は一文字一音の原則が適用されていることも知られています。それに対し、その後の仮名遣いがどう変化したかを調べれば、必ずしも一文字一音の原削が適用できないことも事実でしょう。 いろは四十七文字にも「い・ゐ」「え・ゑ」「お・を」「は・わ」があります。けれども発音は同じであっても、それを文の中で使うとなれば違いがあることもお気付きでしょう。助詞の「を」を「お」と書く用例はありません。となれば逆に発音すらも実際には異なっていたとの可能性が浮上してきます。こうした状況を単に能率的との言葉だけで解決することが出来るでしょうか。答はノーです。 「オーデコロン」が“ eau de Cologne”であり、この“Cologne”もドイツのKölnをフランス語表記したものであることも知られていますが、この単語一つをとっても「イー・エイ・ユー、ディー・イー、シー・オー・エル・オー・ジー・エヌ・イー」と個別の文字の発音で読んでも意味が通じるでしょうか。 文字が言葉を表すための手段であることを考えてみるならば、効率よりもそれがもつ意図と意味に重心を億法が大切かと存じます。 因みに『漢字と日本人』は僕も読みましたが、この本を書いた人物は「言葉」を理解していない、理解できないと同時に我田引水的な論理展開をかなり無理して使っている人物であるとの印象を受けた記憶もあります。 逆に『かなづかいの歴史』今野真二著、中公新書や同じく今野氏による『日本語の考古学』岩波新書新赤版No.1479をお読みになることをお勧めします。
お礼
ご回答、ありがとうございます。参考にさせてもらいます。
補足
「漢字と日本人」の批評、ありがとうございます。なぜこの質問で同書籍を紹介したかと言いますと、戦後の漢字使用に関する議論が分かりやすく書いてあるためです。
- staratras
- ベストアンサー率41% (1498/3648)
昔の電報には漢字が使えずカタカナ書きでしたが、緊急の重要な要件を伝えることもできましたので、日本語の書面作成に漢字が絶対に必要かと問われれば、必ずしもそうではないと考えます。(カタカナのテレタイプというものも1970年代の職場にはありました) ただし、同音異義語が多い日本語の特徴を考えると、効率的に誤解が生じないような文書を作成するには漢字を文章の中に使用するのが便利で、その意味では必須だといっても過言ではないと思います。当分の間は漢字かな混じり文の天下が続くことは確実で、70年代には前述のテレタイプから打ち出されるカタカナの文章を、普通の漢字かな混じり文に書き直す仕事もありました。その方が読み易く誤解が生じにくいためです。 昔から有名な例文ですが、カタカナだけの「アスルスバンニコイ」という文章の場合、ある人は、あすは(昼間)留守だから晩に来いという意味だと理解し、別の人は、あす留守番に来いという意味に理解するようなことが起こり得ます。 漢字が使えれば、前者は「あす留守晩に来い」後者は「あす留守番に来い」と一目瞭然です。カタカナだけならば「アスルス、バンニコイ」「アス、ルスバンニコイ」と読点を適切な位置に打つなどの工夫が必要でしょう。 回答者は漢字廃止論者ではありませんが、ワープロやパソコンで文書を作成するようになって「字を正確には知らない漢字」や「漢字で書くつもりではなかった言葉」も漢字に変換してくれるようになり、文章の中で漢字が占める割合が手書き時代より高くなっている傾向には懸念を抱いています。何でも漢字で表記すればよいというものでもなく、自ずから読み易く誤解が生じにくい適切なバランスがあるように考えます。
お礼
ご回答、ありがとうございます。参考にさせてもらいます。
- 1
- 2
お礼
非常に詳しいご回答、ありがとうございます。中身をちゃんと把握して、補足を用意するのに時間がかかそうですが、必ずアップします。 私の問いに関してこれほどご時間と労力を割いていただき、誠にありがとうございます。
補足
本質問に回答してくれた方々の殆どが、同音異義語の多さが(漢字廃止において一番大きな)ネックだ主張しています。やはり、重大な課題ですね。 文法的な問題について、例の 「うらにわにはにわにわにはにわにわとりがいる」・「裏庭には二羽、庭には二羽、鶏が居る」ですが、 うらにわ に は にわ、にわ に は にわ、にわとり が いる のように、空白を入れることによって、漢字を使わなくても例文の言葉が持つ意味を把握するのが著しく速くなると思います。 それに、他の回答者が挙げた例文もそうですが、上記の紛らわしい「にわとり」の文には脈略がないことこそ問題です。 机上の例、問題集のためにわざわざ作られた例をおいといて、実際の言葉だと話しには文脈(背景・前後関係など)が存在します。 文脈(一つ前の文章ではなく、話し全体)が分かったら、「あめ」、「はし」、「おこる」など大和言葉を混乱する恐れはあまり大きくないでしょう。 大和言葉より、むしろ漢語に由来する熟語が誤解を招きやすい言葉でしょう。 例として、「きかん」、「せいか」、「しんせい」のようによく使われている同音異義語がそれぞれ約 15 個あって、少し珍しい慣用語も入れたら 30 個になり、 死語に近い言葉も計算に入れたらさらに膨大します。 それでも、文脈さえあれば読者が読んでいる文面に出る「きかん」が「機関」、「期間」、「帰還」、「気管」、「器官」など、どの熟語を指すか、それほど躊躇することはないでしょう。 多くの方々にとっては同音異義語が(漢字廃止論において)致命的な問題だと考えているようですが、本当にそうでしょうか。 次、「朝鮮語は日本語同様、ハングルであっても漢字で意味を補完していたと思われるが、現在ではほぼ漢字の素養が失われたため、朝鮮語の文化的根幹が危うくなっているとされる。」 Blog を紹介してくれて、ありがとうございます。中身はとても面白かった。ただ、 「朝鮮語の文化的根幹が危うくなっているとされる」 を断定するのに、本 blog が紹介する逸話が足りない気もします。 勿論、若い医者が「陣痛」と「鎮痛」の区別が出きなければ大変ですが、今のところ実害の例は本当にあるでしょうか。後は、どんな社会においても、意思疎通がスムーズに行wられないことが重大な課題だと思います。しかし、同音異義語いがいに意思疎通がうまく行われない原因は数多くではないでしょうか。 文化的な面に関しては、なにも還元主義的な議論をするつもりはありませんが、古典初め漢字と関係のある文化的なことに興味のある人達(専門家・一般読者)が それぞれの興味・活動が必要とする漢字を自らで獲得すれば宜しいではないでしょうか。もし官僚と政治家が望ましいと思えば、漢字学習に援助金を注げば宜しいかと思います。 一方、「文化」を御大儀掛け、日常生活には漢字を必要としない国民に(漢字と縁のある)文化と触れさせるために、無理やり2・3千もの漢字を親しませようのもどうかなぁと思います。 それに、「文化」は流動的な生き物です。いくら漢字が昔の文化において必要だったとしても、現在は違うようであれば、昔からの遺産を強制的に押し付けなくても宜しいではないでしょうか。 次は、phj様が指摘してくれた文法的な話しです。 「にわとり」の例に見られた煩わしさは「ほぼすべて漢字を利用することで回避しているのです」とされます。 確かにそうです。しかし、上記に述べたように漢字がここで果たす機能の代わり、空白・文脈だけで同じ役割を果たしてもらうことが可能です。漢字を使う文章と比べれば多少働きが悪いことは否定しませんが、一方、漢字を習得するための時間・苦労と、他方、漢字を使わずことが生じる若干の不便さを天秤にかけて量ってみますと良いではないかと思いますが、いかがでしょうか。 最後に、「ひらがなは日本語の発音則に対応していない。」 これも、確かにそうです。とはいえ、文字と発音が多少一致していなくても、仕方がないことだと思います。文化と同じく、言葉は生き物ですから。 長くなりましたが、本補足に関して疑問に思われるところがあれば、是非、再回答をよろしくお願い致します。