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「〇○に困る」と「〇○で困る」

kine-oreの回答

  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.4

「困っている」(「困る」のままでは統語性が悪いので)の取る補足語の種類は幾種かありますが、一番欠かせないのは「~に困っている。」という「内容格補足語」です。これだけでも「原因・理由格+状態格」の役割も果し、また「状態・事情」も暗示します。 ところが、「~に(困っている)」は「状態格補足語」ですが、内容格補足語に準じた形で、その内容が含まれた表現に限っては「原因・理由格」の役割も兼ねて、意味が通るケースとなります。 たとえば「口下手/人手不足で/金で困っている。」ならば、単なる状態格以上に、「口下手/人手不足で/金で」という原因・理由格も加味されているので、どのよう<に>困っているか、何<に>困っているかという本当の内容(生活や支払など)は不詳でもある程度の想定が付くので、それなりに意味が通るようになります。 その点、「成績の悪さで」には誰<が>、どのよう<に>といった帰属性や理由や内容が未詳であり、状態格のままに留まっているため、表現としての曖昧さを否めません。 とまれ、この場合は「~<に>困っている」が標準的であり安定した表現です。 例1)「金」 私<は>         (題目格) 金(が無い)<(の)で> (原因・理由格) 生活<に>        (内容格) 困っている。 (私は) 金<に>         (原因・理由格+内容格) 困っている。 (私は) 金<で>         (原因・理由格(内容不明)) 困っている。 例)2「成績」 私<は>         (題目格) 息子<が>       (主格) 成績の悪さ<で>   (原因・理由格) 落第しそうな事<に> (内容格) 困っている。 成績の悪さ<に>   (原因・理由格+内容格) 困っている。 成績の悪さ<で>  (原因・理由格(結果のみで内容不明)) 困っている。

Mister0413
質問者

お礼

詳しいご回答、ありがとうございました。 ただし単なる打ち間違いかもしれませんが、このままでは意味が通じない点があります。 たとえば「口下手/人手不足で/金で困っている。」ならば、単なる状態格以上に → たとえば「口下手/人手不足に/金に困っている。」ならば、単なる状態格以上に  でしょうか? それであるとしても、「『成績の悪さで』には誰<が>、どのよう<に>といった帰属性や理由や内容が未詳であり、状態格のままに留まっているため、表現としての曖昧さを否めません」は初耳の内容でした。それこそがこの問題の根幹なのかもしれませんが……。

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