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背理法と対偶証明の違いについて
背理法と対偶による証明は同じと私は考えています。しかし、インターネットを含み、世間では違うというのが定説かのようです。 従って、違うとお考えの方に、その理屈と根拠を教えて頂きたいのです。
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お礼
意外に率直に私見を認めて頂いて、素直に理解できる力がある事に安心しました。同じ内容、旧友にも書いたのですが・・・・。 生徒に教える立場の方のようなので、未だ氷解しなければどうしようかと、少し心配しました。 遠方の友はもっと長い議論の果てに、まだあの式を信じて、私に対して敵意を残したまま消えました。Venn図、真理値表、論理式、具体例、そしてディジタル回路図まで書いて議論したのです。お陰でトートロジーについての知見も少し深まりました。 実は回路図にすると面白い事が分かります。自分には新発見でした。 ⇒で結ばれたトートロジーは、正しい推論に無関係らしいという事です。高名な哲学者のウィットゲンシュタインは、トートロジーは真理だという前期の思想・説でした。 今までの貴方の考え方は、背理法の考えから[(A⇒¬B)∧(A⇒B)]⇒¬Aの式に到達し、この式の正当性を証明する方向でした。私はこの式を使って、背理法でA⇒Bが証明できる事を求めていたのです。その為の食い違いです。この式は矛盾を示す事には使えない筈ですから、それは不可能なのです。もしこの式でA⇒Bが証明できれば、この式の対称性から、[(A⇒B)∧(A⇒¬B)]⇒¬AでもあるのでA⇒¬Bも証明できるからです。これこそ矛盾です。 1×2×3×・・×Nmと×5・・まで書かなかったので、誤解されたようです。問題はあの式で構成的に素数を作ると、飛び飛びの素数になり、その抜けた素数で割れる数が出てくるので、あの式では全ての素数を取り出して、掛けるという操作ができなくなります。 故に、どの大きい数の場合でも、素数の全てを取り出して掛けられるという前提、つまり無限に素数があるという、証明すべき事が前提に入るのではないかという疑問です。 他の証明法も有りますから、素数は無限にないとも思っていませんが、この証明方法はやや疑問です。詳細はまだ問題です。 また三段論法の[(A⇒B)∧(B⇒C)]⇒(A⇒C) 式は、そのトートロジーが論理式でも証明できますが、これは推理としても正しいのは何故か等はまだ理解できません。