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特殊相対論の時間の遅れについて

noname#175206の回答

noname#175206
noname#175206
回答No.11

 お礼、ありがとうございます。  ご質問に含まれていたのが、「時計の遅れ」で、これは特殊相対論の基本の一つです。他に二つあり、「ローレンツ収縮」(または「フィッツジェラルド収縮」)と「同時刻の相対性」です。  お礼でのご質問について説明いたします。最初同じ慣性系S系に観測者A、Bがいて時刻あわせした時計を持っています。到着地点CにもA、Bの時計と時刻合わせした時計があるとします。  Bが一気に亜光速まで加速して(つまり加速時間は無視できるとする)、その後慣性飛行し、Cに到着寸前に一気に減速してCで停止するとします。  Aからすれば、Bが速度を持ったのですから、Bの時計が遅れます。これはいいですね?  次にBの立場で考えます。Bからすれば動いたのはAとCです(相対論では慣性系の観測者は静止と考えます。加速時間は短く無視できますから慣性系でOKです)。しかし、ローレンツ収縮と同時刻の相対性を考えなければならなくなります。  ローレンツ収縮のほうは簡単です。一気に加速したとたんCまでの距離が短くなります。このため、Cまでの所要時間は短くなります。このことは、先のAの主張と一致しますね。  さらに同時刻の相対性があります。実はBが一気に加速すると、Cの時計が一気に進んでしまうのです。ですから、Cの(ついでにいえばAのも)時計の進み方が遅く、かつ、Cまでの所要時間が短くなっても、この「同時刻の相対性」でのCの一気に進んだ時計の硬貨が大きく、結局Cに辿り着いてもCの時計のほうが進んでしまっていることが打ち消せないのです。ですので、Cに到着してCの時計と自分Bの時計を比べると、自分Bの時計が遅れているのです。  高速=亜光速で飛行する粒子でも同じです。この場合はローレンツ収縮が重要です。亜光速であるため粒子からすれば、ローレンツ収縮により到着する地点までの距離が短くなるため、崩壊するまでの時間でも到着できてしまうのです。もちろん、粒子から見た外界の時計はゆっくり進みます。

sa10no
質問者

お礼

>実はBが一気に加速すると、Cの時計が一気に進んでしまうのです。ですから、Cの(ついでにいえばAのも)時計の進み方が遅く、かつ、Cまでの所要時間が短くなっても、この「同時刻の相対性」でのCの一気に進んだ時計の硬貨が大きく、結局Cに辿り着いてもCの時計のほうが進んでしまっていることが打ち消せないのです。ですので、Cに到着してCの時計と自分Bの時計を比べると、自分Bの時計が遅れているのです。 なるほど。定性的には納得できたような気がします。じっくり考えてみようと思います。ただ、まだまだ勉強不足で理解できないところが多いです。

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