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死だけが救いです

死だけが救いです 希望だの、楽しみだの、生きがいだの、それなりに求めたり前向き方向に努力してみたり、ですが、結局は空虚感と無力感にたどり着き、毎日辛いので(特に朝起きたときの辛さはこの世が地獄であることを確認するだけのような尋常でない辛さ)、 救いは 死ぬことだけです。そう考える時だけが心が晴れます。 全ての苦しみや葛藤から解放されることを考えると 「死」って最高の幸せですよね。 お返事は共感意見を多く望みます。きれいごとのお説教や前向き人生指南は私自身「またか・・」「ばかばかしい」としか思えないので。

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  • kotoby2003
  • ベストアンサー率15% (280/1755)
回答No.1

「死」は最大の自由、すべてからの解放です。 質問者さんの気持ちはわかります。 ただ・・・この悠久な時の流れの中で、自分がいられるのは今このときだけです。死んだら次はありません。朝の来ない眠りです。生まれ変わりなどありません。 そう考えたら、なんかもったいないなあ、って思っています。 ちなみに、説教などは不要と書いていますが、ひとつだけ書いておきます。 質問者さんは、「単なる病気」です。心療内科に行きましょう。苦しみから解放される可能性がありますよ。 だいたい、「心の」病など、「心の」苦しみなど、くだらないんですよ。 「心」なんて、ありもしない幻想に惑わされるなんてくだらない。 人間ごときが。

yukim1970
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます。昨年から哲学書をむさぼり読み、死生観や人生観について多く考える時間が必然的に増えました。 私は以前より無神論ではありましたが、輪廻転生はどこかで信じていたようなところがありました。ですがやはり、ニーチェが言うように人間の一生はこの与えられたこの人生しか生きることが出来ない「一回生」であると思っています。 人はその真実から眼をそむけ、その絶対的真理を前に途方に暮れ絶望し、だからこそ神だの天国だの、ありもしないのにさもあるかのようにみせかけ、そしてそこに救いを求めさせるユダヤ・キリスト教があれだけ君臨したんだと思います。ニーチェは神を完全に殺し、決して逃れられない人生の空虚や理不尽をとことん味わいつくすこと。それを超えた人間こそが永遠回帰の超人ということを書いていますが、超人になるまえに私は息が切れてしまいそうです・・・ また、書き込みお待ちしております。とても理解できるし、温かい気持ちになりました。本当にありがとうございました。

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noname#194289
noname#194289
回答No.4

何か具体的にしていることはないのでしょうか。

  • energy1
  • ベストアンサー率50% (1/2)
回答No.3

私の過去の経験から人ごととは思えず回答しています。 私も全く同じような時期がありました。 毎日毎日すれ違う老人やお年寄りを見ては、 早く私も死んで楽になりたいと思っていました。 毎日がそれこそ地獄で一分一秒が苦しかったです。 それから10年経ちました。 10年間試行錯誤をして色んな経験をしました。 今は本当に幸せに生きています。 苦しい経験をしたからこそ、 普通に生きることの幸せと感謝を感じます。 試行錯誤したからこそ、 色々なことが分かるようになりました。 今は苦しいかと思いますが、 必ず生きていて良かったと思う日が来ます。 ちなみに私の場合は病院の薬やカウンセリングは効きませんでした。 人によって違うと思いますので行ってみることをお勧めします。 経験者の私が言うから大丈夫です。

yukim1970
質問者

お礼

そうなんです。私も幾度も精神科通院と投薬を受けましたが、一向に効果はありませんでした。限界を感じたときに、精神科にかけこんでは数ヶ月で通院も薬もぴたりとやめてしまう。その繰り返しです。 そもそも、医師という他人はもちろん、脳内物質をコントロールする化学成分など、全く信用していないのかもしれません。 セロトニンやノルアドレナリンの不足などで鬱になるわけではないと思っていますし。 ありがとうございました。

  • mimzy
  • ベストアンサー率33% (32/96)
回答No.2

こういう言葉があります。 "私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。 それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください。" 放っておいても私たちは同じところに行き着きます。 世の中には生まれ落ちてから飢餓に直面している子供たちがいます。 「死」って最高の幸せと考えるなら、その前にあなたの命その子供たちに差し出したらどうでしょう?

yukim1970
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 №1のご回答者様へのお礼にも書かせていただきましたが、 「人はこの与えられた自分の人生一回限りしか生きることが出来ない。死は「永遠なる無」と考えます」命は与えたくとも与えることはできず。差し上げられるのなら差し上げたいものですね。

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  • 皆さんにご相談があります。

    はじめまして! 自分は今年24歳になる男性フリーターです。 今の自分は一番悩む時期なのか色んな事で葛藤しています。 これからの事・親や祖母など家族のこと・友人や恋人・様々な人間関係 そして最終地点の死、、 日々自分では心身共健康で職場にも恵まれてはいるのですが、 何か空虚感に駆られることが多々あります。 そこで皆さんは上記の事柄で悩んだことはありますか? また、その時の対処法などがございましたら是非アドバイスをいただけますと有難いです。 最後に、今24歳なのですが「今のうちにこんな事、あんな事経験・挑戦してみたら?」みたいな 事があれば是非是非教えていただけたら幸いです! よろしくお願いいたします!

  • 死生観 キリスト教 人は死んだら 自殺はダメ?

    人は死んだらどこへいきますか?天国と地獄ってあると思いますか? あると考える人は、自殺者は救われないから死ぬなと言いますね。 私は聖書を少し読んだりしますが、自分の命を自由にするなんておこがましいみたいに解釈しました。 でも神が居るならわざわざ試みにあわせる必要ないですよね?むしろ守ってください。 創世記に見る神様は物凄く性格の悪いパワハラな存在ですよね。救いを求めて開いてもそこは嫌になります。宗教が無ければ落とさなくて済んだ命が沢山あるはずです。 自殺したクリスチャンの人は、この世(この言葉自体があやふやですが)で物凄く苦しい目に会わされて、耐えかねて死んでいったのに、あの世でも浮かばれないって考え方は酷くないですか? 本当に神様が居るなら、いじめられて人生を壊されたり自殺した人よりも、いじめた側の人間の方が良い生活をしてるっておかしくないですか? 私は死について、休息の様な物程度にしか思えません。私が今死んでも、やっと楽になれるかなくらいにしか思わないでしょう。親しい友人が亡くなっても涙のひとつもこぼさない人は冷酷なのでしょうか?

  • 死が救いと考える年齢はどれくらいだと思いますか?

    子供たちは、大変に無邪気で可愛く、将来を悩む事がないような生気に満ち溢れ、実に愛おしい存在です。そんな彼らも年齢を経るごとに、生きることが苦しみになり、死ねば救われる、終われると考えるようになりますが、それは何歳ぐらいからでしょう?。

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     今、世界で唯一わたしを気にかけてくれている存在    無償の愛情をあたえてくれる存在である 猫が激痩せしてきて もうすぐ死ぬかもしれません  猫が死んですぐ私もしねば、一緒にこの世を離れることができて   死ぬことへの怖さも薄れますしという考えおあり、この猫がしんだら、                                      私も死のうとおもっていたのですが、 いざこれからしぬことを考えると  たとえば、連載している漫画の続きなどが、少しきになったり、      貯金も60万円ほどあり、全部使ってからというような未練というものといえばいいのでしょうか   そうした、いやらしい欲望のようなものを感じ、        私も一緒に行こうと(死のう)いう気持に葛藤というものが生じています   そのほか、打算的なことや恐怖感など 様々なことをグルグルかんがえています  こうした質問で、     その猫の分まで生きなさいなど、キレイ事のような回答がありますが    結局、生きるということは、何かをしたいという欲望に支配されているということですよね?  私は今のところそうした解釈があるので    死ぬことについて、それを罪とするのではなく肯定する意見がある人に   その死ぬことが罪ではないというような概念を教えて欲しいのです  できれば、「さっさと死ね」など この質問で生まれた苛立ちをぶつけるような回答は避けてもらい   あなたの、この質問に対しての価値観を、死にたいしてのご意見をいただけたらありがたいです  また、最近、がん患者さんの回答などをみて、自分が末期で1年も寿命がないことを考えたら   非常に心が軽くなったことを覚えております (スイスで外国人安楽死の受け入れがあるため痛みなどにも恐怖せず   また 神様が定めたという 自殺ではない解放されたという感覚を抱いたためです)  その1年で自分は何をするかなど 少し想像したりしていましたが、  もし、皆さんでしたら その残された1年で何をしますか?  この回答に関しては、「いつもと変わらない日々を過ごす」というよくある意見については                                                     必要ありません  じぶんが1年後に死ぬという 死と向き合って   残された時間で コレがしたい という渇望が、何か未練がある方だけご回答よろしくお願いします    

  • これって無駄な抵抗ですか?

    前職を20年間勤め、辞めてから4年経過します。ひどい上司にめぐり合わなければ・・。天国から地獄、まさしくこのことだと思っています。公務員だったのでスキルも経験もありません。なにか光るものがあればよいのでしょうけど・・・ 今も、わたしの人生は無意味の感がぬぐえません。 製造業に足を踏み入れるものの、待遇と賃金の落差にかえって落ち込んでしまいます。 このまま、行き着くところまで落ちてみようかと思ったり・・。 この4年間、色々なことがありました。父親の死等、自殺も考えました。 人生で挫折し、そして立ち上がり幸せをつかんだ方々の本も読みました。 自分も頑張れば神様が救ってくれるのかなと考えました。自分の人生を意義あるものにするために、難関である司法書士を目指そうと思っています。 試験に合格したら、また、違った生きがいというものがわいてくるのかなと思っています。 これって無駄な抵抗ですか?