広島への原爆投下の問題点は何だったのか?

このQ&Aのポイント
  • 広島への原爆投下には、人体実験やソ連への牽制を目的とした投下であったこと、爆発や放射能による被害が大きかったこと、民間人を狙った攻撃であったことの3つの問題点が存在します。
  • しかし、原爆投下は早期終結を狙ったものであり、放射能被害や戦争における死亡は避けられないものとの主張もあります。
  • ただし、民間人の大量殺戮は問題であり、軍事目標への攻撃との違いが議論されます。
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広島への原爆投下は何がいけなかったか(追加質問です)

以前http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4620703.htmlで 沢山の意見をいただき大変参考になりました。 2つ質問させて頂いて、大臣の「しかたなかった」発言に付いては 納得できました。 しかし、広島、長崎への原爆投下に付いては疑問が残るので改めて質問させていただきます。 以前の広島への原爆投下の何が悪かったか、まとめさせて貰うと諸説あるようですが以下3つになると思います。 (1)人体実験やソ連への牽制を目的とした投下であったこと (2)爆発や放射能による被害が大きかったこと (3)民間人を狙った攻撃であったこと まず(1)については、実験や牽制の意図があったにせよ通説の水掛け論になってしまいますが、やはり戦争の早期終結を狙った部分もあるのではないかと思います。ですから一概に原爆投下はいけなかったとは言えないと思います。 次に(2)については論外であると思います。兵器なのですから多くの被害がだせてこそ上等な兵器です。放射能被害についても、爆発によって一瞬で死亡するか、放射能に犯されて長期的に死亡するかの違いであるので、殺し方の違いであって別段非道な方法であるとは言えないと思います。そもそも戦争なのですから人が死ぬのは当たり前ではないでしょうか。数や程度は関係ないと考えます。 最後に(3)ですが、私も民間人を大量に殺したことがいけなかったのでは?と思うのですが では、軍用機地などに原爆が投下され軍人を対象として原爆を投下した場合は何ら問題はなく、正当な攻撃であったのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • tyr134
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回答No.13

前回に引き続き、回答に参加しますね。 参考になれば幸いです。 まずは、戦争に対する認識についての歴史的な流れを。 産業革命による技術革新で、次々と新しい武器が開発されていきました。 当然、兵器が変わると戦術や戦争の内容も変化していきます。 そして、それに伴い民間人への被害も拡大の一途をたどっていきます。 その一方で、人権意識も高まっていきました。 そして、1899年にオランダのハーグで万国平和会議が開かれます。 そこでは、「国家間の武力衝突を回避するのが一番だが、どうしても武力衝突が起こった時は、お互い一定のルールの下、正々堂々と戦おう」と決められたのです。 ルールは結構細かく、「交戦者」の定義や「戦闘員・非戦闘員の定義」、「宣戦布告」「捕虜や病傷者の扱い」「してはならない戦術」「使ってはならない武器」などなどが細かく決められていきました。 で、禁止武器には「不必要な傷害を与える性格をもつ武器、発射物、素材を用いること。」とあります。 核兵器は、この条項に違反している可能性が高いです。 なんせ、無差別に都市一つの人口を一瞬で消せるんですから。 因みに、禁止武器は「毒ガスなどの化学兵器」や「細菌をばらまく生物兵器」なども含まれています。 これが、『ハーグ陸戦条約』です。 都市への攻撃は、「軍事施設へ限定」すべきであり、そうした「限定的な攻撃」が出来る兵器を用いなければなりません。 また、1922年に作られた『空戦に関する規則』でも「無差別爆撃」は禁止されています。(但し未発行なので効力はありませんが) http://homepage1.nifty.com/paganus/treaty26.html >兵器なのですから多くの被害がだせてこそ上等な兵器です こうした考えで、様々な兵器が考案された結果、ヨーロッパの領土は荒廃してしまいました。(18~19世紀は戦争の世紀です) このままでは、「世界の終末」がやってくるのではとの危惧も生まれます。 その結果生まれたのが、「ハーグ陸戦条約」です。 ※因みに「海戦のルールも決めよう」となりましたが、米国と英国がもめてお流れになりました。 しかし、第一次世界大戦の勃発~ナチスの台頭~第二次世界大戦と続くなかで、この「ハーグ陸戦条約」に象徴されるような「万国平和」の精神は吹き飛びました。 ナチスは毒ガス兵器や生物兵器を製造しようと画策するは、各国は軍艦を作りまくるは、戦闘機の開発で都市が空爆されるはで、ハーグ条約以前では想像出来ないくらいに荒廃しました。 で、広島・長崎の原爆投下は、この「万国平和」の精神が吹っ飛んだ中で行われた行為と言えます。 そのため、「必要以上の殺傷力のある兵器」が使われたと言えます。 第二次世界大戦が終結して、今一度「ハーグ陸戦条約」の精神に帰ろうという動きが世界で始まります。 そして振り返ったとき、「原爆投下」は「ハーグ陸戦条約に違反」してるのではないかとの批判が起きたのです。 特に、被害を受けた日本では、「違反している」という声の方が大きくなります。 しかし、原爆を落とした側は「違反していない」と反論します。 これは、なにも原爆だけに限らず、「南京大虐殺」や「重慶の爆撃」なんかでも論争がありますよ。 こちらは、被害を受けた側の中国が「違反してる」と主張し、日本は「違反してない・しかたない」という主張する構図ですけどね。 >1)人体実験やソ連への牽制を目的とした投下であったこと これは、先の回答でも述べたとおり、「憶測」の域を出ませんので個々人の「歴史認識」の問題となるでしょう。 「通説の水掛け論」と仰っている通り、現状では論争の域を出ないのが現状です。 >2)爆発や放射能による被害が大きかったこと 原爆が落とされたときは、できたてホヤホヤの新兵器でしたので「放射能の影響」をどこまで米国が認識していたかは分かりません。 しかし、爆発の規模については、「トリニティ実験(人類初の核実験)」を行い成功させていますし、データを多く得ています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%83%86%E3%82%A3%E5%AE%9F%E9%A8%93 当然、「核爆弾」を落とした時に甚大な被害が出ることを認識していたはずです。 また、米国内でも日本への使用は反対する人もいましたが、時の大統領トルーマンは強行します。 戦後も水爆を開発するなど行い、これを「ヒトラーによるアウシュヴィッツのユダヤ人大虐殺に匹敵する人類史上最大の犯罪」とする人もいます。 >(3)民間人を狙った攻撃であったこと >では、軍用機地などに原爆が投下され軍人を対象として原爆を投下した場合は何ら問題はなく、正当な攻撃であったのでしょうか? 都市が丸々一つ軍用基地なんて事は、どこの国にもありません。 原爆の威力から考えて、それを使用すれば「軍用基地以外」も破壊してしまうこと位は分かっていたでしょう。 被害の小さな爆弾とかで民家を「誤爆」するのとはワケが違うのです。 例え、その「誤爆」が意図的であっても「知らなかった」ととぼけられればそれまでですが、「原爆」の場合「誤爆」もなにもありませんから。 明らかに、「無差別攻撃」です。 当然、これは「国際法違反」となります。 原爆投下後の日本の抗議声明にも「米國は國際法および人道の根本原則を無視して、すでに廣範圍にわたり帝國の諸都市に對して無差別爆撃を実施し來り多數の老幼婦女子を殺傷し神社佛閣學校病院一般民家などを倒壊または焼失せしめたり。」とありますしね。 とはいえ、第二次世界大戦期は、そうした「国際法」が死文化していた時期でもありますので、「日本も米国もお互いが違反してたではないか」とも言えるかもしれません。 が、「爆弾一発で都市を壊滅」というのはあまりにも「インパクト」がでかすぎます。 その後、世界は冷戦に向かうと同時に何とか「核戦争を回避」しようと躍起になっていると言えます。 「キューバ危機」なんかは、「核戦争の回避」の好例ですね。 最後に、過去ログにも似たような「Q&A」があったので参考に貼っておきます。 http://okwave.jp/qa1851332.html こちらは「ハーグ陸戦条約」についてです。 http://ww1.m78.com/topix-2/hague.html

cicade_001
質問者

お礼

とても解りやすく納得のいける意見でした。 回答ありがとうございました

その他の回答 (12)

  • oas555
  • ベストアンサー率35% (5/14)
回答No.12

60年以上前の事を訳の分からん理屈でクジャグジャ言うのは、おかしいです。特に日本と米国の間では。 筋を通し、怨念や憎しみではなく、高邁な理想に立って、今後の世界の為に主張すべきは主張するなら良いです。 60年の時間とはそういうものです。 原爆や原爆以外にも自分・関係者が米軍攻撃の被害を受けたとしても、いつまでもグジャグジャ言ってるのは自分で自分を傷つけます。 あいも変わらず韓国が日本についてグジャグジャ訳の分からん事を言っていますが、あれがそうやってるから日本も倣っていいとは成りません。 日本は戦後やるべき事はやってきました。ツグナイの事ですね。それについては正しく評価されるべきです。 また、米国も日本に対しやるべきツグナイはやってきたと思います。それも正しく評価したいと考えます。 我々は米国式のツグナイ方を理解できないほどの馬鹿ではないはずです。 現在日本は米国追従政策を取り、そして日米間はほぼ同盟関係に有るとされていますが、そうしている理由は単に米国が強大な国家であるからだけではなく、米国がそのようにするには良好な国家であると判断できるからです。 単純に力になびいている訳では有りません。 また米国にとっても、何でもいいからそこらの馬鹿国と米英同盟にも匹敵する強固な同盟関係を持つことはなく、それなりに日本を評価し、それなりの信頼感を持ちえるからこそ、日本を強固な同盟関係者に選択しているのです。 そしてですが、米国と準同盟関係にあるからといって日本の自主的な国の安定努力を怠って良いものでは有りません。 国の繁栄と安全を他国の協力と自国の努力で進めていきたいものです。日本国憲法第9条にも世界平和の為に努力する旨記載されています。 冷戦も終結しましたが、資本主義国同士なら侵略・戦争は無い、と妄信するのは危ういです。 現在の段階では即座に危険な国家は資本主義国の中にはありませんが、今後極めて危険な国家になっていくであろう物が在ります。 その国は日本侵略を国是とし、日本人抹殺が国民の願望となっています。そしてそれを実現させる為の具体的軍事努力を着々と進めています。 どうしてそのような国家足りえるのか、充分な分析が必要ですが、我々の祖先も過去に誤った指導者を許し、誤った道に強制参加させられた歴史があります。 あの頃の日本と大変近似した状態にあると観察されます。 過去の大日本帝国の亡霊が蘇って押し寄せてくるなんて、2度も帝国の悪夢を味わうなんぞ、耐えられませんわ。 米国の方がずっとましです。

  • DiabloXXX
  • ベストアンサー率22% (60/265)
回答No.11

先のイラクの状況を想像すれば良いのではないでしょうか。 貴方の理屈から言えばアメリカからすればいつまでも 沈静化出来ないので金も費用かさむので、何万発も持ってる 核兵器の数発使ってあの辺一帯を核で吹き飛ばせば いいって事になるんじゃない? 正義の名の下に勝手に大量破壊兵器があると決めつけ 攻撃し最終的には沈静化出来ないから核で吹き飛ばす。 そんな世の中で良いと貴方が考えるなら日本の核被害を 正当化する考えを持ってもいいんじゃないでしょうか。 何十年も前の事を未だに言うのがおかしい? 本当にそうかな?日本の近隣諸国を見て下さい。 日本に対し何と言っていますか? 過去何を要求してきましたか? 逆に日本はアメリカに何を要求しましたか? 被害を後世に伝える事と自体を問題化させる事は 意味が違いますよ。

noname#115237
noname#115237
回答No.10

(1)について。 人体実験というより、生物実験という感覚だったようです(自分でどこかに書いたのですが、サイトを忘れてしまいました)。戦争を早く終わらせる、というのはアメリカの主張にすぎません。日本は原爆がなくとも、すでに資源がなく戦争を終わりにしていたかもしれません。勝てばその論理が正しいのかというのは、「東京裁判」の違法性もありますし、個人的にはそうではないと思います。 (2)について。 放射能の半減期についてご存知でしょうか?たしか化学で学んだと思うのですが、放射能の影響が半減するのに、何十年もかかります。 したがって、爆撃された「あと」(戦後)に被爆した人がたくさんいました(「この子を残して」の永井博士など)。これを「非道ではない」と言えますか? それほどの影響のある兵器を、なぜあえて「死に体」の日本に使う必要があったのでしょうか?また死亡者数が多いのが「勝者」の条件ですか? 核兵器が、兵器として「正しい」ものであれば、その後の数ある戦争で使われているはずです。しかしどの国も「カード」として持っているものの、実際に使ってはいない。つまり恐ろしくて使えない。これが核兵器についての世界の認識であると思います。 (3)について。 書いている方もいらっしゃいますが、民間人に対する攻撃は国際法違反です。したがって戦後、アメリカも裁かれるべきだったのですが、アメリカが勝ってしまったため、そういった裁判は開かれなかっただけのことです。軍人を対象にしたらどうかということですが、「軍事施設についての爆撃」ですが、どちらにせよ(2)に書いたような、非道な兵器ですので、やはり国際法違反になります。 最後に、原爆投下について、質問者様がなぜ是とするようなお考えなのか理解できません。「被害者面」ではなく、現に「世界で唯一核兵器を使われた」という非常にまれな国であり、また原爆というものが斯様に卑劣でかつ「地球に優しくない」爆弾であることから、世界に向けて後世に伝えてゆくことは、世界のためだと思うのですが。

  • ringox
  • ベストアンサー率27% (66/238)
回答No.9

原爆投下は日本人のせい。 原爆投下は日本の降伏を決心させたからむしろよかった。 という誤った歴史観は戦後GHQの情報統制と反日左翼マスコミと日教組が原因。 広島の若い人がその影響でそう思ってるのは残念としかいいようがない日本の現状。 亡くなった数十万人がうかばれない。 全く不要な原爆投下をどうして日本人自身が肯定してしまうのか。

  • lilact
  • ベストアンサー率27% (373/1361)
回答No.8

(1)について たとえ戦争を終わらせるためという目的であっても、何をやってもよいということにはなりません。国際法がありましたから。 (2)(3)について 国際法によってやってはいけないとされる攻撃方法などが決まっていましたが、それに違反しています。 >放射能に犯されて長期的に死亡するかの違いであるので、殺し方の違いであって 「不必要な苦痛を与える兵器」は当時も違法です。

  • DiabloXXX
  • ベストアンサー率22% (60/265)
回答No.7

なんつか。解っているとは思うけど、結局単純な事何じゃない? ご存じの通り戦争だから何やっても良いって訳じゃないんだよね。 国家間の武力を用いた争いが戦争であって、相手国の政治能力を 失わせればそれで良いのであって、政治能力の無い民間人に 銃器を向けるのはダメって事ですよ。 政治能力を失わさせる為には敵軍を解体させる必要があったり 首領を拘束してもイデオロギーの問題などで簡単に沈静化は 出来ない場合が多く結局民間人が被害に遭うのはある種 必然的事実になっていますが、それを辞めようと言う動きは 常にあって然るべきなんじゃない? もちろん、混乱など民間人を巻き込まない戦争など綺麗事だとか 理想論と言う人も居るでしょうが、世界が理想に向かって行くためには 現実を踏まえた上で被害を訴えるのも手段の1つ。 理想も語らなければ近づけないって事ですよ。 なので、仮に、超小型で軍用機地だけを破壊出来る 原爆があったとして、それを相手の政治力を奪う為に 破壊が必要な施設なら正当化されるんじゃないでしょうか。 (1)で早期終結を狙ったとありますが、早期終了させる事より 筋を通す(国際的ルールを守る)事の方が大切だと思います。 残念ですがルールの上にしか安定は作り得ませんので。

noname#101110
noname#101110
回答No.6

ヒロシマ、ナガサキ への米軍による原爆攻撃は到底許されるものではない猛悪な戦争犯罪だと思います。余力もなく疲弊しきった日本の敗戦受諾が分かりきった時点に、しかも非戦闘員の史上最大の大量虐殺が予想できたにもかかわらずあえて実施したということでその犯罪性は明らかです。 ソ連側への示威、日本へのだめ押しを込めるにしても、あれほどの犠牲を払うことなく、例えば東京近辺の無人島へ投下するなど犠牲者を極小にするやり方はあったはずです。 東京裁判でもこの案件が出されようとして米国側から阻止された事があったと思います。当然ながら当時からこのことは周知の事実でした。アメリカが途方も無い力を持ち続けている戦後の世界政治がこの問題を押し込めているのです。 例えば、イスラエルがガザに一発原爆を投下する事態を予想できるでしょうか。そういうことを63年前にアメリカが実際にやったのです。それも2発も。 日本人なら広島長崎市民の無念をしっかりと理解するべきです。

  • cho4
  • ベストアンサー率23% (64/273)
回答No.5

(1) 軍としては開発した兵器は使ってみたいでしょうね (2) 当時は米軍側でも放射能の影響はほとんど認識していなかったと思います    基本的には大破壊力の爆弾として考えていたでしょう    広島・長崎の結果として、人体への放射能の影響が多大な事が判明しました (3) これが問題ですね    東京をはじめとする都市の破壊・人員殺傷を目的とした空襲    米英とも戦争犯罪です    (たとえ 都市空襲のはじまりがゲルニカや重慶であったとしても) 核は基本的に相手国の国民を人質にする兵器です その点において、非人道的なものだと思います

  • phj
  • ベストアンサー率52% (2344/4489)
回答No.4

>広島への原爆投下の何が悪かったか アメリカの立場に立てば、戦争を早く終結させ、自国戦闘員と日本の犠牲者を少なくした功労の立場になるでしょうし、被爆者からすれば「とんでもない、非人道兵器」ということになるでしょう。 立場によって、必ずしも、「投下」が悪かったとはいい切れないと思います。 しかし、広島・長崎への原爆の投下の結果そのものは、非常にむごたらしいものであり、これを「非人道的」と非難すること、つまり今後の原爆(水爆)を使用しない・配備しないようにアピールすることは、投下とは分けて考えても、矛盾しないと思います。 まず戦争自体の目的は、人殺しにあるのではありません。自国の利益を保護する為に最大限の努力を払い、それでもまだ物理的に障害があるときのみ、人的資源を投入しての戦闘行為が行われるのです。そして結果として占領することが目的であったり武装解除が目的であったり、元の国境線を確定するのが目的であったりしてその目的を戦勝国は達成できます。もし仮に、殺さずに相手側の兵力を削減し、目的を達成できるなら、それでもよいのです。ですので、戦争=人殺しと考えるのは短絡的にすぎます。 このようなことが戦争であると踏まえると、広島・長崎での原爆をはじめ、現状の各国の原爆の保有をはいくつかの点で非常に愚かであるといえます。 ・非戦闘員を大量に殺してしまった(しまう)。 ・放射能で占領できない地域をつくってしまった(しまう)。 ・戦争後使用できるインフラもすべて破壊してしまう。 ・大量に使用すると、地球上から人が絶滅してしまう。 また少し説明が必要ですが、地雷やクラスター爆弾が原爆と同様に非人道的といわれるのは、産業革命以降、ほとんどの国で兵と国民が一致している体制(つまり徴兵制)のため、占領するにしても、武装解除後独立国を再生するにしても、非戦闘員が後遺症または手足などを失ったり、畑を作ろうとして不発弾で命を落とすなど、復興に時間がかかってしまう結果を生むからです。 戦争そのものの目的を達したあとは、速やかに平和が回復しないと敗戦国だけでなく、戦勝国も疲弊してしまうのが世界の現状なのです。 ですので、軍用地で戦闘員向けだけに原爆を使用するなら、たしかに非人道的とはいえないでしょう。 しかし、原爆の場合は放射能を各地に撒き散らします。 これだけでも、戦争の目的達成とは別のマイナス要因が発生します。 ですので、原爆は非人道的な兵器であり、非難の声を上げるのです。 広島・長崎については、アメリカの原爆実験の段階で被害が予想できたというスタンスを取る人もいて、そのような人は日本に原爆を投下したこと自体が間違いであるという論調です。 元大臣のように、戦争中であるから、原爆投下自体は「しょうがなかった」が、だからといって、今後も核兵器を使用していいということではない。核兵器は非人道兵器である、という論調が一般的だと思います。

  • oas555
  • ベストアンサー率35% (5/14)
回答No.3

原爆投下から既に60年余りが過ぎ去っています。 今更原爆投下が正しかったのか誤っていたのか問いただしても大きな意味はありません。 が、 軍人として、敵国民間人を大量殺戮する軍事行動を 「意図して」 取るのは恥です。 原爆投下・通常爆弾投下に限らず、地上における民間人虐殺。大量の民間人の財産生命を法によらず奪う。これら軍人の恥と心得、その恥は長く追求されるべき課題です。 原爆に関しても同様であり、原爆を民間人に使用した恥を、今後長らく侮辱していくべきであると考えます。 軍人が何のために戦闘するのかと言えば、銃後の同胞の為です。 或いは前に居る開放を望む人々の為です。 銃後の同胞は平和を望み、前に居る開放を待ち望む人々も平和を望んでいます。 正規の部隊で、殺戮を好み虐殺・強奪目的で戦闘するものは有りません。 例え自分達が死んでも平和を願い、平和主義を標榜する多くの好ましい人々が跡を継いでくれる、自分の意志を継いでくれると思うからこそ、命を賭けて戦争できます。 平和を守るには二つの方法が有ります。 いつも平和を願い、平和主義を唱える。その平和主義の下にとりあえずの応急措置として戦闘行為に取り掛かる。 軍人は後者であり、それは前者の人々を重んじるからです。 そのような軍人精神上、敵国であれ民間人を作戦として殲滅するのは許容すべきものではありません。 敵国軍人が一時的に民間人に変装しているのなら話は別ですが、民間地の大規模空襲、ましては市街地への原爆投下は、間違いもなく民間人大量虐殺目的の作戦行動です。 当時日本は正常な国家とは言えない状況にありました。 日本は軍国主義体制に制圧され、一般民衆はその恐怖政治の元で貧困にあえいでいました。 国民は軍事体制への抵抗の方法も知らず、若者は片端から洗脳教育され前線へと送り出されていました。 軍国ファシズム体制は外部に対しても脅威であったが、同時に内部に対しても恐怖だったのです。 米国は日本を開放する必要があった。或いは日本人の精神開放をする必要があった。 日本の民衆の本心がどのようなものであったかは、大戦終結後の日本人の有様を見てみれば一目瞭然。半島方面では米軍により日本からの開放があったとしていますが、同じく日本においても米軍による日本人の開放はあったのです。 残念なのは日本民衆の自力にての軍国ファシズム体制からの開放がなされなかったことです。 ナチス下のドイツでは度々その種の試みがありましたが、強運に恵まれたヒトラー総統は生き延びました。 以上、原則論でしたが、 しかし米国は日本のあまりの手強さにてこづっていたのでしょうね。 黄色い犬にも劣る下等民族が、美形白色人種にいつまでも楯突いている。 下等民族10人と白色美形人種1人とは同等の価値があるのに、毎日毎日米国・同盟国の白色人の血が流されていく。 あいつら、ついには1億総玉砕なんて言い出して徹底抗戦のつもりだ。 それなら飢え死にさせよう。民間人の補給経路を破壊しろ。民間目的の生産施設を木っ端微塵にして生活困窮させろ。 食べるものも無く、住む所も無く、着る物とて無くなったら、いつまでも天皇天皇なんて言ってもいられまい。 ところが日本人はいつまでも天皇天皇と言ってる。戦後数十年経ってもまだ言ってましたからね。 それじゃあ新型爆弾もやむえないんじゃないの?どんな爆弾か良く知らんし。試しに使ってみる価値はあるかもな。 ドイツじゃ超人ヒトラーの霊感から各種新兵器が開発されてて寸前のところで間に合ったが、日本も変な奴が居るかもな。ゼロ戦の例もあるし。 早いとこ手を打って、手仕舞いにしたほうが良いんじゃないか? 彼らは恐らく原爆の意味をよく理解していなかったのだと思いますよ。 事後にこれはヤバイとは感じたでしょうけど。

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    ご存知の通り、64年前に原爆が投下されました。 その後、投下された広島・長崎の悲惨な状況があり、現在の2都市が存在しております。 さて、「放射能は半永久的に残る」など放射能汚染が長きに渡り影響を環境に与え続けることを聞きます。 広島・長崎に投下された原爆の影響は現在2都市にはないのでしょうか?チェルノブイリを考えると、いまも2都市には影響が残っているのではないかと勘ぐってしまいます。(よく遊びに行くのですが・・・) 風雨まどで除去されるものなのでしょうか? それとも、チェルノブイリよりも性能が低かったことが幸して影響がなくなったのでしょうか? ご存知の方、いらしゃいましたらご教授をお願いします。

  • なぜ日本に原爆が投下されたのか?

    先の戦争のことを考えていて、ふと、「なぜ日本に原爆が投下されたのか?」という疑問と強い憤りを感じてしまいました。 私の読んだ本によりますと、原爆は、開発・実験段階から、すでに、イタリアでもドイツでもなく「日本に対して使う」と決められていたと書かれています。 「戦争を早く終わらせるため、やむを得なかった」ということを聞きますが、ポツダムで、会談が行われる頃(直前に原爆が完成したそうです。)には、すでに「日本の敗戦」は決定的であり、「戦争の勝敗・終結」と「原爆の使用」は何ら関係しないと考えています。そんなことは、アメリカだって「百も承知」の上での原爆の使用ですよね。 それに、広島に次いで、長崎にも投下されています。 疑問点は次の2つです。 (1) 広島と長崎に原爆が投下された。これは「戦争による犠牲」というよりは「人種差別による犠牲」ではないでしょうか?米国人のすべてが人種差別主義者だとは思いませんが、現代の状況を見ても、「人種差別」としか思えないのです。 (2) 何故2発も、投下されなければならなかったのでしょうか?「型が違う」ということだけで、あんな非道なことが出来るのでしょうか?長崎への投下はどのように説明されているのですか? なお、この質問は、現在の日米関係を否定しょうという趣旨ではありません。