• 締切済み

病跡学って、信頼のおける学問なのでしょうか?

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みんなの回答

  • tinycat19
  • ベストアンサー率25% (322/1287)
回答No.1

パトグラフィ選書というのを読めば、歴代の文学者の文学作品から精神分析をしたものがわかりますが、その作家を愛している読者から見ると、ボロボロに書かれていて、見るに耐えないものです。 精神分析者が、作品を読解して、得たもので、あくまで書かれた物が中心です。あと、その作家の人生の軌跡からも分析しています。 双極性II型で・・といったら、作家としては北杜夫です。そうの状態の時は、「寂しい乞食」「寂しい姫君」「船乗りクプクプの冒険」など、軽い作風の作品群を書き、欝の時期は「木霊」「幽霊」など、純文学風の作品を書きます。実際、「木霊」という作品には、自らの姿を投影した、留学中の鬱病の医師の主人公が登場します。

harepanda
質問者

お礼

パトグラフィという言葉を、覚えさせていただきました。ありがとうございます。 純粋な双極IIなら、自分もそうなので分かりますが、うつの時は純粋なうつではなく、うつと躁の混合状態……難しいですね。

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