解決済みの質問
全国各地で行われていた「子祭」です。宮中でも行われていました。もともと、1年の初めを子とする中国の考え方がわが国に入り、甲子が十干十二支の始めであるため、祝われるようになました。子がねずみなので、ねずみの好きな豆と福を表わす二股大根を供える例が多い。また、関西では田の神である大黒様と一緒に祭るが、関東では恵比寿様を祭る風習がある。またこの「甲子祭」は「甲子待ち」として、各地で行われていた「月待ち」の行事と一緒になり、龍神村のようなものになったものと思います。また「甲子」の日は年6回あるが、11月のものと、初甲子は盛大に行われる。
http://www.azumino.matsumoto.nagano.jp/meditation/nagano/indexy-11.html
は、竜神村の例に似ている。
参考URL:http://kanazawa.cool.ne.jp/genzaburo/DaikokutenGod.htm
投稿日時 - 2001-02-13 06:22:04
お礼
詳しい説明をありがとうございます。もとは大黒天を祭る行事だったのですね。龍神村には大国主の子の木俣神の伝承があるようなので、関係しているのかなと思ったのですが…。
投稿日時 - 2001-02-13 22:33:19
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ベストアンサー以外の回答(2件中 1~2件目)
同じ和歌山ですが田辺市では,朝食に茶粥を食べることが多かった様ですが,元は甲子の日に食べていた物が,普段でも食べる様になったと聞きましたが,現在ではお年寄りのいる家でしかあまり茶粥を食べない様です
知り合いが田辺にいて何度か茶粥を戴きましたが,十代だった私の口にはあまり美味しくは感じませんでした。そのお宅には70代の方が居たので毎朝茶粥を食べていた様です
投稿日時 - 2001-02-12 17:32:30
お礼
ほう!本当に食べるんですね!
元は甲子の日に食べていたというのがとても興味をそそります。ありがとうございました。
投稿日時 - 2001-02-13 22:26:20
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