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江戸時代の先祖の名字

家系調査のために除籍を取り寄せていたのですが、文久三年に戸主死去、妻相続がありました。 明治半ばまで女戸主だったので名字がついているのはわかるんですが 前戸主にも名字がついています。 この場合、明治につけた新名字を先代にさかのぼってつけたのか 文久時点で名字があったのか、どう判断したら確実でしょうか?

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  • mii-japan
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回答No.1

江戸時代にも名字がありました でも 公式に名乗れるのは名主・庄屋程度で そのほかは 地元でだけ通用し伝えてきました 学校で習ったことと異なり、明治に新しく苗字をつけたのは少数で 大部分は伝えられてきた名字を名乗ったのが、実情です

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