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石川啄木の「ふるさとの歌」について

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お礼率 100% (25/25)

中学の教科書に
「馬鈴薯のうす紫の花に降る 雨を思へり 都の雨に」
という石川啄木の短歌がでてきました。
父にそれを解釈してもらったところ、
下記の様なものになりました。

時代背景も有り、大多数の人間が馬鈴薯の花を見た体験もあり、
決して恵まれた環境ではない都会に出て雨に打たれたときに
この詩を見たときに、自分の体験と重ね合わせると言う事が
技術としての短歌だとしたらいわゆる「つかみ」が上手だという
ただこれだけなんですか?下敷き山藤章二の俳句の手練を思う。
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質問者が選んだベストアンサー

  • 回答No.1
レベル13

ベストアンサー率 61% (647/1050)

 
  何を質問されているのかよく分からないのですが、このうたの鑑賞を試みたいということでしょうか。
 
  >「馬鈴薯のうす紫の花に降る 雨を思へり 都の雨に」
 
  まず、馬鈴薯(じゃがいも)は、啄木の当時でも、すでに日本全国に出回っていたかも知れませんが、その「花」を見たことのある人というのは、あまりいなかったはずです。仮に、「黄金の稲の穂の……」だったら、一応、日本人の多くの人が見て知っていたでしょう。しかし、馬鈴薯の花は、特殊なものです。それは、馬鈴薯を栽培している地域の人か、それに関連する人しか知らないでしょう。
 
  だから、このうたの最初「馬鈴薯のうす紫の花」と読むと、「馬鈴薯」はともかく、「うす紫の花」はロマンティックで美しいと思います。それが馬鈴薯の花だとすると、珍しさもあって、異郷趣味的な美しさもあるでしょう。
 
  しかし、うたを読むと、明らかに、「馬鈴薯の花」と「都会」が対比的に出されています。馬鈴薯は、北海道か東北でしか栽培していないはずですが、それを知らなくとも、多くの人は、どこか異郷・田舎に咲く馬鈴薯のうす紫の花と、「都会」が対比されているということは分かります。
 
  「馬鈴薯」が何となくやぼったいですが、反対にこれが、土着の世界、田舎の郷愁、都会に対比された、「重みとしての感慨」を読み手に伝えるのです。どういう感慨かというと、「都会」に対比される、おそらく「田舎の故郷」への「郷愁」です。都会に住んでいて、雨が降るのを見て、あるいは経験して、ふと思い起こすのが、「馬鈴薯のうす紫の花に降っていた故郷の雨」であるというのです。
 
  これは、「美しく哀しみのある郷愁のうた」です。啄木の人生を知らなくとも、そういううたに読めますし、「悲しみのある郷愁の美しさ」が伝わって来ます。馬鈴薯の花を実際に知っている人に向けて書いているのか、知らない人に向けて書いているのか、知りませんし、どうでもよいのですが、少なくとも、圧倒的に多くの人は、見たことがないはずです。そのことは啄木も知っていたはずです。
 
  馬鈴薯という、どこかやぼったい物象と、うす紫の花というロマンティックで美しい物象の対比、そして、田舎である故郷に降る雨と、都会に降る雨の対比、この時、非常に美しく切なく、ロマンティックに、都会に住んで感じた故郷への「郷愁」の思いがうたに結晶化されていると云えるでしょう。
 
  参考URLに少し背景が記されていますが、そういう背景を知らなくとも、十分美しい、哀切な郷愁のうたです。
 
お礼コメント
chan_2

お礼率 100% (25/25)

丁寧に説明して頂いてありがとうございました。
投稿日時 - 2002-03-19 23:57:17
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  • 回答No.2
レベル12

ベストアンサー率 43% (186/425)

starfloraさんの名回答がすでにでていますが。私の受ける俳句からの感じを 説明申し上げたいとおもいます。技巧的な面です。 歌の前半の、 馬鈴薯のうす紫の花に降る 雨を。。  までは、どんなイメージでしょう。 畑いっぱいに広がった馬鈴薯の花。薄紫の花。そのに雨が降っている。 そういう情景が頭に浮かびますよね。大変田園的です。 ところが、 思えり。。 ときたところで、聴いている ...続きを読む
starfloraさんの名回答がすでにでていますが。私の受ける俳句からの感じを
説明申し上げたいとおもいます。技巧的な面です。

歌の前半の、
馬鈴薯のうす紫の花に降る 雨を。。 
までは、どんなイメージでしょう。
畑いっぱいに広がった馬鈴薯の花。薄紫の花。そのに雨が降っている。
そういう情景が頭に浮かびますよね。大変田園的です。

ところが、
思えり。。
ときたところで、聴いているほうはあれ?っと思うわけです。
空想かな?と思います。
いわゆる「破」です。

そして、
都の雨に
ときて、一気にそうか、ここは都なんだ。とわかり、
さっきの牧歌的田園風景から、いっきに都会の
泥まみれの馬鈴薯の花が思い浮かび、
聴いているほうもそのギャップにビックリするわけです。

啄木は、故郷への思い、都会にいる辛さをこのような、
前半と後半のギャップの大きさによって表現しようと
したと思われます。
そこが、技巧の鑑賞のしどころでしょう。
お礼コメント
chan_2

お礼率 100% (25/25)

よくわかりました。
ありがとうございました。
投稿日時 - 2002-03-19 23:51:28

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