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木下あいりちゃんのために何かしたい

buchi-dogの回答

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  • buchi-dog
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回答No.4

学校や職場で同志を募り、「広島地方検察庁にハガキを書こう」という運動を行うのはどうでしょう。 〒730-8539 広島市中区上八丁堀2-15 広島地方検察庁 http://web.moj.go.jp/KEIJI/keiji04-1.html 内容は、 「検察が死刑を求刑されたのに、無期懲役の判決で残念です。控訴審での死刑判決を期待します。検察の皆さん頑張って下さい」 といった内容で良いでしょう。長々と書く必要はありません。「検察の主張を支持し、死刑判決を望みます」ことを伝えれば十分です。 ハガキは中に危険物を入れられませんし、裏返せば直ちに読むことができます。封書の場合、忙しい人に送っても開けて貰えないことがあります。ハガキであれば、検察が証拠として保存するのも容易です。私は既にハガキを送りました。 検察は、「一審判決後に検察の立場を支持するハガキがこれだけ来ている。死刑にするべき」と、beconさんの出したハガキを裁判所に提出することができます。そのハガキは、1枚より10枚、10枚より1000枚と多ければ多いほど効果が増します。検察に多数のハガキが届いていることがマスコミで報道されれば、さらに「ハガキ送付運動」が加速する可能性もあります。 一方、裁判所というのは、外部の意見を一切聞きません。例えば裁判所に電話しても決して判事には取り次ぎませんし、裁判所に行って判事に面会を求めても門前払いされます。裁判所に手紙を書いても読まずに捨てられるでしょう。 「部外者が出来る事といえば、陳情署名を作って集め、裁判所に提出する位ではないでしょうか。」 を実行したとしても、裁判所は受け付けないと思います。行政は陳情を受けますが、司法は陳情を受けません。

becon
質問者

お礼

実は私は今日本国内に住んでいません。なのでできることといえば、ネットか郵便を使うことに限られてきます。そこでこのはがきを送るという案は、大変いいアイデアだと思いました。署名運動を以前やったことがありますが、国外からでは無効かもしれませんし、了解を得るためにご本人と連絡がつけられるかどうかもわかりません。過去に多くの人に支援をしてもらった経験上、風化させずに関心を持っている人がいる、というそれだけのことで本当に何度勇気づけられたことかわかりません。聞くところによると木下さんご一家はまだ広島に来たばかりだそうで親戚やお友達、親身になってくれる人もきっと少ないと思われます。泣き寝入りする被害者を少しでも減らしたい。それが私の願いです。すばらしいアイデアをいただき本当にありがとうございました。ネットを通して広めていきます。

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