• ベストアンサー

日米開戦は回避できたか?

yo-kan-62の回答

  • ベストアンサー
  • yo-kan-62
  • ベストアンサー率18% (18/98)
回答No.1

1:日米戦は回避できたか  時の大統領ルーズベルトは,第一次大戦が始まって以来,イギリスを支援する為,兵器供与の他色んな約束チャーチルとします。  この他の中に,戦闘の直接介入が含まれています。しかしアメリカは,モンロー主義で,直接介入出来ませんでした。それに世論は,戦争を欲していませんでしたし、公約上出来ませんでした。  (武器供与の時点で,アメリカは第二次大戦に参加していましたが,国民には参戦の事は秘密でした)→この間のアフガン支援では,日本も参戦したと言えます。  そこで,アメリカは武力介入をしたいが,誰か攻めて来ないかと観てみれば,日中戦争中の親独日本がいました。  アメリカは蒋介石を援助していましたので,日本を挑発すれば,何とかなるとみて,日本が戦域拡大を図る様に仕組みました。  アメリカとしては,日米戦の一発目は日本からの攻撃で無いと,参戦が難しいので,無理難題とも言える物を突付けました。  こうして,大東亜戦争が始まりました。 歴史的には,第一次大戦が始まっていない場合には,回避の可能性が有るといえます。 それでは、ドイツが戦争を行わない為には,打倒ヒットラーですね。 この場合には,ドイツは戦争をしない可能性が高いですから。 ここまで,遡らないと,歴史上の登場人物では大東亜戦争を回避出来ないと思います。 1940に,ルーズベルトが大統領にならなかったらの場合は,アメリカは親英国ですので,直接ヨーロッパ戦線に派兵したと思うのですが,当時の国民には指示されないので,当選しません。 従って1940以降では,アメリカ大統領は戦争を欲していたので,回避不可です。

yokke-zan
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 >アメリカとしては,日米戦の一発目は日本からの攻撃で無いと,参戦が難しいので,無理難題とも言える物を突付けました。  これってハルノートのことですよね、内容を詳しく知ってたら教えてください。

関連するQ&A

  • 太平洋戦争開戦の真相を教えてください。

    学校では日本軍の真珠湾奇襲が開戦のきっかけとなったと習いますが、奇襲の理由は習いません。 インターネットで調べたところ、ハルノートなるもので日本が追い込まれ、仕方なく開戦したとありました。 実際のところどうなのでしょうか? 太平洋戦争開戦の責任は日米どちらのものですか?

  • あえて、太平洋戦争どうなの?

    日本が真珠湾を攻撃して日米が開戦したのは教科書にも載ってる周知のことですが、 ある本にはアメリカが戦争をしかけたとも過言ではないようなことがかいてありました。 対日石油輸出全面禁止→で、ハルノートで戦争を起こせざるを得ない状況になったと。 色々な意見があると思いますが私は右でないのであしからず。

  • 対米開戦はなぜ避けられなかったのか?

     近・現代史にお詳しい方にお尋ねいたします。  なぜ、日本はアメリカを相手に太平洋戦争をしなければならなかったのでしょうか?言い換えれば、当時の日本を支配していた軍部首脳はなぜ、大国アメリカに戦いを挑んだのでしょうか?  数年前に初めてニューヨークを訪れて以来、そのことがわかりません。エンパイアステートビルディングなど、空をも貫くようにそびえ立つ摩天楼の多くは、既に20世紀の初めから建設されていたはずです。あれを見れば、当時の日米の国力の差は歴然としていたはずです。子犬が巨象に挑むがごとく、あのアメリカに正面から戦をしかけるなど、私には全く理解できません。現に、真珠湾攻撃を指揮した連合艦隊司令長官の山本五十六は十分に国力の差を承知していました。「アメリカの国力を知りたいならば、デトロイトの自動車工場を見れば一目でわかる」とまで言っておりました。山本五十六は大正から昭和にかけて何度かアメリカに勤務した経験があったからだとは思いますが。  それとも、当時の軍首脳たちは全くアメリカの国力を分析することなく、戦争になれば元寇のような神風が吹くから必ず勝てる、とでも信じて開戦に踏み切ったのでしょうか。もしそうならば、「彼を知り己を知れば百戦危うからず」という孫子の兵法も知らなかったこととなり、敗戦は当然の結果となりましょう。ちなみに、開戦時の首相東条英機は訪米の経験がなかったようです。たしかに、国連脱退による孤立、ABCD包囲網、アメリカからの石油の禁輸など、日本に対する国際状況は日増しに厳しくなっており、日本としてもやむを得なかったのかもしれません。  しかし相手が資源豊かな大国であることを考えた場合、どう見ても無謀な戦いであったような気がしてなりません。太平洋戦争はどうしても避けられなかったのでしょうか?  ご存知の方は、どうか私の素朴な疑問にお答えくださるようお願い申しあげます。

  • オランダとだけ戦争をすべきだった?

    倉山満氏著書「大間違いの太平洋戦争」の中に「日本はアメリカではなく、オランダとだけ戦争をすべきだった。」とあります。 http://www.amazon.co.jp/dp/4584135878/ref=as_sl_pc_tf_lc?tag=tibiko... この本の中に >日本が対米開戦に踏み切った理由として「石油などの資源確保」があるが、それならばハワイの真珠湾なんか攻撃する必要はなく、油田があるオランダ領インドシナだけ攻めれば良かった。 >これなら米英との戦争を避けられるし、オランダだけに宣戦布告すればいい事になる。 こうした記述でした。 倉山氏によれば、ハルノートを突き付けられても「交渉決裂」を主張して、オランダと交渉をし、恐らくオランダも挑発して来るだろうが、仮にアメリカに石油を禁輸され続けてもオランダと交渉を続け、その後交渉決裂したらオランダに宣戦布告し、オランダ領インドシナなどに侵攻さえすれば石油は確保でき、アジアの外国の植民地が日本に侵略されたとなれば、これではルーズベルトも戦争介入の大義名分が立たず、参戦する事も日米戦になる事も無い。 と言う主張なのですが、本当に当時の日本がオランダにだけ宣戦布告し、オランダとだけ戦争になっても、アメリカが日本に宣戦布告する可能性はないのでしょうか?

  • 太平洋戦争の、開戦時と終戦直前の日米経済格差

     私は経済学部の学生です。 卒論で、『太平洋戦争の、開戦時と終戦直前の日米経済格差』について書こうと思っています。 その当時の日米の、軍需物資生産能力の格差、国家財政規模、農業生産力などなど、経済にかかわる情報を重点的に収集して書きたいと思っています。 何故、こうまで生産力に差が出る結果になったか、その原因・遠因まで知ることができたらもっといいです。 上記のようなことを知るためには、どんな本や番組を見ればよいでしょうか? なるべく見やすく、分かりやすく、それでいて大学の卒論にも使えるようなものがあれば理想的なのですが。 誰か上記のような経済の資料について詳しい方がおられましたら、是非教えてください。 お願いします。

  • 太平洋戦争で日本が得たもの

    太平洋戦争は日本が開戦すべく開戦し、敗戦すべく敗戦したと言えると思います。 確かに、ハルノートは日本が到底受け入れることができなかったというのは分かりますが、 どうせ勝ち目の無い戦争に望まないでハルノートを呑むのも選択肢の一つにはあったと思います。 結局、日本は満州だけでなく、台湾と樺太も失ってしまい、おまけに原爆まで落とされてしまいました。 そこで質問です。日本がアメリカと開戦したのはネガティブな理由であれ、ハルノートを蹴って戦争に踏みきったことには結果的にはどんな意味があったのでしょうか?

  • 戦前の日本政府の禁輸措置に対する認識。

    日本の戦争目的が「自存自衛」って言われる理由として、よく日米開戦時の国内における石油の備蓄は民事・軍事を合わせても半年分しかなく、禁輸措置は日本経済に対し破滅的な影響を与える恐れがあったからだと言われていますが、当時の日本政府全体(政治家や軍人の間)では、こうした認識は共有されていたのでしょうか? また実際にそうした事を裏付ける資料ってありますか?

  • 近衛文麿は何故A級戦犯なの?

    近衛は開戦前に総理を辞めてるし 開戦後も戦争終結を奏上したりと奔走しました。 しかし近衛は戦後A級戦犯にされて自殺しました 近衛に直接の戦争責任は無いはずなのに何故戦犯とされたのでしょうか? 近衛は日米開戦を回避しようと動いていました 確かに軍部から見れば「弱腰」と見られて総辞職させられましたが 国際的に見れば戦争を回避しようとしていたのだから犯罪責任は無いはずなのに…

  • 大東亜戦争が祖国防衛戦争であった理由を教えてください。

    パールハーバーに至るまでの道って、 日中戦争→三国同盟→ →アメリカ、キレる→ABCD包囲網 →日本、困る→インドシナ侵攻 →アメリカ、さらにブチギレ→石油禁輸 →ハルノート って道筋だったと思います。(間違ってたらご指摘ください) んで、ハルノートの条件を飲むのが嫌だった日本はアメリカ相手に一発かまして 譲歩してもらおうと真珠湾攻撃に至ったと思うのですが、それがなぜ祖国防衛のための戦争ということになるのか理屈がわからないのです。 教えてください。

  • 日本の「大東亜戦争」とは世界ではどう考えれている?

    この度は日本の戦争、太平洋戦争に関して質問させて頂いています。 日本は資源が乏しくアメリカからのハル・ノートで開戦に踏み切ったとされていますが、 国内ではアジアの植民地開放を目的とした「大東亜戦争」とも呼ばれています。 アジアは当時欧州諸国の植民地として存在していました。 その中でアジアの開放を目的とする「大東亜戦争」は当時の日本政府・軍部は実際にどのように考えられていたのでしょうか。 また開放され、日本の保護国(植民地?)となった国々はどのように感じていたのでしょうか? 沢山の方のご意見をお聞きしたいので、どのような回答でも構いませんのでご意見をお待ちしております。 どうぞ、よろしくお願い致します。