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語尾の「しね」について
最近、日常生活でもネット上でも 「○○ですしね」「○○だしね」 というように、語尾に「しね」と使っている方を良く見かけるのですが国語的にはどうなのでしょうか。 私的に、聞き苦しいというか道徳的におかしい気がするのです。 私はなるべく使わないように工夫していますが、不快に思う人がいないのであれば、使いやすいので使いたいと思っています。
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こんばんは。 >国語的にはどうなのでしょうか。 「だしね」は、ややくだけた言い回しではありますが、問題があるとまでは、考えたことがなかったです。「ですしね」は、「です」が丁寧な言葉ですから、特に問題ないと思います。 >私的に、聞き苦しいというか道徳的におかしい気がするのです。 お聞き苦しいと言うのは、馴れ馴れしい感じがするからでしょうか?ネットで面識のない相手に対して「~だしね」と言うことに違和感を覚えられるというのは、わからなくありません。 ただ「道徳的におかしい」というのは、どうなんでしょうか?私は、反道徳的な表現とまでは思いません。 >語尾の「しね」について 予断ですがこの場合、”語尾の「~ね」について”と言うほうが自然かなと思いました。 「ですしね」は「です+しね」ではなく、「ですし+ね」です。細かく言えば「です(助動)+し(接助)+ね(感)」と言うことになろうかと思います。
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- mimics
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国語的には、というか言葉として間違ってはいないと思います。 ただ、ニュアンス的に「しね」が「死ね」の響きを持っていてなんとなく 使えない、という意味であれば私もたまにあります。 これは言う側は気になる時もありますが、聞く側はそうでもないと 私は思います(普通の文章として、悪い意味がある訳じゃないですし)
- masasai
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「ですし」だとか「ですしね」という表現が「国語的」に「おかしい」というふうに判断すべきものでは、全然ないというのが、私の理解です。この表現が「おかしい」か「おかしくない」かの判断は、「日本語文法」上の「適切さ」、「不適切さ」からくるものではなく、この表現が用いられる「状況」に依存するものであると考えるからです。 「ですし」とか「ですしね」というは、口語的に語りかける場合に用いる表現です。ですから、論文とか叙述など、厳格に書き言葉での表現が要求される場面では、ふさわしいものではありません。しかし、文章上であっても、その人があたかも話しかけているがごとく、読者に訴えたいという場合には、決して不適切な表現ではないはずです。もちろん、この表現を用いると、そこで表明されている文章は「主観的」な話し言葉としての雰囲気を帯びてしまうために、「客観的」な論述には適しません。それゆえ、論文や新聞報道では使われませんが、エッセーなどでは場合によって用いることは十分可能である、と考えます。
- shihousa
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その前の文にもよると思いますが、やはり大人社会では聞き苦しいと思います。取って付けたような印象です。悪い言い方をすると、頭悪そうです。 saitamasanさんの、便利だから使いたいけど何となくおかしいから使わないようにしているという姿勢が素敵です。きっときちんとした方なんでしょうね。 このイメージは、きっとsaitamasanさんの身近な方々も感じていらっしゃることでしょう。 でもあまり使わない人がごくたまに使うと、かわいいと思いますよ(笑)。