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バブル経済の要因について

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  • 質問No.144023
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お礼率 68% (15/22)

2日後にテストがあります。困ってます。ヒント程度でもいいのでお願いします。
Q.1バブル経済の要因について(400字程度)
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質問者が選んだベストアンサー

  • 回答No.1
レベル10

ベストアンサー率 31% (37/117)

1985年のプラザ合意の後、円高が進みました。そして、それは、輸出産業に打撃を与え円高不況などと呼ばれました。そのため、政府や日本銀行は公定歩合を下げて景気を上げようとしました。そのため、銀行は金余りになりました。そのため、あまった金を不動産などの産業に周り、それが土地の高騰を招きました。
 そして、そのころ世の中は財テクブームで御金が株式市場に流れて、それが日経平均株価の上昇を招いたのです。
 企業は、資金調達を銀行ではなく、株式市場からするようになりました。そうすると貸出し残高の競争をしている銀行は貸出し競争に励み、それが、後に不良債権を生む要因になったのです。
 又、政府もバブル退治のため、公定歩合を上げようとしましたが、自民党などの圧力で上げられずそれが、バブルを長引かせる要因にもなったのです。
 官僚、政治、銀行を中心をした複合的要因によりバブルとなってしまったのです。

 こんなんで、どうですか?
 
お礼コメント
1025

お礼率 68% (15/22)

ありがとうございました。あと、プラザ合意とかそのころの海外との関係についても気になるんですが、知っていればお願いします。
投稿日時 - 2001-10-01 17:18:52
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その他の回答 (全2件)

  • 回答No.2
レベル10

ベストアンサー率 31% (37/117)

 プラザ合意とは、簡単に言うと金融関係者の話し合いです。そのころ、日本のエレクトロニクスや半導体などが世界を席捲したため、それをなんとかしようという話し合いの場でした。  なぜ、円高誘導を打ち出したか?というと、そのころアメリカは国債の利率が非常に高かったのです。だから、投機マネーがアメリカに行ったのです。  だから、みんなドルを欲しがった。すると、円安ドル高になりますね。それをアメリカ政府はなんとか ...続きを読む
 プラザ合意とは、簡単に言うと金融関係者の話し合いです。そのころ、日本のエレクトロニクスや半導体などが世界を席捲したため、それをなんとかしようという話し合いの場でした。
 なぜ、円高誘導を打ち出したか?というと、そのころアメリカは国債の利率が非常に高かったのです。だから、投機マネーがアメリカに行ったのです。
 だから、みんなドルを欲しがった。すると、円安ドル高になりますね。それをアメリカ政府はなんとかしようと思い為替を円高誘導しようとしたのです。それがプラザ合意です。
 そのころは、日本脅威論とかあって日本が世界を席捲した時代です。また、ドイツ、日本世界経済機関車論とかあって、この2国が世界経済の牽引役となるだろう、なんて考えもあって日本の絶頂期でした。
 1980年ごろ、エズラ・ボーゲルという人が書いた「ジャパン・アズ・ナンバーワン」なる本もアメリカでヒットして、日本人も調子にのってしまった時代でしたね。
 貿易摩擦も表面化してて、日本が世界から貿易的に脅威に思われた時代でした。
 今じゃ、その影もなし・・・

こんなんで、回答になりますか?


  • 回答No.3
レベル7

ベストアンサー率 28% (2/7)

私はテストでこう書きました。400字以上なので自分でまとめてみてください。 バブル発生の諸要因は1、プラザ合意とブラックマンデー           2、日銀、大蔵による金融緩和政策(低金利政策)           3、金融自由化と国際化(大企業の銀行離れ、銀行の収益悪            化、金利選好意識の高まり)  1984年5月の金融自由化、金融国際化宣言を契機に始動してきた金融自由 ...続きを読む
私はテストでこう書きました。400字以上なので自分でまとめてみてください。

バブル発生の諸要因は1、プラザ合意とブラックマンデー
          2、日銀、大蔵による金融緩和政策(低金利政策)
          3、金融自由化と国際化(大企業の銀行離れ、銀行の収益悪            化、金利選好意識の高まり) 
1984年5月の金融自由化、金融国際化宣言を契機に始動してきた金融自由化の流れの中で、大企業が国際的なマーケットで資金調達できるようになったことから、大企業の銀行離れが起こり、銀行の収益は悪化していった。
首都圏では、住友を迎え撃つ都銀も自由化の生き残りのため、猛烈な反撃に出た。これが首都圏や関西圏を舞台にしたバブル膨張の原因となった。
また、バブルには住友の他にも官僚や金融当局が少なからず関与していた。バブルは日銀のルーズなマネーサプライ管理がない限り発生しなかったが、その背後で事実上、力を使っていたのは大蔵官僚だったからである。
1985年9月22日のプラザ合意を契機に円は上昇し続け、1987年2月には日銀が公定歩合を最低水準の年2.5%に引き下げた。こうした超金融緩和のもとで景気は拡大起動に入った。同年10月にブラックマンデーで株価は急落したが、その後、上昇相場に戻り、株価と地価は天井知らずの急騰をみせ、資産インフレが発生した。ところが、日本経済には資産インフレについて明確な認識をもつプロがいなかった。こうして、1987年5月まで日銀は2.5%となった公定歩合を引き上げることができず、結果としてバブル創出の火付け役となってしまったのである。

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