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これからの時代にあるべき父親の姿について教えてください。

sakikumoの回答

  • sakikumo
  • ベストアンサー率26% (36/138)
回答No.1

すごく難しいのですが、まず安易な結論から。 強者、弱者の関係がある「父」ではなく、 「人」としての尊敬を勝ち得、 多くのコミュニケーションの中で、 後ろ姿と共に、横姿、前姿を見せる。 ということに尽きるのではないでしょうか。 日本の父親、全員が危うい存在というのが私見です。 今現在、小さい(bombさんはわかりませんが)子供を 持っている父親は、ある意味歴史のはざかいきですからキツイですねえ。 まず、「どの様に教えていけば」についてですが、 教えるという前提が確立できている家庭は決して多くありません。 算数を教えるんじゃないですから。(一般的にです) 私はbombさんがおっしゃる事象以前に、 「父権」ですとか一昔前の「家族」という関係が崩壊していると思っています。 多くの家庭において「父親の座」はただの習慣的事実であり、 現実に即した「本来の居場所」ではありません。 過去、農耕や狩猟を糧としていたとき、家長の存在とその決定事項は、 家族の存続さえ左右するほどの重要な問題であり、 これは日本では「男がメイン」の仕事でした。 そして、それに相応しい「場所」が家の中に存在したのです。 「応接セット」はそれに関わる名残ですが、 上記のような重要要件のお客様は、2001年に何回来訪したでしょう。 ちなみに我が家は0件です。 現在の我々父親は、「金を持ってくる」だけでは前述の「尊敬」は勝ち得ません。 「オレは会社で偉い、だから大変」といっても、 尊敬ではなく、同情されるのがオチです。 そして、子供も奥さんも自然に尊敬できる人を尊敬し、 その人から物事を教えてもらう気になるもののです。 わけがわかんなくなっちゃうと、「オレは偉い」とか言っちゃう人がいて、 これは開き直ったとき脅迫(食わせてやってる)ですからカッコ悪い。 永遠に尊敬されず、ましてや「教える」ことなどはできません。 現代の父親は、家族ひとり一人が、家庭以外の外部の世界と つながっていることを、まるごとすべて認識し、容認した上で、 「あらためて、まるごと愛す」ことが必須という時代だと私は思っています。 「教える」ということの前提として ある意味でテクニックの問題になってしまいますが、 この前提がないと「日本人であることの…」も、 「アイデンティティーはなぜ大切…」かも、 「美味しいたこ焼きの作り方」も伝授できません。 継続することで、「尊敬」が勝ち得、PAPAの言葉が 家庭のコンセプトになってきます。 テクニック(私の成功例) ・お仕事の領域を生かした家族サービス ・ママより美味しいお料理を作ってみよう。 ・子供が作っているプラモデルに相応しいジオラマを作る。 ・お金のムダづかいを見せずに、ユーフォーキャッチャーでGETしよう。 ・運転中に交通道徳を教えつつ、たまにはレースしよう。 ・周りの注目が恥ずかしいことを、お父さん主導でやろう!(絶対) ・(ダミーで)株を買わせよう。(損益は還元) ・自然に親しもう。(完璧、男が主役) ・勉強させよう、何でも良いから「父」から情報をあげよう。 (まずはくそ勉強(足し算とか)。あとは特化した子供が興味あることを噛み砕いてそこらの大人程度に!!。  あとが大事で、興味は無限に広がりますが、親は大変っす。ちなみに、ウチの子はビッグバンとDNA、世界の建築(イイな~、欲しい、だけですが)が好きです。 DNAの理解度について(言葉、そのまま)(sexはまったく未知) パパと、ママのDNAで、私はできてる。デオキシリボ核酸でトシシンと、グアニンとえーアミンだっけ、ねじれた梯子でえ……、おっちょちょいはママ、くさいのはパパ。papa困ってるでしょ。 株よ!!セレラジェノミックス、 株の話してばかりなんだから、覚えちゃうでしょぁ(*_*) コツ:会話にガキを混ぜる。 決して家族こびるのではなく、「パパすごい!」と言わせたら勝ち!! 以降、あなたも「教えられ」ます。 ※リクエストありましたなら他の実践例も公開します!

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