Full_Energy の回答履歴

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  • なぜ日本には、18歳以上サイトがこんなにあるのですか。

    なぜ日本には、18歳以上サイトがこんなにあるのですか。 検索して、探しているつもりはないけど偶然にそのようなサイトを開いてしまいます。 私が思ったのは、 1.閉鎖的だから? 2.気候のせいか? 3.歴史的に何かあるかのか? 4.宗教は関係があるか? 5.豊かだからか? 6.日本語で検索しているから? です。 個人的にはよくないと思います。 偶然、検索して出るならもっと芸術性のあるものが出てほしいなあと思います。 かなり難しい質問だと思いますが、 18歳以上サイトがこんなにあるのはなぜですか??

  • 今、「私」がしているこの質問はどこから現れたのでしょうか。変な問いです

    今、「私」がしているこの質問はどこから現れたのでしょうか。変な問いですね。 私の頭の中から現れたというのは間違いです。さて、どこから現れたのでしょうか。 本当の自分は何かということで悩んでいる方をみます。そして、二元論での回答が多いことに驚きました。 私たちの本性は、外面でもなく内面でもない。時間も空間も超えています。それは私たちの傍に常にあった。私たちは、生まれるたこともなく死んだこともなかった。「自分」というものがあると思っていることが間違いです。私たちの本性は、実在でも、非実在でもありません。時間も空間も存在しません。心も存在しません。魂も存在しません。「色即是空」もありません。「絶対」もありません。「空」もありません。それらは、自我が創り出した幻想です。自我自体も幻想です。自我はどこから来たのでしょうか。 言葉で考えているものは、すべて幻想となります。言葉を観念を離れてください。ありのままをみてください。「色即是空」、「空」を観念でとらえてはいけません。 外の問いを出してみますね。 質問1「一羽のカラスが鳴きながら飛んでいきました。その鳴き声はどこから現れたのでしょう。そしてどこに消えたのか。」 質問2「両手を叩くとパンと音がするでは片手の音はどんな音か。」(禅の公案) 二元論だと答えがでないでしょう。 もし、分る方は回答してみてください。でも、回答した瞬間に間違いとなりますよ。 私は誰か。これを見ているのは誰か。これを聞いているのは誰か。と常に問うてみてください。 私は誰か。この問いは、どこから現れますか。そしてどこに消えますか。 私・・・は・・・誰か・・・。どこから現れますか。 私は誰か。という問い自体には意味はありませんよ。 さて、今、「私」がしているこの質問はどこから現れたのでしょうか。

  • 今、「私」がしているこの質問はどこから現れたのでしょうか。変な問いです

    今、「私」がしているこの質問はどこから現れたのでしょうか。変な問いですね。 私の頭の中から現れたというのは間違いです。さて、どこから現れたのでしょうか。 本当の自分は何かということで悩んでいる方をみます。そして、二元論での回答が多いことに驚きました。 私たちの本性は、外面でもなく内面でもない。時間も空間も超えています。それは私たちの傍に常にあった。私たちは、生まれるたこともなく死んだこともなかった。「自分」というものがあると思っていることが間違いです。私たちの本性は、実在でも、非実在でもありません。時間も空間も存在しません。心も存在しません。魂も存在しません。「色即是空」もありません。「絶対」もありません。「空」もありません。それらは、自我が創り出した幻想です。自我自体も幻想です。自我はどこから来たのでしょうか。 言葉で考えているものは、すべて幻想となります。言葉を観念を離れてください。ありのままをみてください。「色即是空」、「空」を観念でとらえてはいけません。 外の問いを出してみますね。 質問1「一羽のカラスが鳴きながら飛んでいきました。その鳴き声はどこから現れたのでしょう。そしてどこに消えたのか。」 質問2「両手を叩くとパンと音がするでは片手の音はどんな音か。」(禅の公案) 二元論だと答えがでないでしょう。 もし、分る方は回答してみてください。でも、回答した瞬間に間違いとなりますよ。 私は誰か。これを見ているのは誰か。これを聞いているのは誰か。と常に問うてみてください。 私は誰か。この問いは、どこから現れますか。そしてどこに消えますか。 私・・・は・・・誰か・・・。どこから現れますか。 私は誰か。という問い自体には意味はありませんよ。 さて、今、「私」がしているこの質問はどこから現れたのでしょうか。

  • 充実している人と虚脱している人

    充実している人と虚脱している人 人生に山谷があり、感情にも夏冬があるように、人はあるとき人生が充実していると実感し、またあるとき虚脱感とそれを追いかける焦燥感に駆られることがあります。 哲学のカテゴリでご活躍される方々の「充実感を感じる時」「虚脱感を感じる時」をお聞かせ願いませんか? もちろん、知りたいのは、充実感の原因は何か、虚脱感の原因は何か、ということですが、充実感に関しては長期間維持の秘訣、また虚脱感に関しては早期脱皮の秘訣があればそちらもご紹介ください。

  • 充実している人と虚脱している人

    充実している人と虚脱している人 人生に山谷があり、感情にも夏冬があるように、人はあるとき人生が充実していると実感し、またあるとき虚脱感とそれを追いかける焦燥感に駆られることがあります。 哲学のカテゴリでご活躍される方々の「充実感を感じる時」「虚脱感を感じる時」をお聞かせ願いませんか? もちろん、知りたいのは、充実感の原因は何か、虚脱感の原因は何か、ということですが、充実感に関しては長期間維持の秘訣、また虚脱感に関しては早期脱皮の秘訣があればそちらもご紹介ください。

  • 充実している人と虚脱している人

    充実している人と虚脱している人 人生に山谷があり、感情にも夏冬があるように、人はあるとき人生が充実していると実感し、またあるとき虚脱感とそれを追いかける焦燥感に駆られることがあります。 哲学のカテゴリでご活躍される方々の「充実感を感じる時」「虚脱感を感じる時」をお聞かせ願いませんか? もちろん、知りたいのは、充実感の原因は何か、虚脱感の原因は何か、ということですが、充実感に関しては長期間維持の秘訣、また虚脱感に関しては早期脱皮の秘訣があればそちらもご紹介ください。

  • >世の中一番怖いのは無視されることだ。

    >世の中一番怖いのは無視されることだ。 年々歳々この命題が質量増大しているような気がします! 若いころは、世の中から必要とされなくなることが怖いことだと思っていたんですがね、最近、少し成長して、本当は無視さえされなければ必要とされなくても良いことが理解できるようになりました。 世の中を見てみると、この二つが峻別できずに、無視されなければよいだけなのに「必要とされている」はずと自分自身をも騙し、爺になっても会社の役職などに執着している見苦しい御仁がいらっしゃるな。迷惑だね。 どうやっても必要とされず、同時に無視されていると感じてしまった可哀そうな人がいて、その人は秋葉原で無差別殺人することで、「無視される状況」から脱出しようとしたんじゃないかな。その人もこのサイトを見つけて、言いたいことを発言しておれば、お慈悲を持って回答を寄せてくれる方もおるでしょうから、無差別殺人などしなくても済んだのにねぇ。 ゲマインシャフト、つまり共同社会が機能していた時代には、息子夫婦と同居して、孫もいて、地域にはガキの時代から知っている親友、悪友がいて、自分よりも年上の菩提寺の住職は自分が子供の頃の話を聞かせてくれたりして、とにかく、社会から無視されているという事実と直面することはあまりなかった。ところが、ゲマインシャフトが崩壊して、人生の一時期だけ強く関与するゲゼルシャフトに全身全霊をささげてしまった爺は(その点、婆はまだ良い)、退職、引退を機に、一切のしがらみから解放されると同時に宇宙の孤独を感じざるを得ない状況におちいる。 人類の福祉を考える時、人の半分は爺になり、残りの半分は婆になるわけですから、この人たちが「無視されていない」という感覚を持ち続けることが一番重要なのかもしれない。 昨今の様にコンピューターアプリケーションが進歩してくると、くだらない質問にはくだらない回答を寄せ、まともな質問にはまともな回答を返すコンピュータアプリケーションも作れるようになるのではないかね。国が税金で大規模なコンピューターシステムを構築して、現実の社会から無視されている爺たち、婆たちの質問を受け付け、無人で適当な回答を返すしくみですね。このコンピューターアプリケーションにはある判定ロジックが組み込んであり、そのロジックが反応した場合だけは有人回答ルートに回るようにしてある。ロジックにより、プログラム回答では不十分と判断されるような質問を選ぶわけだな。 暇を持て余すと同時に、誰も話を聞いてくれない世の爺たちは一所懸命に質問を投稿し、返ってきた回答がプログラムによる自動回答か有人回答かに対して一喜一憂することになる。つまり、このシステムの利用初期の段階では、プログラム回答を得た場合よりも、有人回答を得た場合に「無視されていない」と感じている訳だね。 ところがコンピューターアプリケーションにも学習の機能が付いており、初期には有人回答に回さねばならなかったような質問も段々とプログラム対応可能となってくる。そのうち、100回ぐらい質問してもすべてコンピューター回答であしらわれる人も出てくるでしょうね。それが普通になる。 その頃になると、回答がプログラム回答か、慈悲を持った人による有人回答かは判別困難になり、また問題じゃなくなる。結果、コンピューターに向かって質問を投稿し、プログラムによって生成された回答を読むことで、孤独を癒し「無視されてはおらんのじゃ」という麗しき誤解をもちつつ、死を待つ老人たちで一杯になるでしょう? 世の中が豊かになり、老人福祉で食う、寝る、や、医療が満たされるようになると、最後に「老人の相手をする」という福祉サービスが残る。これが実は労働集約的で手間暇かかるので、コストも一番懸かるでしょうね。やりたい人も少ないかもしれません。ですから、上記のコンピューターシステムに1000億円ぐらい掛けても国としては費用対効果が高い。 このような世の中がくるのでしょうかね。

  • >世の中一番怖いのは無視されることだ。

    >世の中一番怖いのは無視されることだ。 年々歳々この命題が質量増大しているような気がします! 若いころは、世の中から必要とされなくなることが怖いことだと思っていたんですがね、最近、少し成長して、本当は無視さえされなければ必要とされなくても良いことが理解できるようになりました。 世の中を見てみると、この二つが峻別できずに、無視されなければよいだけなのに「必要とされている」はずと自分自身をも騙し、爺になっても会社の役職などに執着している見苦しい御仁がいらっしゃるな。迷惑だね。 どうやっても必要とされず、同時に無視されていると感じてしまった可哀そうな人がいて、その人は秋葉原で無差別殺人することで、「無視される状況」から脱出しようとしたんじゃないかな。その人もこのサイトを見つけて、言いたいことを発言しておれば、お慈悲を持って回答を寄せてくれる方もおるでしょうから、無差別殺人などしなくても済んだのにねぇ。 ゲマインシャフト、つまり共同社会が機能していた時代には、息子夫婦と同居して、孫もいて、地域にはガキの時代から知っている親友、悪友がいて、自分よりも年上の菩提寺の住職は自分が子供の頃の話を聞かせてくれたりして、とにかく、社会から無視されているという事実と直面することはあまりなかった。ところが、ゲマインシャフトが崩壊して、人生の一時期だけ強く関与するゲゼルシャフトに全身全霊をささげてしまった爺は(その点、婆はまだ良い)、退職、引退を機に、一切のしがらみから解放されると同時に宇宙の孤独を感じざるを得ない状況におちいる。 人類の福祉を考える時、人の半分は爺になり、残りの半分は婆になるわけですから、この人たちが「無視されていない」という感覚を持ち続けることが一番重要なのかもしれない。 昨今の様にコンピューターアプリケーションが進歩してくると、くだらない質問にはくだらない回答を寄せ、まともな質問にはまともな回答を返すコンピュータアプリケーションも作れるようになるのではないかね。国が税金で大規模なコンピューターシステムを構築して、現実の社会から無視されている爺たち、婆たちの質問を受け付け、無人で適当な回答を返すしくみですね。このコンピューターアプリケーションにはある判定ロジックが組み込んであり、そのロジックが反応した場合だけは有人回答ルートに回るようにしてある。ロジックにより、プログラム回答では不十分と判断されるような質問を選ぶわけだな。 暇を持て余すと同時に、誰も話を聞いてくれない世の爺たちは一所懸命に質問を投稿し、返ってきた回答がプログラムによる自動回答か有人回答かに対して一喜一憂することになる。つまり、このシステムの利用初期の段階では、プログラム回答を得た場合よりも、有人回答を得た場合に「無視されていない」と感じている訳だね。 ところがコンピューターアプリケーションにも学習の機能が付いており、初期には有人回答に回さねばならなかったような質問も段々とプログラム対応可能となってくる。そのうち、100回ぐらい質問してもすべてコンピューター回答であしらわれる人も出てくるでしょうね。それが普通になる。 その頃になると、回答がプログラム回答か、慈悲を持った人による有人回答かは判別困難になり、また問題じゃなくなる。結果、コンピューターに向かって質問を投稿し、プログラムによって生成された回答を読むことで、孤独を癒し「無視されてはおらんのじゃ」という麗しき誤解をもちつつ、死を待つ老人たちで一杯になるでしょう? 世の中が豊かになり、老人福祉で食う、寝る、や、医療が満たされるようになると、最後に「老人の相手をする」という福祉サービスが残る。これが実は労働集約的で手間暇かかるので、コストも一番懸かるでしょうね。やりたい人も少ないかもしれません。ですから、上記のコンピューターシステムに1000億円ぐらい掛けても国としては費用対効果が高い。 このような世の中がくるのでしょうかね。

  • すでに神の正体はわかっているのではないのか?

    すでに神の正体はわかっているのではないのか? 昔、ある短編小説で神の正体を知るために、全世界のあらゆる神についての 情報をコンピューターにいれて、神というのは一体何なのか、ということを 解読するというのがありました。 僕が思うに、これは情報量が相当多いでしょうから、その作業が大変にしても もしかしたら、本当にある程度は、神の正体がわかるのではないかと考えています。 もちろん100%神はこうだというのは、わからないかもしれませんが、 神というのはこの可能性が高い。というのは推測できるのではないでしょうか。 と、いうよりも、もうそれを実行した人、組織、政府があるのではないかとも思っています。 ただ、それを公表するとたいへんなことになる可能性があります。 神がいても、いなくても、神がどんなものであっても大騒ぎになるでしょう。 それで極秘に解読し、その結果を隠蔽している可能性はありませんか? 陰謀、隠蔽といえばアメリカあたりがクサイと僕はにらんでいるのですが。 ちなみに、映画「インデペンデンスディ」で有名になったアメリカ・ネバダ州にある エリア51は、墜落したUFOを回収し、その研究をしているそうです。 その基地内では宇宙人もいるのに、アメリカ政府は隠蔽しているという、うわさです。

  • 成仏

    成仏 手の平に乗るような小さい頃から我が家にきて、一人息子の友達としてイヌとともに一緒に過ごしてきた「にゃんち」でしたが昨年の8月16日午前0時10分に亡くなりました。11歳でした。 私が虐待して殺しました。理由は社会的な孤立や経済的不安という些細なことでした。 それはさて置き、最近は碌な事が無いのだが、これは恐らく「にゃんち」の祟りと思われます。 そこで「にゃんち」に成仏して貰う術をご教示頂きたく質問しました。 何卒、宜しゅうお頼ん申します。

  • 命について作文を書くことになりました

    命について作文を書くことになりました どういう風に書けばいいと思いますか 命についての考え方を教えてください 僕的には保健所の犬とか口蹄疫とかを例に出して書いたら いいのができるかなと思っています お願いします

  • 仏弟子の修行と研究は楽を欲す故の怠慢ばかりが目立つ。

    仏弟子の修行と研究は楽を欲す故の怠慢ばかりが目立つ。 http://okwave.jp/qa/q5964141.html これに続きます。 哲学の多数派より胸糞悪い回答を得たので早々に締めましたが、気を改めて再投稿です。 お釈迦様の生きた時代とは、農耕が勃興し文明が開花しつつある時代です。 その時代に置いて生きる事すなわち耕す事とは、来年のために種を残すこと。 すなわち、自らが生きるために自然界と共生する事です。 無を離れ愛の感想を述べましょう。 地を耕し命をはぐくむことは、自らが生きるために他者おも生かす事です。収穫は共同体の中で平等に分配され、翌年を種がまかれ命をはぐくむための共生が行われます。 たったこれだけ。 ところが現代でも異論が挟まります。 利己心のみで、ただむさぼりたいだけ、地を耕すのだ。 そのようにいかさまを働いたのがお釈迦様の生きた時代のバラモン(聖職者であり内情は単なる寄生虫)の教えであり、お釈迦様は無の観想のみでそれに対抗し「そんなもんありゃしねー」と、吹っ飛ばしたのです。 それが無の観想です。 あえて言いましょう。 「そんなのかんけーねー」と、裸をどりをするお笑い芸人の姿がお釈迦様です。 なのに、そんな「無」の観想を回避して仏弟子を気取る畜生が現代の信仰をいまだに支えています。 観念研究とは、宗教的(仏教による)束縛を離れて、純粋な哲学としておこなってこそ成果がある事柄であり脈々と受け継がれる仏教の教えは初源の無の悟りから離れるばかりです。 人間として仏弟子を全うするには「無」を理解する事が避けがたいのです。 以上が哲学的たたき台です。 質問する場なのでそれなりの事を問うとしたら、信仰の内側から無に至ることは不可能ではないか? 故に極楽往生の研究のみが目立つ。このような意見に本当にそうですか?と言う質問です。 よろしくお願いします。

  • 浮気、不倫は、厳罰に処したほうがよいのではないのか?

    浮気、不倫は、厳罰に処したほうがよいのではないのか? 浮気や不倫により家庭崩壊になった人も多いであろう。 ここのサイトでも、そういう相談が数多くある。 社会の秩序、人間の幸せを考えるのであれば、浮気や不倫はなくなった ほうがよいのではないか? それとも、浮気や不倫は必要悪のように必要なものなのか? 戦前、姦通罪というものがあった。 女の不倫を取り締まるもので、不倫をした女性、およびその相手の男を、 刑事罰で罰するというものであった。 これが戦後、廃止になった。 その理由として、「男の浮気は罰されず、女の不倫は罰する」という のは、男女平等に反する。ということのようである。 では、それなら浮気する男も、不倫をする女も、平等に罰する法律を つくればどうか。 しかし、当時の国会議員の多くは愛人を持っていたので、この法案は 可決されなかったらしい。 法律とは時の権力者がつくるものなので、いいかげんな面も多い。 そこでもう一度、姦通罪を復活するべきではないのか?。 当然男女平等に、男の浮気も、女の不倫も、刑事罰でおもたく罰した ほうが、社会の秩序のためにもよいのではないのか? ちなみに僕は、コンビニでアダルトDVDつきのエロ雑誌をよく買う。 その雑誌のタイトルには「人妻の~」のような、人妻をAVに 出演させているものが多い。 僕もたしかに観る事は観るのだが、そういうものは、けしからんと思っている。 当然そういうのも廃止にすべきだろう。

  • もう連絡も取れない人について考えことは無駄か?

    もう連絡も取れない人について考えことは無駄か? カントなら理性の無駄というんですかねぇ

  • もう連絡も取れない人について考えことは無駄か?

    もう連絡も取れない人について考えことは無駄か? カントなら理性の無駄というんですかねぇ

  • 精神に個別性はあるか

    精神に個別性はあるか 昨日の自分と今日の自分が同一人物である証拠は何かと聞かれれば、どんな回答であれ自分の記憶をもとにアイデンティティを証明するしかないと思われます。 逆に、記憶がなければアイデンティティーの証明は無理であるという事になりますが、すると記憶を参照している本体である精神にはアイデンティティーという概念をあてはめることは出来ないのではないでしょうか。 もっと言えば精神に「私」という個別性はないといえないでしょうか。

  • 精神に個別性はあるか

    精神に個別性はあるか 昨日の自分と今日の自分が同一人物である証拠は何かと聞かれれば、どんな回答であれ自分の記憶をもとにアイデンティティを証明するしかないと思われます。 逆に、記憶がなければアイデンティティーの証明は無理であるという事になりますが、すると記憶を参照している本体である精神にはアイデンティティーという概念をあてはめることは出来ないのではないでしょうか。 もっと言えば精神に「私」という個別性はないといえないでしょうか。

  • 励ます四字熟語、フレーズありませんか?

    励ます四字熟語、フレーズありませんか? 「前向きになれ」や「ポジティブになれ」、という意味のもの もしくは、1人で寂しい思いをしている人に送るような 四字熟語なり、短いフレーズ(名言や名ゼリフ)はありませんか? 色紙に書いて、友人にあげようと思ってます。

  • 精神に個別性はあるか

    精神に個別性はあるか 昨日の自分と今日の自分が同一人物である証拠は何かと聞かれれば、どんな回答であれ自分の記憶をもとにアイデンティティを証明するしかないと思われます。 逆に、記憶がなければアイデンティティーの証明は無理であるという事になりますが、すると記憶を参照している本体である精神にはアイデンティティーという概念をあてはめることは出来ないのではないでしょうか。 もっと言えば精神に「私」という個別性はないといえないでしょうか。

  • もう連絡も取れない人について考えことは無駄か?

    もう連絡も取れない人について考えことは無駄か? カントなら理性の無駄というんですかねぇ