• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:後に糧となった若い頃の苦労・挫折)

後に糧となった若い頃の苦労・挫折

noname#229162の回答

noname#229162
noname#229162
回答No.14

あ、あっ ダメだーっ。我慢できない。 自分のお礼が終わらないうちに、他の回答を書く・・これは人の道に反すると知りつつ冥府魔道を歩んでしまう私であった。 あれは、19歳の誕生日を迎えた頃の大学一年生の秋。近所の短大の女子学生とともに私はフォークダンスサークルですごしました。 N子ちゃんというやや間隔の離れた双眸、黒目勝ちの瞳の彼女はちょっとエキゾチックで、田舎育ちの私には仙台のミッシェルファイファーに見えました。 昔、図書室で読んだ湯川秀樹の伝記にあった奥さんとのなれそめのシーンを思い出し、私はひたすらナオコちゃんに将来の夢を語りました。湯川秀樹の奥さんは私の理想の夫人像でした。https://plaza.rakuten.co.jp/masatoshiohara/diary/200605150000/ 湯川秀樹の中間子理論よりわかりやすい口調で丁寧に自分が建築学会賞を目指していること、代々木の体育館、桜台コートヴィレッジが夕陽に映える光景について熱っぽく語りました。 彼女があくびを我慢しきれなくなったころに一通の手紙が届きました。 「ごめんなさい。私好きな人がいます。その人とはまだおつきあいをしていませんが・・」 40年たった今も私の心の友である不良同級生のHが 「お前、女は頃合いを見て押し倒さなくちゃだめなんだぞ」 と教えてくれて、その後私は、部屋をキレイに片づけ、サイホンで珈琲をいれてサイモンとガーファンクルを流して、失敗の末にあんまり好きでない女の子をやっと押したおすに至りました。 その後も、どうしたら簡単に意中の子を彼女にできるかということに腐心した私は、失恋した女性を慰める才能が自分にあることに気が付きました。isoken師匠に言わせたらそういう二流の技は使ってはいけないということなのでしょうが、手負いの獲物のほうが私には楽でした。 20歳前後の恋愛で、場数を踏んで辛酸をなめた経験が、厚顔無恥な精神と、ナンパの恥はかき捨てという鉄則を感得するにいたりました。その後も、美人とブサイクなら美人のほうが落としやすいとかいろいろわかってきたのですが、それはまたの機会に。 45歳で離婚した私にとって20代前半の苦労は、大きな糧になっていました。 すでに、自分はどういうタイプの女性にウケ、どういうタイプから疎んじられるかわかっていました。再婚までの4年間は、私の人生の中で最も華やいだ時間となりました。 あれ?学生時代モテなかったチビが急にモテるようになるなんて変だぞ。とおっしゃらないで、都会の水で顔をあらってお洒落とバーやレストランという舞台装置があれば女心を酔わせることはさほど難しいことではありませんでした。 青春時代の苦悩があったればこそ、花の独身中年時代があったのだと思います。遅く来た青春ですが実に楽しかったです。

isoken
質問者

お礼

ex さん おはようございます、朝晩めっきりと寒くなりましたが、どうお過ごしでしょうか? お礼が遅くなりまして申し訳ありません。 >あれは、19歳の誕生日を迎えた頃の大学一年生の秋。近所の短大の女子学生とともに私はフォークダンスサークルですごしました。 10代の頃の記憶というものは鮮烈です、加速度を増して感激というものが失われて行き、且つ昨晩食べたものを忘れる年齢になっても、その種の思い出は記憶の襞に焼き付いて離れない、特に女の子が絡むと余計にそうですね。 若い頃の思い出というものは多ければ多いほどいい、それが失恋であれ何であれそうでしょう、・・そう達観出来るようになった頃にはもう遅いのですが、妙に白け背中を向けないで、青春の渦中には身を置いておくべきだろうと思うのです、私のように先に行って後悔しない為にも・・。 フォークダンスは中学時代が最後ですが、秘かに好きだったあの子が近付いて来た時のときめきは、そして1つ前で音楽が鳴り止んだ時の落胆と怒りも含めて、今も忘れられません。 >N子ちゃんというやや間隔の離れた双眸、黒目勝ちの瞳の彼女はちょっとエキゾチックで、田舎育ちの私には仙台のミッシェルファイファーに見えました。 『 スカー・フェイス 』 での ミッシェル・ファイファー は強烈でしたねぇ、トッポくていい女というのは実に魅力的です、但し火傷をする事を考えればちょっと手を出し難いのもそうでしょう。 さて伊達62万石のお膝元 仙台は無論そうですが、他にも九州に於ける福岡・博多、北海道に於ける札幌を例に挙げるまでもなく、地方の中心都市というものは、その地方 数県の エッセンス を吸引しミキサーにかけて、実に個性的な文化圏を作り上げているように思えるのです。 他方大学ともなれば、日本国中から若者が集う事となる、それにしても女の子のお国訛りとは何ていいものだろう・・、テレビから流れて来るイントネーションを聞くのみの環境に育った私には、長らくそう思えてなりませんでした。 >彼女があくびを我慢しきれなくなったころに一通の手紙が届きました。 >「ごめんなさい。私好きな人がいます。その人とはまだおつきあいをしていませんが・・」 これが怖い・・、ストリート・ナンパは屁とも思わなかった私ですが、反面・・居住区周辺での恋愛には極端に憶病でした、石橋を叩いて尚渡らない・・そんな感じ。 依って或る一定の年齢以降、恋愛相手の殆ど全ては外部から調達する事となる、きっと破綻後の住み心地の悪さを恐れていたんでしょう、極端な話私の場合、周囲の女の子を口説くより外人をナンパする方がよっぽど楽なんです、緊張感ゼロ。 因みに大学の時、クラスで唯一仲が良かった女の子がいました、私共の 2 ~ 3 年先輩に当り ミス・キャンパス だった 名取裕子 さんに決して劣らない美形で、俗に言う 秋田美人 の存在を、世に担保させるかのような コーカサス系の美人でありまして、クラスコンパで意気投合して以降、講義はいつも隣の席、二人でお茶を・お酒を・・そんな仲でした。 噂とはいつの時代もいい加減なもので、周辺では二人は付き合っている事になっていたようです、ところがその実 指一本触れた事が無い、正直言うとその時の幸福感が壊れてしまう可能性が怖かったのでしょう、ただまあ恋愛とSEXのお相手がいないのは困る、だから外では派手なナンパを繰り返す・・とまあこうなってしまう訳です。 しょうもない事を覚えているものですが、当時彼女は杉並区 方南町のアパートに住んでおりましてね、何度か行った事があるのです、その時押し倒せばその後の関係は一体どうなったか、もっとも神のみぞ知る・・でしょうが。 自然界に生息する小動物のような用心深さを以ってしても、また如何なる ペシミスト が彼女の挙動を悲観的に検証しても、私からのアプローチを待っているように思えました、口に出かけた事は何度もある、それでも遂に付き合ってくれとは言えなかった4年間・・、きっと縁が無かったのでしょう、無論それっきりです。 >40年たった今も私の心の友である不良同級生のHが 「お前、女は頃合いを見て押し倒さなくちゃだめなんだぞ」 と教えてくれて、その後私は、部屋をキレイに片づけ、サイホンで珈琲をいれてサイモンとガーファンクルを流して、失敗の末にあんまり好きでない女の子をやっと押したおすに至りました。 目に見えるようですが、そういう小細工を弄するのはオスに共通する繊細さでしょうかねぇ、この一文を読んで うんうん ・・と頷く男性は少なくないと思います、バック・ミュージックに気を遣ったのはその通りですし。 >その後も、どうしたら簡単に意中の子を彼女にできるかということに腐心した私は、失恋した女性を慰める才能が自分にあることに気が付きました。 待ちの恋愛というのは簡単です・・言うなれば女性型でしょうかね、振られた経験が無いと公言するのはこういうタイプ、傷付くリスクも少ないでしょう、きっと。 ただどうなんだろう、得た成果への喜びというものが、仮に苦労に比例するものだとすれば、穴を掘り獲物を待つ迂遠さよりも、ハンティングで仕留めた快感の方が数倍するのではないでしょうか。 それはともかくとして、杜の都の名門大学を出て一流企業に身を置かれた ex さんならば、言い寄って来る相手のパンチを待ってカウンターを放つのが恐らく正攻法、ところがその実 自分から仕掛ける、それも手数の多いファイターであられる、私が ex さん に敬意を表する所以は、大変僭越ながらきっとそんなところなんだろうと思うのです。 >isoken師匠に言わせたらそういう二流の技は使ってはいけないということなのでしょうが、手負いの獲物のほうが私には楽でした。 買い被りもいいところ・・胸を張って断言しますが、そんな崇高なポリシーを持つ私ではありません、手負いの小ウサギちゃんを頂いた経験もありです、基本・・目的を達する為には手段を選ばない、勿論手負いだって瀕死だって構やしないのです。 ただですね、私の場合マメさと根気が決定的に欠如しているのでしょう、言い換えれば、いい雰囲気になりあと一歩押せば何とかなりそうな女の子をフォローし続ける粘着力が無い、・・と言う事でその場限り・その日限りの恋愛を繰り返す事となる、大いなる反省材料でありまして。 >20歳前後の恋愛で、場数を踏んで辛酸をなめた経験が、厚顔無恥な精神と、ナンパの恥はかき捨てという鉄則を感得するにいたりました。その後も、美人とブサイクなら美人のほうが落としやすいとかいろいろわかってきたのですが、それはまたの機会に。 苦心惨憺の末に辿り着く摂理というものがあります、美人の方が妙な手練手管が少なく感情の発露がストレート故に落としやすい、・・というのはまさしくその通りでしょう。 反面 美人とのお付き合いには常に緊張感が伴う気はします、今尚秘かに天然物のフグの肝を召し上がる方々に共通した、死と隣り合わせの或る種の快感、この緊張感が堪らないというのは確かにそうなのですが、言い換えれば美人を占有し続ける為に擦り減らす神経は並じゃない、何せ選択肢とライバルが多いですから。 流行やトレンドに全く不勉強では、いつ何時寝首を掻かれるかも知れませんし、お洒落にも気を遣わねばならない、「 女心と秋の空 」 という格言は美人に限定されるべきでしょう。 その点一度そうなっちゃえばおブスちゃんは結構楽 ( 別れたい時は大変ですが ) です、一度喰らい付いたらスッポンのように離れませんし。 飴と鞭に鋭く且つ従順に反応して、甲斐性無しに貢いじゃうのがその手のタイプ、ヒモと仰る人達は敢えておブスちゃんを狙うそうですよ。 回答ありがとうございました。

関連するQ&A

  • おんな城主直虎~関口瀬名姫(築山殿)母が井伊の女?

    10月29日も,大河ドラマ『おんな城主 直虎』を拝見しておりますと,岡崎城に行った小姓の,井伊直政(万千代)氏に,築山殿(関口瀬名(姫),徳川家康氏の正室で,今川氏の親戚の女性(奈々緒さん演))が,『自分の母親は 井伊氏出身』と言っていましたが,私は,初耳です..関口氏は,今川義元氏の親戚筋の方ですが,妻は,井伊氏の娘,女性だったのでしょうか‥‥‥??戦国時代の井伊氏は,遠江の国の,小領主で,小さな豪族や,国衆ですよね‥‥‥今川氏の家臣だった,小野氏の方が,井伊氏の家老に送り込まれたようですが,確かに,井伊氏の女性が,今川氏の人質に,行っているようですが,関口瀬名(築山殿)の母親なのでしょうか‥‥‥?一応,関口氏は,今川義元氏の親戚の領主ですから,井伊氏とは,ちょっと,身分違いのような気もします..築山殿は,かなり,プライドの高い姫君だったようですし,井伊直虎のことって,知ってたのでしょうか‥‥‥???大河ドラマでは,マブダチですが‥‥‥‥ちょっと疑問に思ったので 質問しました m(__)m 。

  • もし武田信玄が長生きしたら・・・

    武田信玄に関してお聞きしたい事があります。 私は数多くいる戦国武将で武田信玄が一番好きです。 ただ52歳で亡くなっており、短命でした。 京都に軍勢を進める最中に亡くなったのですが もし信玄がもっと長生きして、三方ヶ原で徳川家康を 打ち破った後、織田信長と戦さになったとしたら どちらが勝ったでしょうか? 織田信長を討ち滅ぼし、武田の世の中になった可能性はありますか? また武田信玄の一番優れている所はなんでしょうか? それから武田信玄と言えども、かなり悪い事もした様です。 皆殺し、人質を売ったり等… これは事実なのでしょうか? 皆さんの予想をお聞かせ下さい。

  • 江戸時代に武田家の重臣だった家はひどい目にあったか

    江戸時代に、武田信玄の武田家に仕えていた人達の家は、ひどい目にあわされたのでしょうか? 江戸幕府にとって、徳川家康というのは神様です。 その徳川家康が最も恨みを抱いていたのは、武田信玄の武田家だと思います。 なぜなら、武田信玄の武田家は、徳川家康が今川家の人質だった時代は、徳川家康を一切助けませんでした。 また、徳川家康は、武田信玄に三方ヶ原の戦いで、家臣を多く殺され、自身もひどい目にあわされ、家臣の前で大恥をかかされました。 更に、武田信玄の息子の勝頼の時代、徳川家康は、武田家とのもめごとのせいで、嫡男の信康を切腹させなければならなくなりました。 武田家は、徳川家康と領地を接していて、武田家と徳川家康の間には、いつも争いが絶えませんでした。 武田家は、家康が今川家の人質だった時代には、一切家康を助けませんでした。 この様に考えると、江戸幕府にとっての神様である徳川家康が最も恨みを抱いていた相手は、武田信玄の武田家だったと思います。 毛利家や島津家が、徳川家康と敵になったのは、少なくとも、豊臣秀吉が死んだ後、さらに言えば、前田利家が死んだ後です。 徳川家康は、織田信長のように最初から、天下統一をもくろんでいませんでした。 だから、豊臣秀吉と前田利家が死んで、徳川家康が天下取りを本気で狙いに行くまでは、毛利や島津が家康と敵対することはあり得ないと思います。 一方、武田は家康と初めから敵対関係にありました。 その、江戸幕府の神様・徳川家康と初めから敵対関係にあり、家康が最も恨んでいた武田家の、その重臣とか、仕えていた上のほうの家は、江戸時代に、江戸幕府にひどい目にあわされたような気がするのですが、 どうでしょうか? どうかを教えてください。

  • 信長がいなければ天下人は?

    織田信長は桶狭間での大逆転で一気に天下に躍り出ました。 また秀吉・家康という後の天下人も信長の躍進によって表舞台 に出られたといえます。 それでは信長が桶狭間で負けていたら天下はどうなっていたのでしょうか? 単に上洛して室町幕府を再興して、第一人者になるという程度の事 ではなく、新時代を開ける可能性をもった人物はいたでしょうか?

  • 秀吉に続く家康の死、さてその後の歴史は?

    全ては座興という事で御容赦願いしたいが、秀吉の死後半年を出ずして、家康もまたあの世に旅立ったとします。 何しろこの時代、後の徳川幕藩・官僚体制とは異なり、一人の英雄の死で、如何様にも歴史が変わる可能性がある訳で、信玄に於ける武田家・信長に於ける織田家他、例を挙げればそれはもう枚挙に暇がない。 さてその後数十年程度のスパンでは、我が国の歴史はどうなったと予想されるでしょうか? 最終的な覇権は一体誰の手に?、関ヶ原と類似の天下分け目の戦いは?、豊臣家・徳川家の行く末は?等々、皆様の御存念が有りましたら、希望的観測或いは偏見に満ちた回答でも宜しいので、是非御聞かせ願いたいと存じます。 (以下、私が考える一例) 家康の勢威に渋々従っていた野心の塊伊達政宗が、ここぞとばかりに不倶戴天の敵上杉・佐竹と同盟を結び、関東への・ひいては中原争覇への道筋を付ける。 何しろ正宗は、ほぼ天下統一を成し遂げた秀吉の治世下に於いてすら、内々で反乱を企てた武将、家康亡き徳川家にさほど拘泥するとは、恐らく考えられない。 加えて三者合算の石高は二百数十万石を越え、ゆうに関東平野で徳川と決戦し得る勢力となる為、あながち荒唐無稽な仮定ではないでしょう。 一方西に於いては、豊臣家の奉行派と武断派の争いが激化、そこに毛利・宇喜多・前田他の諸将が加わり、それはもう応仁の乱の如き状態に陥る。 そして勝ち残った東・西の勝者に依り、小関ヶ原の如き最終決戦が為され、一事的な天下統一が実現。 ・・と、まあこういった感じですが・・。

  • 新々々説 本能寺の変

    信長は光秀に言った「もう飽きたわ天下取りなど 外国を旅したい 御供せよ 信忠も連れて行く 秀吉と家康にもう話した 秀満にもな 天下など好きなようにせえとな お主が儂を下剋上で倒す話にしとる そのほうが三人もいろいろと事をしやすかろう 競って天下取りせえよと三人に話したよ まぁ猿には農民出じゃから増長するなよと言っておる」  後日、秀満は「信長様から聞いております では私が天下をお取りしますと信長様にはお話ししましたが微笑んでおられました 幕府でも開いて光秀様のお帰りお待ちしておりもうす」と光秀に微笑しながら話した 斎藤利三は傍らで悲しそうな顔をしていた 信長、光秀、信忠、帰蝶は旅に出て世界を回った その後、信長は東南アジアで莫大な財を成し、人生を謳歌して死去した 光秀も帰蝶も同じように・・・生き残った信忠は日本への哀愁から帰国し、すでに天下人となった家康に謁見した  家康は「信忠様は世界中を回って見識がありもうす まさに信忠様は天知る海知る 天海と名を変えて私に仕えていただきたい・・・」 日光東照宮にはひっそりと織田の紋がしるされている いや~飛躍しすぎたな  でも麒麟のあのキャストならありえませんか???

  • どうか、信長との違いを教えて下さい(涙)

    皆様、こんにちは。 「真田丸」を観てからというもの、最近また大河ドラマにはまっているのですが、 「女城主直虎」に、菅田将暉さんという(主役を食ってしまいそうな)魅力的な役者が登場し、とある役者さんを思い出してしまいました。 そう、その役者さんの名前は、「徳川家康」で主役の滝田栄さん以上に印象に残っている、役所広司さん。 その、役所広司さん演じる織田信長を観て私は、「信長ってカッコイイ」人だったんだなと180度見方が変わったものでした。 が、しかし、困った事に、最近、某隣国の将軍様の姿が、どことなく、信長と被ってるような錯覚を抱くようになってしまったのです。 小国の後継者、短気で暴力的(殺してしまえホトトギス)、奇抜なファッション(髪型)、新兵器の導入・・・ そこで、皆様にお願いがあります。 信長と将軍様の違いについて、どうか教えて頂けないでしょうか? そして、東アジアで桶狭間の戦いが起きなければいいのにと思っているこの私を安心させてください。宜しくお願い致します。

  • 徳川家康が天下統一したというけれど・・・

    本当は豊臣秀吉もしてるじゃん 織田信長は統一する前に死んでしまったので確かにしてないけど、秀吉は明らかにしてるじゃん! 死んだ後に関が原だし、秀吉本人からしたら今後の跡目争いが心配だったかどうかは別として天下取りは完了してるじゃないですか! 本人が生きている間には本人には絶対そういう意識があったと思うし、当時の人々もそう思ってたに違いないですよ 死んだ後政権が変わってるからダメというなら徳川だって270年後に変わってるしダメというコトになります 生きてる間が全てでしょううがぁ!! 納得出来ません だから正解は、鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス。と鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス、の二つになるんです でも、なぜこの三人のうち家康だけが天下をとったみたいに言われるのでしょう? 納得行きません 「長生き」の話しではなく天下とりのはなしなんですこれわ!

  • 挫折経験がないことが何に対して苦労するの?

    「進学も就職先も結婚相手も、全て第一志望を手に入れて来たから、私は一切挫折を知らない。」 って言うと 「それだと今後の人生苦労しそう。若いうちに挫折の経験しておかないときついよ。」 って言ってくるおせっかいババアやジジイが出てくる。 でも、そいつらに 「お前は自分の力量を見誤って高望みして勝手に落ちただけじゃん。それの何がよかったの?若いうちに挫折して何か得あったか?」 と聞いても特に何も挫折したことが利になっていません。 若いうちに挫折しておけという考えの人に質問です。 挫折して何か得があったんですか? そんなもんせずに自分の力量に合わせた所に注力して達成感を積み重ねる方が何倍もいいと思いますけど。 何をそんなに挫折経験を後生大事にしてるのかサッパリわかりませんね

  • 若い頃に苦労すれば

    若い頃に苦労すれば後々楽になるみたいな意見ってありますよね。 私も過去、バイトを始めた頃に40代くらいの店長から「ふざけるな!若者は働け!」と怒鳴られたことがあります。 ただ、実際そういう経験が今に活きているのかと思うとよくわかりません。