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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:歴史の出来事と天気)

歴史の出来事と天気

このQ&Aのポイント
  • 歴史の出来事と天気が映画やドラマで再現されるとき、史実としてその日の天気が描かれることでリアル感が出ます。
  • 日本国民が玉音放送を聞いているときの炎天下が印象深く、当時を生きた人の共通体験を感じます。
  • 終戦記念日の天気が日本国民にとっての太平洋戦争を象徴し、敗戦からの新たな出発を感じさせます。

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noname#208768
noname#208768
回答No.12

mikasaさんこんにちは まずは、行進曲をお聞き下さい。 https://www.youtube.com/watch?v=21ZG9oh7VX8 1964年東京オリッピック。世界ではじめてアジアでオリンピックが開催された 第18回大会は、戦後19年、敗戦の日本が焦土から復興しGDP世界第二位の 経済大国にむかっていこうとする記念すべき式典でした。 天気は晴天。雲ひとつない日本晴れ・・・ と子供心ににはおぼえていますが、当時はまだ光化学スモッグはなさそう。 薄曇りとおもいきや晴天のそらを覆うのは排気ガスと京浜工業地帯のばい煙かもしれません。 記憶ではブルーインパルスが真っ青な空に白い五輪のひこうき雲を描くのですが・・・ わたしはねぇmikasaさん(このへんはどなたかの口調に似てきますが、お許しください。好きなんです、あの語り口>私)このオリンピック・マーチを聴くと泣けてくるのです。 とくに「トリオというのですが」間奏部分にはいるといけない。木管楽器が主旋律を奏でその後にホーンセクションが力強く響き渡る。思い出に胸がときめきます。 実は中学にはいってブラスバンドにはいった私にとって小学5年の頃の東京オリンピックとブラスバンドはほぼ隣接した出来事。実際中学には古関裕而作曲の「オリンピック・マーチ」の譜面はありましたし、毎年体育大会では主要な演奏曲目でした。曲を聴いていると時間はあの日の高曇り(否晴天)の東京の空につながります。あれほど日本の人々が空を眺めた日はなかったでしょう。 屋根のない競技場で「晴れてよかった」誰しも胸をなでおろす。だって台風が きてもおかしくない季節です。 記念すべき晴天。1964年10月10日。

mikasa1905
質問者

お礼

「世界中の青空を集めた本日の日本晴れ」ってフレーズが有名なので、晴天だと思い込んでましたが、高曇りだったんですか、知りませんでした! exさんはブラバンだったんですか!おシャレですね~!その曲が当時を思い出させるのですね。 >屋根のない競技場で「晴れてよかった」誰しも胸をなでおろす。だって台風がきてもおかしくない季節です。 >記念すべき晴天。1964年10月10日。 前日まで東京は台風の影響で雨だったらしいですね。なんか2020年の東京オリンピックのメイン会場も、屋根が間に合わないとか騒ぎになってて心配ですよね。 東京オリンピック、戦争が無ければ1940年にあったはずなんですよね。震災後でオリンピック前、安保法制で軍事のあり方が変わろうとしてる今の状況、なんだか当時と重なって少し不安です。オリンピックが幻となって晴天の開会式じゃなく雨の学徒出陣式にならないよう願います。 晴天といえば、映画「青天の霹靂」を先日観ました。すごくよかったです♪ ご回答ありがとうございました。

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その他の回答 (11)

  • citytombi
  • ベストアンサー率19% (1721/8628)
回答No.2

WW2の話が出たので、では「キスカ奇跡の撤退」にします。 アリューシャン列島のキスカ島には守備隊(約6000名)がいましたが、米軍がアッツ島を攻略してキスカは孤立してしまいました。 降伏か死かの選択を迫られていましたが、この地方特有の濃霧に乗じて救出作戦が計画され、実行に移された結果、守備隊全員を収容し無事に帰還しました。 実際はもっと複雑な経過を辿るのですが、その後米軍が上陸して見たものは、わずかに残された軍需品と数匹の犬だったという話です。

mikasa1905
質問者

お礼

おお、そう来ましたか!濃霧のキスカ撤退、完全に忘れていましたw 詳しいことは知らないんですが、とにかく指揮官の判断力が素晴らしくて、分が悪ければ引き返し、急かされても早まらずに濃霧を待って作戦を成功させたんですよね。アッツ島で(公式発表では)史上初の玉砕があって、それに続くキスカ撤退の奇跡的成功。これは物語として面白そうだなと思ったら映画になってるんですね。学べる事がありそうですし、早速今度借りて観てみます。 ご回答ありがとうございました。

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