締切り済みの質問
8月15日は終戦記念日と言われています。
しかし、終戦ではなくて「敗戦」と呼ぶべきだ、という意見をよく見かけます。
例えば、このサイトでも
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=336068
のNo.1(#1)でそのようなことが書いてあります。
敗戦でも戦争が終わったことには変わりないのだから、「終戦」でも別に構わないんではないか、と思ってしまいます。
「敗戦」か「終戦」か議論したいのではないです。
「終戦」ではなくて「敗戦」と言うべきだ、という意見の理由はなんでしょうか。
私は考えてみたんですが、根拠はないですが、例えば、
・8月15日は「ポツダム宣言を受け入れる」(つまり「敗戦」)と国民に伝えられた日であって、実際に戦闘行為は終わっていない(?)から
・国際法上戦争が終わったのは8月15日ではない(?)から
・いつか復讐するために、負けたという事実をよく認識すべき(?)だから
・戦争の影響は後々まで続いた。「戦争が終わった」と言うと、戦争に関係することがすべて片付いたような表現になってしまうから
・・・そういうことなのかなあと想像しますが、どうなんでしょう。
私の調べたところでは
http://www4.plala.or.jp/Bamboo/news/0006to/000813.html
ここで書かれている考えは、私の想像した内の最後のものにやや近いようです。しかし、このサイトの「まだ戦争は終わっていない」という考えを、「敗戦」と呼ぶべきだという人みんながしているのかなあ、と疑問に思いました。
投稿日時 - 2002-08-17 09:42:42
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回答(7件中 1~5件目)
終戦だろうと敗戦だろうと、文字のとおり捉え方の違いだけのことでしょう。特別な意味を持たせる必要はないと思います。客観的な言い方と敗戦国からの言い方の違い程度のことではありませんか。
私に言わせれば8月15日は停戦が発効した日にすぎません。これがそんなに特別な日なのでしょうか。それならユーゴ紛争やパレスチナ紛争はなんど終戦を迎えたことでしょう。
どうであろうと大東亜戦争(この名称は日本政府が閣議決定した正式な名称です。)が終了したのは、サンフランシスコ講和条約発効の昭和27年4月28日です。
投稿日時 - 2002-08-17 21:23:00
お礼
「8月15日を重視すべきなのかそうでないか」という質問ではないので、残念ながら、これは質問に対する答えではないですね。
投稿日時 - 2002-08-18 07:38:50
こんにちは。
私は「終戦記念日」は「終戦」で良いと思っていますので
>「終戦」ではなくて「敗戦」と言うべきだ、という意見の理由はなんでしょう
という問いの答えではないかもしれませんが。
「終戦記念日」は「単に戦争は終わった」のではなく「戦争というものを永久に終わらせる」そのきっかけとなった記念日だと思うからです。
武装解除した日本は憲法により戦争という紛争解決手段を放棄しました。
その記念となる日だと思うのです。
敗戦ならば「記念」にする必要は無いですし、敗戦を理由に特別な日を設ける場合はzzz22zzzさんの書かれたように「いつか復讐するために、負けたという事実をよく認識すべき」とする場合が多い様です。
それでは「戦争放棄」の志に会いませんし、連合軍諸国も納得できないはず。
「第二次世界大戦が終わった」のではなく「戦争によって解決する時代が終わった」記念日であると思うのです。
尤も、昨今の情勢をみると「戦争放棄」の理念は崩れていくかのように感じられるのが心苦しいですが・・・。
もちろん、「第二次世界大戦の敗戦」は紛れも無い事実です。
「終戦記念日」は国民として戦争のあり方と是非をよく考え
「敗戦」という認識は日常の政治外交の中できちっと解決して行くべきです。
>「戦争が終わった」と言うと、戦争に関係することがすべて片付いたような表現
「終戦記念日」を「敗戦の日」と名を変えても解決しない事でしょう。
やはり終戦の意味と敗戦の意味をそれぞれ分けて考え行動・言論すべきだと思っています。
一緒にしてしまうから、余計に訳が解らなくなって泥沼に論争になってしまっている様な気がして成りません。
世界総ての国が「終戦記念日」を持てる様な日が来ることを望みたいですね。
投稿日時 - 2002-08-17 11:38:40
お礼
>「終戦記念日」は「単に戦争は終わった」のではなく「戦争というものを永久に終わらせる」そのきっかけとなった記念日だと思うからです。
>武装解除した日本は憲法により戦争という紛争解決手段を放棄しました。
終戦派というのは憲法の戦争放棄の理念を高く評価する考え方ですね。
>敗戦を理由に特別な日を設ける場合はzzz22zzzさんの書かれたように「いつか復讐するために、負けたという事実をよく認識すべき」とする場合が多い様です。
私の想像も違ってはなかったわけですね。
>>「戦争が終わった」と言うと、戦争に関係することがすべて片付いたような表現
>「終戦記念日」を「敗戦の日」と名を変えても解決しない事でしょう。
それはそうですね。
投稿日時 - 2002-08-18 07:31:49
ナショナリズムの高揚と言う点で「終戦」より「敗戦」と呼ぼうとしてるのかもしれませんね。
確かに日本を中心に物事を考えると「敗戦」と言うことに成りますが、(勝った訳ではないですしね)
一般的に「終戦」で通っているところに、「敗戦」と言う言い方に変えるべきであると言う方は、言葉の言い方以上の意図を持っておられると思います。
それが、ナショナリズムの高揚なのでしょう。
ただ、日本では、戦前にナショナリズムが、行きすぎたことから、戦後、ナショナリズムを否定する風潮が強いですが、有る程度のナショナリズムが無いと国は成り立たなくなることも、事実ですので、こう言った問題を考える時は、表面に現れない隠れた意図も含めて個人個人が、冷静に判断する事が肝要ですね。
投稿日時 - 2002-08-17 11:36:55
お礼
>ナショナリズムの高揚と言う点で「終戦」より「敗戦」と呼ぼうとしてるのかもしれませんね。
>確かに日本を中心に物事を考えると「敗戦」と言うことに成りますが、(勝った訳ではないですしね)
端的にいうと、敗戦派はナショナリズムなんですね。
投稿日時 - 2002-08-18 07:13:16
例えば付き合っていた彼女と別れた事を友達に言う場合、「ふられた」というのと「別れた」というのと大分イメージが違いますよね。
それと同じで「戦争が終わった」と「戦争に負けた」でもかなり聞いた感じが変わります。
事実から見ると「戦争に負けることで、戦闘行為を止めることができた」が正解だと思います。
従って、「終戦」と言いたい人は、マイナスの過去をできるだけ認めたくない、正確に過去を伝えることよりも外見(強い日本のイメージ)を気にする人々で、「敗戦」と言う人は過去を正確に伝えたい、ストレートで開けっぴろげな人々ではないかと思います。
個人的には「敗戦(ふられた)」と堂々と言える、こだわりのないオープンな姿勢に共感します。
zzz22zzzさんはどうでしょうか?
投稿日時 - 2002-08-17 10:50:00
お礼
>個人的には「敗戦(ふられた)」と堂々と言える、こだわりのないオープンな姿勢に共感します。
>zzz22zzzさんはどうでしょうか?
質問に書いたとおり、議論したくないので、わたくしの考えは述べません。
>事実から見ると「戦争に負けることで、戦闘行為を止めることができた」が正解だと思います。
>従って、「終戦」と言いたい人は、マイナスの過去をできるだけ認めたくない、正確に過去を伝えることよりも外見(強い日本のイメージ)を気にする人々で、「敗戦」と言う人は過去を正確に伝えたい、ストレートで開けっぴろげな人々ではないかと思います。
なるほど、そうすると、終戦派(終戦だと言いたい。)は外見重視・国家としての体裁重視であり、敗戦派は事実重視ということになりますね。
投稿日時 - 2002-08-18 07:05:24