- ベストアンサー
フィリピン ルソン島の地名
小生の大叔父は昭和20年、フィピンルソン島の「ウルトカン」というところで戦病死したことになっております。墓石にもそのように刻してあるのですが、実はこの「ウルトカン」という所を調べてみるのですが、全く不明なのです。部隊は第4飛行師団第135野戦飛行設定隊です。 戦病死の時期はルソン島北部の、飛行基地があったエチャーゲというところからポンドックという所に移動中にあたるのですが、この「ウルトカン」という所をご存知の方おられませんでしょうか?あるいは、当時の事ですので、誤報だったのでしょうか? 作家の長部日出雄氏の戦死されたお兄様と同じ部隊で、その著書も読ませていただきましたが、そのような地名の記載はありませんでした。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
その他の回答 (1)
関連するQ&A
- フィリピンの地理について教えてください
今年は終戦60周年です。 これを機会にフィリピンで戦死した叔父さんの慰霊へ行きたいと考えているのですが、死亡告知書に記載されているルソン島リザール州ダンバリツトの場所が分からなく困っています。どなたか分かる方がおりましたら教えて下さい。また死亡時の所属部隊が海上挺進基地二十大隊のありますがこの部隊の規模やどのような任務だったのか、知りたいと思います。なにか情報をお持ちの方がおりましたら教えて下さい。 なお叔父は昭和20年2月13日に戦死したことになっています。よろしくお願いします。了
- ベストアンサー
- 歴史
- 自分の祖父の兄、つまり、大叔父に関することです。
自分の祖父の兄、つまり、大叔父に関することです。 大叔父は日本陸軍の兵隊でしたが、太平洋戦争の、ガダルカナル島の戦いで戦死しました。その戦死場所についてですが、 戸籍簿には、「ガダルカナル島勇川(ゆうがわ)右岸高地で戦死」とあります。 しかし、墓石には、「ガダルカナル島タイボ岬で戦死」 とあります。 どちらが正しいのでしょうか? 家族は全く分からないようです。 ちなみに、大叔父は宮城県出身、仙台第二師団所属で、戦死日は1942年11月30日です。兵科は分かりません。 推測でも構わないので、回答宜しくお願いします。
- ベストアンサー
- 歴史
- ルソン島での日本陸軍第105師団工兵隊について
昔、祖母から祖父がフィリピンのルソン島にて戦死したと聞かされていましたが、思い立って「兵籍簿」と「留守名簿」を調べましたら、第105師団工兵隊(勤10608部隊)にて昭和20年2月マニラで戦死と記録がありました。ただ、兵籍簿には 昭和18年12月に工兵第53連隊補充隊に応召(京都市内) 昭和19年3月に召集解除 のみの記録にて、祖母の話しでは昭和19年の5月頃に京都市内で再召集されたと言ってました。 ネットや書籍から当時マニラを防衛したのは主に海軍部隊だったみたいですが、 一部陸軍部隊もいたそうですのでそこに第105師団の工兵隊がいたのかなと思っています。 府庁や厚生労働省の担当の方との話の中で、記録があっただけましかと思いましたが、再召集されてからマニラで戦死するまで、昭和19年の京都市内の召集部隊や第105師団工兵隊関連の記録や資料をご存知の方がいらっしゃいましたらよろしくお願い致します。
- 締切済み
- 歴史
- 旧陸軍特攻隊の情報を探している遺族の者です。
初めての投稿です。私の親戚にあたる人に特攻隊員がいた事を聞き、ネットで検索した所、辞世の句が納められている事を発見しました。しかしながら、その他の”部隊名”や”目的””戦没場所”等詳しい情報が得られず、困っています。海外に滞在している事もあり、現地へ出向いて探す事も出来ず、奥歯を噛み締める思いです。何方か情報がをお持ちでしたらお教え願えますでしょうか?どんな事でも結構です! 私の方でわかっている情報は: 村山光一 旧陸軍少尉(戦没してから1つ昇進したとみられる) 昭和19年12月20日フィリピン島にて戦死。享年21歳。 多分台湾からの出陣だったとの事です。 辞世の句: 大君の御楯となりて天翔る南の空にたとひ散るとも 15歳頃に所沢陸軍飛行学校に志願したと聞かされております。”ミスミ部隊?”という部隊に所属していたと聞いた記憶がありますが、定かではありません。よく飛燕に乗って家の上空を飛んでいたとの事です。
- 締切済み
- 歴史
- 従軍歴の調べ方を教えてください。
従軍歴の調べ方を教えてください。 亡き父の軍歴を調べています。大阪府庁で調べてもらっておよそはわかったのですが、もう少し詳しく調べたいと思っています。防衛省にも電話したのですが「大尉くらいの階級でしかも補充部隊なんて調べられない」とけんもほろろの扱いでした。 盧溝橋事件のころは歩兵37連隊に所属していました。 今回調べたいビルマ関係の軍歴は下の通りです。 昭和19年 7月8日臨時召集により中部第25部隊に応召 同日患者輸送第91小隊に編入 同月10日編成完結 7月21日門司港出帆 8月26日昭南港上陸 10月3日泰国国境通過 10月7日ビルマ国境通過 11月3日ビルマ国北シャン州ラシオ着同地に*りて輸送業務及警備 昭和20年 2月12日ラシオ発 自2月13日至7月17日転進作戦間に於ける患者の収療並後送業務に従事 7月18日泰国国境通過 7月23日クンユアム着 8月15日停戦の詔勅発布 9月30日クンユアム発 10月10日付第56師団兵器勤務*に転属 10月14日バンカツ(?)着 11月15日チェンマイ出? 12月19日ナコンナヨーク集結 昭和21年5月5日第145兵站病院に転属 知りたいことは、 *中部第25部隊とはどういう部隊だったのでしょうか。記録は残っていないでしょうか。 *門司から乗った船の名前はわからないでしょうか。 *ラシオは拉孟・騰越の後方基地と思いますが、父はどの師団に属したのでしょうか。菊ではなさそうです。龍でしょうか。 *ラシオからクンユアムの転進ルートは「地獄の戦場泣き虫士官物語」で比留間氏がたどったルートが多いのでしょうか。 *ビルマでの父の業務はどんなだったでしょうか。「菊兵団軍医のビルマ日記」の塩川氏のようでしょうか。ただ父は幹部候補生短期現役で開業医をしていて召集されたので、陸軍軍医学校出身しかも恩賜組の塩川氏とは階級が近くても軍からの扱いが違うかなと思っています。 *大尉になった時期が二つの記録で異なり、昭和13年と終戦直後になっています。勲6等軍功旭日賞をもらい正7位になったのが昭和13年なのでそちらでしょうか。 *昭和13年に大尉になったとします。その後終戦までに合計4年以上は出征しているのですが少佐にはなっていません。それまでは1~2年ごとに昇進しているようなのですが、やはり佐官になる壁は厚かったのでしょうか。 *ナコンナヨークでは捕虜収容所にいたのでしょうか。いつどうやって帰国したのか調べる方法はないでしょうか。 *その他なんでも結構です。調べ方を教えてください。 *書類や書籍に父の名前を見つけることができれば良いなと思っています。 蛇足ですが、ラシオ・クンユアムを訪れました。どちらも平和な町でした。 クンユアムで野戦病院だったというお寺も静かな良い所でした。 どちらも近くに温泉があり、旧日本軍の名残かなと思いました。
- ベストアンサー
- その他(生活・暮らし)
- 産経新聞の幼児性
一昨日の【名護市長選挙】に関連して産経新聞のコラムに以下の内容が掲載されたようです。 こういう理屈は理解できるしもっともな事ですが、普天間基地移設の現在の問題点は安全保障にあるのでは非ず。 少なくとも名護市の側にとっては、迷惑施設をソコに受け入れるか否かの「地元」の問題です。加えて民主主義の意味に関する問題でもあります。 産経のコラムはその観点が完全に欠落している。近視眼的かつ利己的。まるで小学生並の感性です。 最近の産経新聞の社説・コラム等で、普天間基地移設に関して名護市地元の都合に考慮された物はあるんですか。みんな下のような観点の物だらけなんですか。 報道機関としてヤバイんじゃないですかね。 ----------------------- http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140121/plc14012103130003-n1.htm フィリピンの轍を踏むな 1月21日 2014.1.21 03:13 [産経抄] フィリピンのスービック海軍基地とクラーク空軍基地は、かつて米国外の米軍基地としては、最大規模を誇っていた。ところがクラーク空軍基地は、1991年6月に起きた火山噴火で使用不能となる。 ▼スービック海軍基地もまた、その年の9月にフィリピン上院が米比基地協定の延長を否決したために返還が決まり、翌年、米軍は撤退した。政治経済学者のローランド・G・シンブランさんは、「脱米軍」の理論的支柱となり、基地跡地の転用にも関わった人物だという。 ▼シンブランさんは、2年前に邦訳が出た『フィリピン民衆VS米軍駐留』という著作のなかで、米軍の横暴ばかりを強調する。不思議なことに、南シナ海をはさんで向かい合う中国の脅威には一切触れない。実際には何が起こったのか。 ▼中国は、米軍の撤退を待ってましたとばかりに、フィリピンが領有を主張していたミスチーフ礁に軍事施設を建設した。さらに、北部ルソン島沖のスカボロー礁にも、監視船などの公船を常駐させ、実効支配を強化しようとしている。米フィリピン両軍は今、合同演習を行うなど、協力強化を進めている。中国を念頭に置いているのは明らかだ。 ▼「『基地後』を生きているフィリピン人の経験は、日本と沖縄の民衆の闘いにとって大いに参考となり、沖縄の反基地運動にも貢献できるだろう」。日本に共闘を呼びかけるシンブランさんは、名護市長選の結果に満足しているはずだ。 ▼米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設にあくまで反対する稲嶺進氏の再選によって、反対派が勢いづくのは避けられない。日本がフィリピンの轍(てつ)を踏み、日米同盟にきしみが生じるのを、中国は舌なめずりしながら待っている。
- ベストアンサー
- メディア・マスコミ
- 面白い地名に変わった地名
世界中でも日本国内でも面白いのや変わった地名に行った事がありますか? デトロイトに行く途中ドライブに退屈した頃、Mattawan(待ったわん)とあり笑ってしまいました。其の近くにShiawaseeなんて町がありこれもおかしかったです。Indianaで道に迷っていたらWakarusaと言う町名がでてきました。Onaraskaなんてのもありました。 ペンシルバニア州にはなんとIntercourse(性交)という町もあり驚きました。
- ベストアンサー
- その他(海外旅行・情報)
- 古い戦記物のif小説を探しています
入院している間に部屋を掃除され大事にしていた本を家族に すべて処分されてしまい作者や出版社などが一切不明の状態です 96年か97年の頃に新刊として出ていたのを買った覚えがあるので おそらく15~17年ぐらい前に発行された本としか分からない状態です 内容 プロローグで老人がジャンボジェット機でホノルル飛行場上空に 着いて緊張していると横に座っていた家族連れが心配し 飛行機は初めてですか?と聞かれいえここにくるのは2度目です・・ と答える所から始まります 昭和18~19年頃の回想に戻り米軍が既にトラック島より北の島々を掌握し 主人公のいる南方諸島の部隊は日米両軍に忘れ去られ たまに米軍の偵察機が爆弾を捨てに来る程度の島 そんな米軍に一泡吹かせたいと島周辺で大破している零戦などの 艦載機を修理し座礁している輸送船などから部品を調達し 大破し放棄された駆逐艦を修理改装し軽空母のような外観にし 艦載機を数機積んでハワイ基地を空撃するという作品です 情報が少なすぎて申し訳ないんですがちょっとした情報でも 良いので分かる方いたらよろしくお願いします
- ベストアンサー
- 書籍・文庫
- 地名 読み方
地名の読み方を調べられる携帯のサイトはないでしょうか? 検索しているのですが、検索の仕方が悪いせいかなかなか探せません… PCでは下記のようなページのものを使っているのですが、仕事場ではPCがなく、携帯に頼るしかありません。 http://www.benricho.org/chimei/chimei.html 地名の読み方を調べられる携帯のサイトを教えてください。 よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- その他(国内旅行・情報)
お礼
なるほど、フィリピン戦没者慰霊碑保存協会に問い合わせるといのは思いつきませんでした。HPで問い合わせを受けているのですね。今のところ最善の方法ですね。参考になりました。ありがとうございました。