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あなたの先祖は?

emenyの回答

  • emeny
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回答No.10

 縄文人か弥生人。正確には日本に住んだモンゴロイド。そして、古代日本に渡った中国・朝鮮人。  その顔をサイトをリンクします。 http://www.kahaku.go.jp/special/past/kao-ten/kao/jomon/jomon-f.html  それぞれ、祖先の中で優性として顔の特徴になったのが私たちの顔です。日本人は縄文顔と弥生顔がある。縄文顔は細眉・一重瞼、・薄唇。弥生顔は太眉・二重瞼・厚唇です。  あなたの顔は祖先の顔です。美しくても、醜くてもです。  江戸時代の士農工商・エタ・非人です。士農工商は武士・農民・技術者・商人ですね。エタとは死体の処理や家畜の解体をした人です。昔の人は血に関係のある職業の人を嫌いました。法医学者や精肉業や死刑を執行した後の死体の死亡確認と後片付けをするとかね。こういう血を汚れと昔の人は見ていた。  非人とは現在的には歌舞伎役者や漫才師や俳優や歌手のような人です。非人は1代限りの身分です。だから、代々引き継ぐわけではない。だって、幕府にとって芸能人の言葉で大衆により将軍家を筆頭とする武家社会の秩序がなくなると困る。つまり、非人は歌舞伎以外は人々に触れることができず、非人同士で1つの町に住まわされたわけなの。  後の士農工商・エタは代々の仕事。つまり、生まれた家で職業が決まるのよ。  戦時中に先祖はどうしていたか。赤紙が送られたら、男子は兵役をしないといけない。そこで、兵役検査をして異常者でないと免除されない。つまりは多くの先祖は明治時代に兵役をしたわけです。兵役免除は精神異常や身体障害や同性愛者などです。富国強兵とは強い日本の男を育てる事で、兵力が上がり国が潤う事です。だから、弱者はどこまでも切り捨てます。その血統をすべて絶たせてもね。つまり、障害者が生まれるとその兄弟や姉妹は縁組を断られる。障害者本人も結婚できないし、生殖能力を無くさないと結婚できない。それが優生学という考えです。つまり、優生学とは強い血統同士を混合し、一代の強力な個体を産ませるという事です。つまり、知徳体でも体育つまりは肉体の強い個体同士を配偶し、強くすることです。それが家が栄えるです。それと明治時代は子供で男子を強く求めましたね。今なら考えられない(笑)。  つまりは、戦前の習慣は、障害者が産まれたら、その存在自体を隠し、その子に家の中で引きこもりにするのと同じです。それが、家の恥を守る事です。そして、男子が生まれないとお国のためにならない。それは国の力にならない。だから、なんとしても男子を産まなければと思います。だから、今でもいうでしょう。子供が皆、女子だったら家が絶えるとかね。  だから、子供が女ばかりの家は子供をすべて家から出さないといけない。そのため後継の男子が欲しいと思うんです。子供が女だらけなら養子縁組で婿をもらうとかね。今でもあるでしょう。  私的には、生まれてくる子が男でも女でもいいと思うんですよ。病弱ではなく健全な子だけですよ。障害児を望んで産みたい親はいない。しかし、障害児が産まれたらその子を中心に家庭を作ろうとするものです。知的障害や精神障害はね。生まれてきてくれてありがとうだけですよ。養育は大変ですが。  子供は男女どちらでもいい。男子が欲しいは女性への差別や権利侵害です。そのため、女性が結婚しても元の姓のままで暮らせる、または夫婦で姓を決められるようにすべきではなかろうか。女性が家を滅ぼすと考える人は、昔からの頭が明治の人です。つまり、婿を貰う考えも可笑しい。嫁と婿が結婚しても昔の姓をずっと使えるような社会に変革しないといけない。例えば、韓国のようにね。  次に構造主義の基礎です。男子は家の後継。だったら女子とは何か。それは親戚を多く増やすという役割です。女子が結婚し新しい家に迎えられる。それは、親戚関係や親族を増やすのに重要な事です。女子がいない家は近い親戚が少ない。つまり、親戚を多く作るために女子がいる。男子ばかりの家は長男が家を継ぎ、二男や三男以降は別の分家を作るしかありません。本家(宗家)と分家の関係ですね。でも、現在って分家とか関係ありますか。ないですよね。だから、婿養子に使われる。だから、最近は男子はあまり要りません。でも、天皇や皇室は男子の分家が重要ですね。

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