• 締切済み

阪神大震災時の実際の生活を知りたいです【ぼったくり・物資の支給・トイレ等】

今日、静岡で大きな地震がありましたね。 そこで以前から気になっていたことを教えて頂きたく書き込みしました。 阪神大震災のとき、テレビで見ているだけではわからない実際の状況を生の声で聞きたいです。 例えば、水・食料・ポリタンクなど、どれくらいの値段で売り買いされていましたか? やはり法外な値段を付けて売られていたのでしょうか。 それは実際いくらくらいでしたか? 国からの物資の支給は充分に足りていましたか? それを奪い合ったり、ずるをしてたくさん貰う人などはいませんでしたか? 避難所で喧嘩やもめごとはありましたか?それは何が原因でしたか? テントなど、「あー、うちもこんなものがあったらよかったのに」と人を見て羨ましく思ったものはありますか? マンションにお住まいの方、水が出ないとわかった時点でトイレなど工夫されたことはありますか? などなど・・・ 上記以外でも結構です。 炊き出しやボランティアなど、「いいところ」はテレビで見るのですが、実際体験した方にしかわからない生々しい現実を知りたいです。

みんなの回答

  • hirakawa
  • ベストアンサー率27% (509/1821)
回答No.2

強姦は、該当地出身者から、リアルでもよく聞きましたよ。

  • whyso
  • ベストアンサー率53% (60/112)
回答No.1

神戸の人と防災未来センターのホームページで震災体験者の体験談を資料室閲覧できます。 リアルな話がいっぱいあります。

参考URL:
http://www.dri.ne.jp/shiryo/sutdy.html
_taiyaki_
質問者

お礼

リンクありがとうございます。 会社の同僚の話で(彼は神戸出身。しかし震災ではほとんど被害を受けなかった)、震災時、自分のスクーターを一回1000円で貸す商売をしたといっていました(当時大学生)。 そんな商売でさえ成り立ってしまう状況って・・・ と唖然としてしまいました。 今日の地震を機にいろいろ防災について考えています。。。。

関連するQ&A

  • 東日本大震災発生時の物価について

    最近、某質問サイトで、東日本大震災で被災された方のアカウントを見つけました。その方はお子さんもいらっしゃるようでした。震災直後は、電気だけは使えたようです。 質問履歴を見ると、地震発生から7日後に「スーパーに並んでもほとんど食べ物が買えない。子どもにおいしいものを食べさせたいけど、闇市みたいなものもあってありえないぐらい物価が高過ぎる。ボランティアで炊き出しをしてくれている方もいらっしゃるのに、こんな時に金儲けのことしか考えない人はどうなってるの?」と質問されていました。 正直、闇市のようなものが存在したことは全く知りませんでした。震災後にマスコミが報道するのは、「日本人は食料の配給にマナーを守って整然と並んでいた!」といった類の話ばかり。実際、マナーを守っていた方々もたくさんいらっしゃったと思いますが、炊き出しの列で怒鳴る人や、割り込みなどもあるにはあったという体験談もありました。 少し話がそれましたが、震災直後ってやっぱり物価は必然的に上げざるを得ないのでしょうか?もちろん、震災が起きれば、被災地での物資は非常に価値が高いものになります。従業員の生活だってかかってる。けれども、そんな時こそ思いやりを持つべきじゃないのでしょうか?タダで物資を配れとは言わないけれども、せめて通常の価格で売ってあげるべきなんじゃないでしょうか?マスコミが言ってた日本人の素晴らしさってなんなのでしょうか? 日本全体が暗い雰囲気になってきている今こそ、日本人は温かい優しさを持つべきだと思います。皆さんは、どうすれば国民性をより良いものに変えてゆけると思いますか?ご意見拝聴したく存じます。

  • 宮城県塩竈市の避難所

    知人が震災で宮城県塩竈市千賀の台の自宅で孤立しております。 情報が全く入らず、避難所がどこなのか、避難所も機能しているのかが分からないそうです。 水、食料も尽き、避難所へ向かいたいらしいのですが、救援物資の届いている避難所がわかるようでしたら教えてください。 よろしくお願いします

  • 震災時の支援物資のお礼について

    私が非常識だったのか悩んでいます。 3月11日の大震災で被災しました。停電・断水・断ガスにガソリンと食料の調達の困難は皆さんご存知の通りかと思います。 仙台市内とはいえ例に漏れず、9ヶ月の乳幼児を抱え4日間の停電、14日間の断水、40日の断ガスでした。 その中で、関西の友人が代表して数人(全く面識なしな方も含む)で支援物資を送ってくれました。とても助かり、友人達や届けてくれたドライバーさんには直接、もしくは電話でお礼も伝えました。後日お礼状も送っています。 その後の余震で再度の断水・停電や原発事故で旦那の会社関係の工場が閉鎖になったりで色々ありましたが何とか生活も出来るようになり先月、支援物資に関わってくれた皆さんに5000円前後のビールをお中元で贈りました。 そうしたら取りまとめた友人から「金額調べたんだけど、こんな値段のもの(安い)をみんなに送ったのか?非常識だ」と電話でしかられてしまいました。 「私は2万以上使っているし、あなたに関係無いのに支援してくれた人も居る。他のメンバーも娘が子供2人連れて出戻りしていて生活が苦しいのに支援物資を送った。最低でも1万円分の金券!もしくはそれくらいの金額のものを送るべき。あなたの家は流されたわけでもなく他の被災者に比べたら全然マシ!それなのにコレって人として常識を疑う。親も教えてくれなかったのか?」と。 そして「私だったらしてもらった倍の額で返す、今後子供が大きくなったらそういう付き合いも出てくるんだから今のうちに改めたほうが良い」といわれました。 自分が非常識だったのか・・・とへこんでいます。 金額相応のものをお返しするべきだったのでしょうか?

  • 震災時の買いだめについて

    ずっともやもやしていました。 私は被災地在住です(津波の被害は無く家も全壊ではありません)。震度6強の場所です。 震災時、電気・水が止まり(オール電化なのでガスはわかりません)ましたが 電気は数時間後に復旧。水は2週間後に復旧しましたが給水所でいただけました。 原発からは70キロの地域で、家屋は1部損壊です。 311の震災の直後、夫はコンビニの食料を大量に買ってきました。 我が家は大人4人、幼児1人の5人家族です。ですが、震災の日は 近くに住む妹夫婦も我が家に避難してきたので夫の行動には感謝し その夜や翌日などは夫が買ってきた食料で皆食事をしました。 ただし、電気は当日に復旧し、水もなんとか手に入る状況でこんなに買い込む必要が あったのか疑問に思いました。自宅にも乾麺や缶詰などはそれなりにいつもある状態です。 近くのコンビニも品薄になってきていたので、その状況でも「もっと買っておかなきゃ。」という 夫に、「そんなに買わなくてもいいんじゃない?」というと激怒され 「今がどういう状況か分かってるの?いつ物流が止まるかもわからないんだよ?!俺が 家族のためにやろうとしているのにそれを馬鹿にされている気がして気分が悪い。」と 言われました。 確かに夫は家族のためにしようとしています。でも私は、家族分の食料はなんとかなるし、 たとえ物流が途絶えたとしても、津波などで孤立した地帯でも無い限りさほど問題ないと 思ったのです。それより備蓄品がない人が買う物がなくなってしまう気がして私は気が咎めたのです。 ちなみに買いだめの量ですが、菓子パン1ケース(運搬するときに使う浅めのプラケース)、 おにぎり10コ、レトルトおかゆ10食、カレールーやレトルトおかず段ボール1コ、乾麺500グラム 入りのを10袋、カップ麺段ボール1個、その他切り餅等々。。 消費期限などある物が結局食べきれず、普通に食材も水も手に入る中で 無理矢理食べたという感じです。 その後夫にそのことを言うとそれでも 「あの買いだめは必要だった。」といいます。 私は未だに、「買いだめ」という行為がなんというか、外国のニュースで目にする強奪みたいで あまり好きではないし、子供も普通食で大丈夫な年齢ならあわてず町の炊き出しとかで我慢 すればいいんじゃないかとも思うのです。少し平和ボケな考えでしょうか?? それでも、あのような状況下(冒頭に書いた我が家の状況)では買いだめは必要なのでしょうか。 皆様の意見を教えてください。

  • 災害時に

    ちょっとふと気になったので質問させてください。 災害時(例えば阪神大震災クラスの地震)が発生したときに食料を確保するために、避難していて誰もいないコンビニやスーパー、人家などから食料を確保した場合、通常なら窃盗罪や建造物侵入罪が適用されると思いますが、災害時ではどうなるのでしょうか? 自分も被災者である場合では、緊急避難が適用されて無罪となるのでしょうか? 条件としては 1. 盗むのは食料又は最低限必要だと思えるもののみ 2. 災害直後で支援物資などがくるかどうかは不明 3. 原則として自分や家族のためであって他者への譲渡や売却はしない

  • 阪神・淡路大震災 デマ?

    阪神・淡路大震災の折、私は西宮に住んでいて災害の渦中にいました。 殆んどのライフラインがストップしていたために、頼りは電池式のラジオだけ、という状況で、ずいぶんいろいろなデマや憶測が飛び交いました。 あれから時が経っても、未だにデマだったのか本当だったのか判然としないものが私の記憶しているものだけでも多々あります。 まあ、「自衛隊出動が遅れに遅れたのは当時の知事が、自身のイデオロギーと相反したために要請をためらい続けたためだ。」という有名な?ものは語られつくしている上に、本人が認めることは無いでしょうから置いておいて、 1.有馬温泉付近の宿泊施設及び近隣のゴルフ場が、保有している宿泊施設を無料開放するので、被災者の方々に来て欲しいと打診したが、「被災者を選定できない」、つまり優先されるべき被災者のランク付けが不可能で、どうやっても不公平が生じるので行政側が斡旋できないとして断った。同様の理由で、米軍の空母を神戸港に接岸して空母内の施設を利用してくれと米軍が打診したが断った。 2.東灘区の新明和工業に、森林火災を沈下するための飛行艇(P-21?) の現物が当時あり、長田区の火災等に使用してくれと同社が打診したが、 「前例が無い」「二次被害が懸念される、責任が取れない」として断った。 3.「地震保険に加入していなくても、火をつけて全焼させてしまえば火災保険が下りる」(これ自体はデマです)として心無い人が自宅に放火したことから長田区の火災は始まった。 4.比較的被害の軽かった尼崎市では、阪神尼崎駅周辺のパチンコ店が簡易トイレを持ち込んで当日から営業。結構人が入っていた。 5.長田区で自宅が倒壊したので近くの小学校に避難したら、地元のイカツイ人たちが早速炊き出しをしていたが、そのさまは炊き出しというよりは「焼肉パーティ」で、一般の人たちは近寄れなかった。肉も盗品ぽかった。 等々…、これらの真贋についてお知りの方、または「聞いたことがある」、「こんなのも聞いた」等、関連していれば結構ですのでご回答ください。 よろしくお願いします。

  • 東京での豚インフル や 阪神型大震災 の対策

    東京での豚インフルは、対策ありますか? 人と人での感染なので、東京から離れないと駄目ですか? でも、5mとか離れていれば、感染しないのでしょうか? 空気を飛んで、10kmとか、100km飛ぶというのは無いですかね? あと、関東大震災みたいなのが起こったら、今マンション3階建ての鉄筋に住んでいますが、耐えられますよね? でも少し横長ですが・・・。 阪神でも、電気ガス水道が止まったのは、範囲としては小さいですよね、たぶん。 これらの対策は食料の確保でしょうか? でも、阪神だと、家具の下敷きになって無くなった人が多かったんですよね、確か。 その後、例の火事で被害者が拡大? 東京の被害は甚大になると予測はされていますが、実際のところ なんとかなる気もしますがどうでしょう? 電気ガス水道が止まると、米あっても炊けないし、何がいいですかねぇ。

  • 暴力団が被災地で炊き出しをする・・どう思いますか?

    阪神大震災でもあったそうですが、今回の大震災でもそういう動きがあるそうです。 まともにそれと分かると被災場所で拒否されるので、分からないようにやるそうですが、そもそもこういうアウトロー集団が行うことに対して、どう思いますか? 誰であろうと、こういう援助に加わってくれることに対して感謝しますか? 分からなければ、一向に構わないですか? それとも、こういう組織はやるべきではないですか?やって欲しくないですか? 私はうがった見方かもしれませんが、末端の組員がまともでない方法で得たお金が上納されて、そのお金の一部分が結果的にこういう炊き出しの物資に化ける・・・というような気がします。

  • 震災時に役に立った物?

    震災時にこれは役に立った物という物があれば教えてください。 防災グッズや救援物資で、あって助かった、もらって役に立ったというものです。 食料や水、ラジオや懐中電灯はもちろんですが、防災グッズの中で何が役に立ったのか、救援物資の中で何が必要とされたかを知りたいと思います。 停電している時にラジオは喜ばれました。今でも母は枕元にラジオを置いているようです。 断水が続いている時にラップ(サランラップ?)も食器を汚さないために必要でした。 ごみの収集が行なわれないために、ビニール袋も役に立ったようです。 大型のビニール袋は、雨ガッパの役になりますから台風でも役に立ちそうです。 被災地の親戚には軍手(手袋)をもって行くべきではなかったかと思っています。 家に有る物と買える物を持って、実家と被災地へ行ったのですが、結果として何が役に立ったのか知りたいと思います。 皆さんの役に立った物を教えてください。

  • 避難所にて物資が分配されていない問題

    お世話になります。 東日本大震災で避難所暮らしをしている人たちに物資がいきわたっていないそうです。 市役所や自衛隊の集積所には物資がすでに到着しており仕分け待ちをしているが、人手不足で仕分けができていない、という問題もありますが、それ以上に深刻、かつバカバカしい話があります。その話とは、 「避難所に物資は届いているものの、 ”各物資の数が避難民の数に足りず、分配ができない。 受領できない人、不公平感を感じる人が出てくるから、各物資が避難民の数に足りるまで貯めておく”」 のだそうです。 これって本当にバカバカしいと思いませんか? 避難所の一角にはうずたかく物資が貯まっているのです。 みんな、それを見て、「早く配給してほしいなあ」とおもっているのです。 でも、お役人が 「全員分届かないとケンカになるから配れません。我慢してください」 ですって。東北人は我慢強いから我慢しているのでしょうが、東北の市役所、町役場もやっぱり「ニッポンのお役人」なんですね。 そこで質問です。 ケンカなく分配できるようにするために以下の2案を考えました。現地を訪問した際に避難所の役人に提案してみたいのですが私の案をご意見をお願いします。 避難所で配給される物資はおおむね以下のような種類に分けられる。 食料 衣類 布団・防寒具類 生活・衛生用品 薬品 そのほか しかし、これらの物資について避難民全員が「一人前ずつ欲しい」と思っているかというとそうではないと思います。 たとえば、男性なら 「歯ブラシ、石鹸なんかなくても我慢できる。その代わり、瓦礫の片づけをして腹が減るから、食料だけは充分欲しい」という人はいるでしょう。 女性の場合は 「避難所でじっとしているのであまり食欲はない。だから一日の食料はカップめん1個で我慢する。私の食料は力仕事の男の人たちに回してもいい。その代わり、薬品は最優先で配給して欲しい」という場合もあるでしょう。 お年寄りの場合は 「食料配給の際、カンパンやカップめんでは食べられない。その代わり、”レトルトのおかゆ”があれば、毎食それが欲しい」 ということもあるでしょう。 乳幼児を抱えたママさんが 「私の物資は後回しでいいから、赤ちゃんのためにミルク、紙おむつ、衛生用品を配って欲しい。赤ちゃんのためなら私は2,3日食事を取らなくてもいいからその分、赤ちゃん用品が欲しい」ということだってあるでしょう。 ということで一日に配布する物資を、「各物資の現在数量や物資の種類に関係なく、一日X個」とする。 Xの数値は、これら各物資の数と避難民の数を勘案して、適切な数にする。日によって変えても良い。  朝一番に、各避難民全員(乳幼児、お年寄りもすべて一人、とカウントする)に配給切符を配る。 この配給切符を持って、各避難民は「今、今日の自分に必要なものは何か、よーく考えながら」必要な物資を受け取る。 X個の配給物資の内訳は各避難民に任せる。全部食料と引き換えてもいいし、食料を抑えて、薬品や生活物資を受け取ってもよい。 配給切符やX個の内訳を家族、友人知人などと”シェア”してもよい。赤ちゃんを抱えたママさんが、自分の配給切符を使って赤ちゃん用品を受け取るのもかまわない。 ただし、配給切符の有効期限は、「その日限り」とする。複数日にまたがって「貯めておく」ことはできない。 この案のメリット 各物資がそれぞれ避難民の数に足りないから分配できない、ということだが、各物資は必ずしも避難民全員が所望するとは限らない。 こういうように 「各人が望むものを優先的に配る。しかし、すべての物資を一人前ずつ欲しい、という要求には応えられないから、自分で考えて、優先順位の低いものは我慢して欲しい」 という、各個人の希望が叶えられ、なおかつ譲り合いもできる、というシステムである。 また、希望が殺到して、特定物資が足りなくなることもありえるがその場合は在庫が尽きた時点であきらめてもらう。在庫が尽きるのは残念な事態だが、その反面、どの物資が余り、どの物資が要求が多いのか、ということが判明し、次回の物資要請の際の充分な参考意見になりうる。 デメリット 1 毎日配給切符を配る方法が難しい(おそらく、OA機器はまったく使えないだろうから、紙とペンと偽造防止のためのシャチハタ印でも使って作ることになろうが、少ない役人だけで作成できるかどうか・・・ 2 配布する際に、もれなく、重複なく配布することができるか否か。避難民名簿なども整備されていないだろうからズルして2回もらう人もいるかもしれない。全員を一列に並べて切符を配布する方法もあるが、お年寄りやハンディキャップのある人にも「列に並べ」とするのは難しい。 ご意見や実際に避難所での物資配給をした方の体験談をお待ちしています。

専門家に質問してみよう