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“天皇が半島系”などとなぜおかしな質問とデタラメな回答が意図的に出現するのでしょうか?

mmm001の回答

  • mmm001
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回答No.12

ういう言い方をすると・・・ 朝鮮半島も中国民族も 蒙古から来た民族系ということになってしまう・・・ 朝鮮半島から来たということが問題なのではなく、 どういう文化を紡いで来たのか という人間としての精神活動が大切なのではないでしょうか? つまり・・ 曽我氏とともに推古女帝は 百済の人質?来賓?聖徳太子を 摂政として 日本に法体系や財務技術、歴史を記述するための成文化技術など活躍のしてもらう代わりに 法興寺、四天王寺(当時の正式の外交港の難波津に迎賓館として設立)を建設することを許可し、 かつ、 曾我氏、物部氏、 百済聖王の流れから 侵略癖で、渡来系が日本で勢力をふるい、 それを遺憾とした曽我氏が? 渡来系の最新流行(仏教文化)に踊らされる敏達帝を暗殺し、 聖徳太子に政治をさせる・・?!? 初の女帝・推古帝を立て、 日本の神道(大自然の理)の絶対的な権限のもとで (人類の理により体系付けられた)仏教の理を信ずる聖徳太子に 賢政させる 神道とともに大陸勢力の仏教(四天王寺は大阪湾近くで大陸との窓口にしていた)をも調和を図る・・が・・ 彼が要請した歴史書『国記』、『天皇記』は 蘇我蝦夷・入鹿が滅ぼされた時に ともに渡来系により大部分焼失させられ、 焼け残った部分も、その後、編集されたあとで 天智天皇に献上され、 『日本書紀』となって現在に残されている 理由として考えられるのは、 古墳時代の日本の政治体系が 朝鮮半島よりも安定的で平和を維持できたため、 高い文化が育っていたのを 蒙古ペルシャ由来の侵略亡者が 朝鮮半島にまで押し寄せ、 結果高句麗に日本の協力も空しく負けてしまう・・ 彼らは 国をのっとるために・・ 須古女帝が聖徳太子に編纂させた日本の歴史書を消失させ 新たに捏造歴史を書き始めたから、 日本の古代史には記録が 中国での日本の記録に比し、異常に少ないという事態に至っている・・ また・・明治期以降、 日本の名だたる歴史の町に 巨大企業の経営者が工場や会社をつくり、 そこの地方政治家らと親交し 歴史の改ざんをしてきてるという視点です・・ 早川社長の後のシャープ社長は経理畑ですが・・ いよいよ・・古墳時代の堺の歴史を 自分たち渡来系のものに作り上げていく・・ と言うのでなければいいのだが・・・?? 江戸時代半ばに、 それまでは《大国主命》を祭ってあった神社に 盛んに大黒さん人形(七福神の布袋さんを黒くして打出の小槌という棚ボタお金至上主義信仰?)が置かれていき、 おまけに 西欧キリスト教諸国に18Cまでは修道院年代記など含め、 記事として残っている「さまよえるユダヤ人」記事のように 大変な棚ボタ事件が起こり、 民衆の話題になり、 信仰を集めだす・・ 本来、神道では お金もご利益宗教も 不浄のもの《穢れ》として遠ざけられていたのが 輸入品を持ち込む商人、貿易商(密輸海賊とパイプがある)らが 商業を持ち込むにつれ資本主義化されるとともに これらの宗教も広がっていく・・ 他方で、商業に携わる商都では 商品があふれ 農村の貧困化は進み、 虫害(生物兵器?)による飢饉が続くと 農民は一揆に追い詰められ、内乱する・・ 明治期に、 大自然が治めてる土地を物質として扱い 売買の対象にし、 代々祖先からの伝来の土地を 金銭に換算することで 農業に歪が寄せ、すさみ始める・・

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