- ベストアンサー
立川談志 全盛期は??
tomajuuの回答
- tomajuu
- ベストアンサー率38% (304/782)
常に全盛期? 彼の本業としての落語は聞いたことないですけど、いろいろ話題は振り撒きますね。 私がオモシロイと思ったのは、以前、彼がガンの手術を受ける時、まわりから 「ガンバッテくださいね!」…と激励受けたのに、 「オレはガンバレないよ。ガンバルのは手術する先生だもん。オレはクスリで気絶してんだから!」 と言ってたのがとてもオカシかったです。 全くその通りです!
関連するQ&A
- 立川談志と上岡龍太郎の良さが分からん
立川談志って何故かめちゃくちゃ人気がありましたが、私が実際に寄席で聞いた時は呂律まわってないしめちゃくちゃヘタクソでした。 全盛期はすごかったみたいに言う人もいますが、大きな名前を継いでるわけでもないし、何がどうすごかったのか分からないです。 新しい流派を作ったから、といってもそれは落語が上手かったからではなくて起業家みたいなノリの部分ですからね。それも何か違うような気がします。でも未だに人気がありますね。 同じように上岡龍太郎も大して良さが分かりません。 偉そうに大学教授に講釈をたれてるくせに自分は受験で立命館大学にすら合格できていません。芸人のくせにワイドショーばかり出てたと言う印象です。今でいうカズレーザーみたいなものでしょ?めちゃダサいやつですね。でもネットとかだと未だに人気だったりします。 立川談志が笑点の司会してた時代は見てませんし、柳家時代の高座も聞いたことないです。私が寄席で聞いたのは2000年くらいでしたので。 なので私にとって立川談志は落語ヘタクソなくせに偉そうにしてるやつ、という印象です。 上岡龍太郎に関してもマンガトリオ時代なんて映像すら見た事ないし、パペポやってた時も幼少期でしたからほとんど見てません。引退前の数年でマラソン走ったり大学教授に偉そうに講釈たれてるのしか知りません。 なので私の上岡龍太郎への印象は、たかが立命館にも受からないのに高学歴の人に喧嘩売ってるアホ、というものです。 立川談志と上岡龍太郎が全盛期の時に見てた人たちに質問です。 この2人は未だにネットで名前が出るほど人気だったりしますが、何がどうすごかったんですか?
- ベストアンサー
- タレント・お笑い芸人
- 落語立川流について
落語立川流は故立川談志師が真打問題で試験に弟子が落ちた事への異議を唱え、 脱退し、設立されたものである事は周知の通りであり、 従来の落語協会のやり方ではなく ホール落語 地域寄席等での活躍や マスメデイアのアピールで 現代との接点を大事にした事で 落語協会より入門者が増えた事 (志の輔 志らく 談春とそれに続く人気者を多く育てた事で寄席= 落語家の修行という事を覆した事や 高田文夫 ビートたけし等他分野で活躍する人に 落語家の名前を与え、一門の会に出て戴いたりした事で 落語を改めて世間にアピールした事等) が大きいメリットとして挙げられると思いますが、 デメリットとして 二つ目や真打昇進問題も談志個人の判断で決めていたが、 落語協会に居た頃や 立川流設立当初は弟子に稽古をつけたり 「あそこ(一門の兄弟子)に習いに行け」という形で大体3-5年で二つ目にして いたが、晩年は一切稽古付けず 弟子を放置し、20年以上も前座にさせた者が いたり、晩年病気になり筆頭弟子等が「今後どうするか?」という事を聞いて も、「勝手にしろ」という風に答え、一門から集めた上納金や会の運営について も、弟子はおろか、一門のマネージャーをしていた親族である談志の長男もいく すえも知らされておらず 談志の死後 一門と親族で遺品整理をし、その後役員 を決め 上納金廃止となったという事でしたが、これは会という意識もなく、 「やりたいようにやる」という談志の性格から来ていたのでしょうか? (談志より数年前に設立した先代三遊亭円楽率いる円楽党は 合議制で 3-5年で真打、談志より前に死去されたが、弟子に遺言はされたそうですが 真打粗造と非難され、人気者を出した事は立川流に劣っておりますが) この辺りの事をご回答いただければと思います。 (落語家ではありませんが 「やりたいようにやる」と豪語して、 一切周りの者に会計を見せない 自分のプランも言わないで通した人がおりま した。 離れて行った人も多かったのですが、本人は何処吹く風と行った感じ でした。家族にも一切本音は言わず、自分の能力のみを信じるといった感じで した。やはり、晩年は「勝手にしろ」と親族にも言っていたそうです この様な所が談志師匠にもあったのでしょうか? 唯談志師匠は人脈は大切にされるので、その糸口(談志が紹介したのではないが)で志の輔 志らく 談春は売れる様になったといわれております この辺りの事をご回答いただけたらと思います
- ベストアンサー
- 落語
- あいざき進也さんの全盛期について
こんにちは。 あいざき進也さんに興味がありますが、ネットでは歌っている姿しかなく、 全盛期のときのインタビューやトークが一切ありません。 現代でも珍しいくらい極度に中性的で、それでいて運動神経抜群という 超イケメンだっと理解していますが、人となりがよくわかりません。 晩年のインタビューを見る限りは穏やかでストイックな感じは見受けられます。 このあたりご存知のかた、当時のファンの方いたら教えていただくとうれしいです。 彼が全盛期だった1974年-1975年は私は年中さんだったのでまったく記憶にありません。秀樹とジュリーがお茶の間をにぎわせていたのを記憶してはいますが、、。
- ベストアンサー
- 懐かしの芸能人
- 江戸落語の昭和後期の四天王について
江戸落語の昭和後期の四天王について (春風亭柳朝 立川談志 三遊亭圓楽 古今亭志ん朝(晩年柳朝が病気に成り 橘家圓蔵が加わった)) この四人の中では単純に上手さとあくの強さの無さで嫌味の無い芸であり、 一門会や独演会の集客では志ん朝師がトップだったのでしょうか? 柳朝師は江戸前の粋さはあり口調も見事であるが、時に手を抜いたり 投げやりな処が難点 圓楽師も力のある落語家と評価された反面、根多に粗さが見られ、そこが昭和の名人と言われた六代目三遊亭圓生の筆頭弟子でありながら、圓生師は自らの後継者を 志ん朝師と云われたとされております。 談志師はアイディアや現代との接点を考え、落語を現代にどう伝えていくかと いう事には優れていたが、あの個性と芸風で好き嫌いが分かれたとされております。 やはり、志ん朝師が真打に成り人気が出て、それに同世代の者がそれぞれに違う芸風で四天王と云われる様に成ったのでしょうか? 別に他の3(4)人の芸風も批判する訳ではなく、それぞれに私は良いと思います、 が志ん朝師を中心として四天王と云われる様に成ったのでしょうか? この辺りの事をご回答戴きたいと思います。
- ベストアンサー
- 落語
- 加藤晴彦さん、今どうしているのでしょうか?
最近、昔のラジオやTV番組を視聴していて そう言えば加藤晴彦どうしたんだろう?!と気になりました。 ラジオもTVも結構キャラが立ってて面白いし、映画の演技もいいなと思っていたのに、見かけなくなって少し寂しいです。ラジオのトークはとても面白いですね。 ネットで色々検索しているのですがなかなか情報が出ません。 加藤晴彦さんが今どうしているかご存知の方いますか?
- ベストアンサー
- その他(趣味・娯楽・エンターテイメント)
- 立川談志への思い
風雲児・立川談志がとうとうなくなりました。 彼の特徴の一つは、口調のすばらしさ、だと思います。歯切れよく、スピード感のある口調。 特に、悪漢のような人間を演じた際の凄みは、比類が無いと思います。圧倒的な迫力を感じます。たとえば、ラクダの兄貴分のように。 談志は、たまに、講談の修羅場を気持ち好さそうに演じることもあります。 彼は、落語家として素晴らしいのは言うまでもないのですが、修羅場のうまい講釈師(今は講談師)としても、一流になり、人気者になっただろうな、と思っています。 以上は、私の思いを綴ったのですが、皆様も、立川談志について、いろんな感想をお持ちのことと思いますが、いろいろ教えて下さい
- ベストアンサー
- 落語
- 立川談志からのお題
立川流に立川キウイという噺家さんがいます。 キウイさんは才能がないことで有名で、まったく面白いことが考えつかないそうです。 ある時、談志師匠に 『寿司を食わせてやる』 と寿司屋に連れていってもらったそうですが、談志師匠が板前さんに 『シャリだけ握ってやってくれ。新人だからネタがない』 と言って、ネタが乗ってないシャリを延々食わされたそうです。 キウイさんの腹がいっぱいになったところで談志師匠が言った一言。 『どれが1番うまかった?』 キウイさんは絶句してしまい、何も言えなかったそうです。 皆さんなら、この談志師匠の問いになんて答えますか? 私は 『1番最初のヤツです。お腹すいてたから』 しか思いつきませんでした。 嗚呼、才能がない・・・。 1番上手い回答にポイントを進呈したいと思います。
- ベストアンサー
- アンケート
- 立川談志が天才とおっしゃるのは?
立川談志が天才とおっしゃったのは、手塚治虫ともうひとり誰かが思いだせません、TVでいってたのか、本にあったのかも思い出せません。どうか、御教授ください!お願いします!
- ベストアンサー
- 俳優・女優
お礼
談志さんの振る舞いはおもしろいですよね。本を読んでみても、天才肌とでもいいましょうか、言動が普通じゃないです。正直聞いていて顔をしかめざるをえないときもあるのですが、それでもトータルで彼のことを畏敬の目で見ています。